うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

わたしの中の日本軍

2010年05月12日 04時59分26秒 | 山本七平さんのこと

 山本七平さんの 「わたしの中の日本軍」 を読む。

 第二世界大戦中の出来事、「百人斬り競争」、「南京大虐殺」報道の検証も含まれる。70年ほど時間軸が遅くなっていても、言っていることは決して古くならない。
 わたしは、うーん、おもわず、この語り口、描写力に引きずられる。やはり戦争経験はすごいことなのだな、と感じるが、知識人の属性たる醜さが問わず語りで出てくる。そこで、戦争当時の新聞に携わったマスコミ人の犯罪が執拗に追及される。
 職業的に言えば一般社会と違い新聞社特有の身内に甘い体質が露呈する。社会の木鐸、ペンは剣より強し、言論の自由と言いながら、報道しっ放しの無責任な言動が多いのだ。実態はどうか。どんな商売でも職業倫理があるが、新聞社は特に必要とされる職業だ。

 取材の前線に、頭でっかちで社会経験の少ない若者があたるのはよくない。社会正義を標榜しながらも物事の錯綜した多面性をとらえることができない。逆に、正義にとらわれるあまり、一面的に感情に流される場合もあるのだ。
 もちろん、役所に張りつく記者クラブ制もおかしい。なんでわたしたちの税金を使う必要があるのだ。役所の発表を鵜呑みにしていいものではないし、垂れ流しになるのだ。その場合は各新聞社ごとの見解を必ず記事に付け加えることだ。
 取材は相手先、現場へ記者個人がみずからの足で動いてこそのものである。
 ついでに言わせてもらうと、すべての文章は署名入りの記事にすべきである。社会常識上の責任感を持って、時系列に沿った続報や物事の経過を記してほしいものだ。今までは新聞社は軽く考えているようだが、誤報は必ず謝罪し修正していくのを徹底することである。

 山本七平さんはカトリックの家庭環境で育っているとは言え、ここでの論理は知識偏重からくるブッキッシュなロジックではない。薄っぺらの知性ではない。深刻な従軍体験と出版社経営で見る実社会と人生。極限的な経験を強いられた生きるという意味合いの身体にしみついている論理である。アカデミズムとは無縁、哲学ではない観念論ではない、無手勝流は当り前である。
          
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