落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

踊る供述調書

2008年02月20日 | book
『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』 草薙厚子著
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2006年6月に起きた奈良医師宅放火殺人事件の加害少年とその家族の供述調書をまとめたノンフィクション。
本文の半分以上が調書と鑑定書の引用で、著者自身のテキストは引用した資料のツナギ、補完程度の内容にとどまっている。
この本をめぐっては、少年を鑑定した医師が鑑定資料を著者に提供したことによる秘密漏示罪で逮捕起訴されていて、草薙氏自身も非難を浴びている。
彼女の本はこれ以外に以前『少年A 矯正2500日全記録』を読んだだけだが、個人的には、この『僕はパパを殺すことに決めた』も含めそれほど大した本じゃないし、彼女自身に関してもさほど注目すべきジャーナリストに値するかは疑問だと思う。
題材や着眼点はセンセーショナルだがはっきりいってしまえばそれだけで、ノンフィクションとしては内容が薄すぎるのだ。ぐりはそれほどたくさんこの手の本を読む方ではないが、これまでに読んだこのジャンルの本と比較すれば、明らかに数段はレベルが落ちる。
しかし実をいうと、昨今はこういうノンフィクション本がけっこう増えてるような気もしている。タイムリーで題材や着眼点だけはショッキングなんだけど、内容は客観性に欠け、素人目からみても取材範囲が極度に限定的で専門知識も決定的に不足した、外見ばかり派手で中身はカラッポなノンフィクション。しかもそれがけっこう売れてて評判もいいらしいから恐ろしい。

この本では、加害少年には生まれつき「特定不能の広汎性発達障害」というごく軽い自閉症の症状があったが、幼いころから父親に厳しい体罰を加えられながら勉強させられていて、英語のテストの点数が平均より悪かったことで「このままでは父に殺される」と思いこんで犯行に至った、と結論づけられている。
広汎性発達障害に関しては少年犯罪の本を読んでいるとときどき目にする言葉だが、この症状をもつ人は相手のいっていることの裏を読むということができない。少年の父親は常日頃「成績が下がったら殺す」「ウソをついたら殺す」などと息子を罵倒していて、これが彼にとっては「ほんとうに殺される」という恐怖につながったのではないか、というのだ。
誤解のないように申しそえるが、広汎性発達障害そのものは単独では直接犯罪に結びつくものではないと思う。犯罪の要因はいくつもの条件が複数に連鎖して成り立つもので、そのうちのいくつかは人間誰でももっているような、ありふれた要件ではないだろうか。広汎性発達障害はたくさんの要件のひとつに過ぎず、そこへ不幸な条件が複数加えられた結果、たまさか犯罪に発展するケースがあるというだけのことだろう。

しかしこの父親の体罰はほんとうにひどい。
調書によれば虐待は少年が幼稚園のときから始まっていて、具体的にいえば、髪をつかんで引きずる、拳で殴る、本などモノで打つ、机や床や壁に頭を叩きつける、蹴る、踏みつけるなどといった実に凄惨極まりない行為が、放火までの10年以上の間、毎日のように行われていた。これでは「殺す」といわれるまでもなく「殺される」と子どもに思われてもしかたがあるまい。
父親本人は体罰だと思っていたらしいが、どう考えても感情のままに自分の所有物を玩弄していただけである。こんなものは愛でもなんでもない。
もちろん父親自身医師だから、子どもに暴力をふるえばどうなるかは医学的に理解していただろうし、学校の担任などは自宅での体罰に気づかなかったというから、大怪我をするほどの虐待ではなくある程度は手加減もしていたのだろう。
だが虐待のほんとうの被害は、肉体的医学的な被害にとどまらない。虐待されたことで踏みにじられたプライドが、心のバランスを狂わせ精神的な傷を生涯負わせることもある。現に、家庭訪問で体罰を注意された父親が教諭の前で「もうしない」などといっておきながらいっさいやめようとしなかったことなどは、少年が父親に対して子としての信頼を失うのに充分な出来事だったのではないだろうか。

けど、その父親にも言い分はあってしかるべきだとぐりは思う。彼は加害少年の父であると同時に被害者遺族でもある。
この本では父親など家族本人には取材できなかったと書いているが、ここまで父親の責任を声高に主張するならば、もっと公平な取材/分析が行われるべきではないだろうか。本人でなくても、友人や同僚、学生時代の級友や恩師、幼馴染み、旅行先やいきつけの店などなど、いくらでもソースはみつけられたはずだ。他の関係者に関しても同じことがいえる。少なくとも、事件の舞台となった奈良や関西の医学界、教育界の現実についてはもっと調べるべきこと、書くべきことはごまんとある。そこまでして初めて、一個人に書かれた本を「ある種の真実」として信頼することができるのではないだろうか。
少年犯罪の供述調書といえば確かに資料として貴重だが、供述調書そのものは断じて「真実」などと呼べるようなものではないことは誰でも知っている。文体が一人称なのでうっかりすると供述した本人の言葉のように読めてしまうが、あれは取り調べの警官が誘導してフォーマット通りに書いたものであって、あくまでも警官の言葉でしかない。
また、この本に関していえば草薙氏自身の観点にもかなりの偏りが見受けられ、文章には読んでいていささか不愉快になるほどの個人感情が濃く感じられる。著者本人が、供述調書や鑑定書など紙の資料に踊らされ過ぎているように読めてしまう。
そういう意味で、この本はノンフィクションとしてはどうみても片手落ちだし、片手落ちなノンフィクションほど危険なものはないとぐりは思う。こういう本が売れて、こういう本がノンフィクションとして当り前になってしまうのが怖い。怖すぎる。
ただ一点、少年犯罪の裁判制度に関して一石を投じたという部分では評価してもいいと思う。こういう違法行為はジャーナリズムの世界でも禁じ手の飛び道具であることに間違いはないけど、ルールの範囲内だけではわからない真実もある。でもだからこそ、もっと完成度の高い本にしてほしかったという気はしました。