落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

はばたける魂

2008年02月10日 | book
『潜水服は蝶の夢を見る』 ジャン=ドミニック・ボービー著 河野万里子訳
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現在上映中の映画『潜水服は蝶の夢を見る』の原作本。
東京国際映画祭の上映時に翻訳者の河野氏が舞台挨拶に登壇し、翻訳作業を通じて知った著者を「もし生前に出会っていたら恋に堕ちていただろう」と評していたのだが、まさしくその賛辞に相応しい、すばらしく魅力的で知的でユーモアにあふれた、美しいエッセイだ。
内容は映画と異なる部分も多いのだが、読んだ印象はおどろくほど映画とぴったり一致している。まさしく蝶が翼をはためかせるような軽やかなきらめきに満ちて、ほんのりとセクシュアルで、しっとりとさわやかにみずみずしい。
読んでいて、河野氏でなくても「もし生前に出会っていたら恋に堕ちていた」に違いないと確信させる、チャーミングな男性像がページの向こうにいきいきと浮かび上がって見える。

それにしても、ほんとうにほんとうに美しい本だ。
著者ジャン・ドーはロックトイン・シンドローム(知力・感覚に障害のない全身麻痺状態)に陥ってから、アルファベットを使用頻度順に唱えてもらい、使いたいアルファベットのところで唯一動く左目のまぶたを閉じて言葉をつむぐというコミュニケーション手段でこの本を書いた。
E S A R I N T U L O M D P C F B V H G J Q Z Y X K W
ウ エス ア エール イ エヌ テ ユ エル オ エム デ ぺ セ エフ べ ヴェ アッシュ ジェ ジ キュ ゼッド イグレック イクス カ ドゥブルヴェ
自ら文字を綴るどころか声を発することもできなくなったジャン・ドーだが、それでも彼は変わらず文字と言葉をこよなく愛していた。
人生を愛し、恋を愛し、文学や食べ物や酒を愛し、子どもたちを愛したのと同じように、言葉をつむぐ心の自由を、精一杯命の限り愛していた。

そんな彼の率直な心の歌は、これまでに聴いたどんな歌よりも見事に、聴き手の心を酔わせ、あたため、すがすがしい涙をとめどもなくあふれさせる。
読んでいるときは、著者が身障者であることなど忘れて熱中してしまうのだが、読み終わって「ベルク海岸にて、一九九六年七月─八月」という末尾の文字を目にしたとき、ジャン・ドーがひらひらと空の彼方に飛び去っていくのを感じたとき、胸の奥に花火のように感情が爆発した。
魂の限りを燃やし尽くして生きることは、どこにいても誰にでもできる。しかしそんな人生をほんとうに生きる人は少ない。少ないから美しいというわけではないけれど、やはりそんな命の輝きはどんな宝石よりも目映い。

作中でジャン・ドーが旅行中に読んでいた『蛇の通った跡』という本が読みたくなったけど、邦訳は出てないみたいで残念。
映画は一度観ているが、原作を読んでますます再見したくなった。
ジャン=ジャック・ベネックス監督が撮影した生前のジャン・ドーとクロードのドキュメンタリー映像『潜水服と蝶』はこちらで一部を配信中。
ちなみに現在ではこの方法を応用した光学式のコミュニケーションシステムが研究されており、全身麻痺の障害者でも介護者なしに言語を発することができる技術の開発が進んでいる。