落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

空襲の下の夜

2008年02月24日 | book
『夜愁』 サラ・ウォーターズ著 中村有希訳
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舞台は第二次世界大戦終結から間もない、1947年のロンドン。
主人公は元救急隊員のケイ、結婚紹介所で働くヘレン、ヘレンの同僚ヴィヴ、ヴィヴの弟ダンカン。それぞれに秘密を抱え、誰もが貧しく孤独だった時代の傷をひきずりながらひっそりと生きる彼女たちの心象風景を描いた、3部構成の戦争文学。
創元推理文庫という、本来はミステリ・SF・ファンタジー・ホラーなどを主に出している東京創元社の文庫だけど、この作品は意外にもその類いの娯楽小説ではないです。物語が1947年から始まって中盤で1944年に遡り、終盤でさらに1941年に再び3年遡るという構成が謎めいていて、演出的にいえば推理小説と無理くりいえなくもないけど。
1947年、登場人物は既にそれぞれに深い孤独を抱えている。彼女たちがなぜそのような人生にたどりついたのかを、小説は3年ずつ時間を巻き戻して描いていく。

この小説には、全体を通してはっきりとしたストーリーラインというものはない。
直接描かれるのは、激しい空襲とそれによって破壊されたロンドンの街で、実際に生きていた庶民の生活と人生そのものである。飛び交う砲弾とふりそそぐ瓦礫と粉塵の下で生きていた人々。食べ物も着るものも何もかもが不足し、愛する家族や恋人と離れ、自由を奪われながら生きていた人々。
そうなるとふつうは戦時下でのお涙頂戴メロドラマを連想しがちだが、この小説はちょっと違う。主人公の4人はいわゆる“一般的な善男善女”とは少し違うからだ。
ケイは男装のレズビアンで、ヘレンもレズビアンである。ヴィヴは妻子ある男性と交際している。ダンカンは戦時中服役していた過去があり、ヴィヴ以外の家族とは関わりを絶っている。つまり、戦時下であろうとなかろうと彼女たちには世を忍ぶ秘密があった。でも考えてみれば当然の話だ。戦時中だろうとなかろうと、セクシュアル・マイノリティはいつの世の中にもいるし、不倫する人にも時代は関係ない。逆にいえば、誰もが明日をも知れない戦時下だからこそ、彼らの“特異さ”が人間性のごく一部分に過ぎないことが、他ではありえないほど能弁に表現されている。

そんな中で最後まで物語を牽引していくのはダンカンである。
1944年パートでは刑務所にいるダンカンだが、彼がなぜどんな罪で服役しているのか、なぜ出所後マンディ氏などという老人と同居し、まるで彼自身も隠者のような生活を送っているのかは、1941年パートのクライマックスまで明かされない。
ここで効いてくるのが1944年パートの中心となるケイとヘレンとジュリアという3人の女性同性愛者の物語である。いうまでもないがこの時代、同性愛はイギリスでは犯罪行為で、発覚すれば風紀紊乱罪で実刑は免れなかった。ダンカンと同じ刑務所にも同性愛者が数人収監されている。
美しいヴィヴに似て若くハンサムな弟ダンカンにも、まるであざやかな灯りが反射するように、そんなセクシュアルな影が差している。しかし決して彼は罪と過去を自ら語ることはないし、物語の最後まで、彼自身がほんとうはどんな思いを抱いていたのかは描かれない。

ほんとうに心から大切にしていた思いなのに、口に出した途端に泡のように消えてしまう、どんな器にも盛ることのできない、せつない思い。
その思いも、ロンドン中を燃やした空襲の炎に照り映えるように明々と燃え上がる。それをなんと呼ぶべきかは読み手それぞれの自由だ。
この小説には、ほんとうに伝えたいことはおそらく、ひとことたりとも直接的には描かれていない。描かれないからこそ、その熱さと重さが響いてくる。
そういう物語でした。