うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

大谷海岸の爪痕

2013年09月07日 06時06分08秒 | 東日本大震災のこと
 ここは宮城県気仙沼市本吉町。画像はJR気仙沼線の大谷海岸駅のあたり、道の駅が併設されているところ。
 当日は曇っていて、数日来の間欠的な強雨の合い間のようだ。なんだか、鉛色の空模様がうらめしい。実家から、ひとり、レンタカーを駆って懐深い山中の県境を越える。大谷海岸は小中学時代のバス旅行に、それと、わたしたちの結婚直前に家内を連れてきたことがあった。ということは、およそ35年前になる。わたしの記憶はすでに遠い彼方である。
 ニュースで既報されているように、JR気仙沼線は災害により線路が寸断されて不通、大谷海岸駅は機能を喪失している。ここでの津波の高さは20mを越えるのだろうか、慰霊碑には40名が亡くなったと記されている。この後に行く予定の高齢の叔父への見舞い時間もあり、調整のためここで1時間半は過ごした。わたしは茫然自失ながらも事態の把握のために歩いて動き回る。できるだけみずからの耳目をたよりに、湾内の中ほどの白波の打ち寄せる重低音を気にしながらデジカメで光景を切り取っていく。どうにかその状況を他人に聞かずとも済んだが、買い求めた被災記録写真集を見ながら、この悲惨な事態を想像し、独り言をぶつぶつ言いながらわたしの脳漿に刻み込んでいく。実は震災復興の一助になれば、と言うのが今回の帰郷目的でもあった。
 海水浴場であった砂浜は沈降して消滅。瓦礫の片づけはとっくに終わり、急造の被災地探査や観光客向けの小建築物などがあり、総じて雑草が生い茂り色醒めた景色の一角だらけである。残された松や樹木でも到来した津波の高さも知れる。家のあったところは車庫や門塀や庭に植えた植物で判明できる。生活の拠点は全くない。
 三陸のリアス海岸を縦貫して通っている国道45号線は、交通量が増えている気がする。上りの宮城方向への建設関連の他県の大型ダンプトラック、流通用のトラックが多い。いずれもスピードをあげている中、その間を地元の軽自動車が混じる。ほかにはリタイアされたとおぼしき老夫婦や、若いカップル、などなど、近県はじめ他県ナンバーのクルマを見かける。

 なお、写真上で左クリックすると画像を拡大して見ることができます(タイトルバーの横の⇦ボタンで元に戻る)。どうぞ、単彩色な画像ですがご覧になってください。

撮影日時:平成25年8月31日(土曜日)11:00頃
   
    

      

      

      

      

 また、今までの東日本大震災の記事については左側の カテゴリー「東日本大震災のこと」 をクリックすると見ることできます。
 
       
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