『地球最後の男』 リチャード・マシスン著 田中小実昌訳
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現在公開中のウィル・スミス主演映画『アイ・アム・レジェンド』の原作本。原題は『I am Legend』。
初出は1954年。その後3度映画化され、日本で公開されるたびにそれぞれ違ったタイトルで新訳が出ている。最初の邦訳タイトルは『吸血鬼』(1958年)、1964年に原作にほぼ忠実な映画『地球最後の男』がつくられた後、2度めの映画化となったチャールトン・ヘストン主演作『地球最後の男オメガマン』の公開にあわせて1971年に刊行された『地球最後の男<人類SOS>』、そして昨年映画タイトルにあわせて『アイ・アム・レジェンド』と改題した新訳が刊行されている。
今回ぐりが読んだのは71年バージョンの文庫版だが、大雑把に整理するとひとつの小説とその映画化作品に『吸血鬼』『地球最後の男』『アイ・アム・レジェンド』に3パターンのタイトルがついていることになる。ややこしい。
しかも71年の『オメガマン』と去年の『レジェンド』はストーリーも途中からは原作からかなり離れ、“レジェンド=伝説”の意味がまったくべつものになってしまっている。実をいうとぐりはどの映画化作品も観たことはないのだが(爆)、観てみたいものをどれか選ぶとすれば、やはり原作に忠実な『地球最後の男』を挙げるだろう。
小説の舞台は1976年から79年のロサンゼルス。書かれた年代よりも20年余り先、つまり近未来を題材にしている。36歳のロバートは疫病の流行で妻や娘ばかりか隣人も友人も亡くし、たったひとりで、夜になると襲ってくる吸血鬼たちと戦いながら暮している。昼間は誰もいない街へ出て食糧や生活必需品をかき集め、家の周りの防御を整え、眠っている吸血鬼たちを殺してまわる。夜は家の中に閉じこもり、外で騒ぎたてる吸血鬼たちの声や物音におびえ、孤独に苛まれながら眠る。
疫病に感染した死者がよみがえって生き血を求めて人を襲うところまでは既存の“吸血鬼伝説”に似ているのだが、ロバートがその疫病がどのように人から人へ感染し、なぜ彼らがニンニクや十字架や日光を嫌うのかを必死で研究するところがスリラーではなくSF小説らしいところである。
しかしこの小説が単なるSFでないところは、やはりその凄まじいほどリアルで緻密なディテールの表現と、まさに衝撃的なエンディングにつきるだろう。
原題の“I am Legend”とは主人公の最後の言葉なのだが、彼はそのことに気づくまで、自分のしていることの正否にほとんど一顧だにしない。昼間眠り、人の生き血をすする吸血鬼たちにも彼らなりの価値観があるなどということは、まるで想像もしないのだ。客観的にみれば、彼の行為は犯罪以上のテロリズムともいえてしまうのだが、相手側の言葉を聞くまで、彼はその事実にいっさい気づかない。
これまでにも指摘されている通り、この小説のモチーフには冷戦の狂気が想定されているのは疑いようもない。この小説が発表されたのは前述の通り1954年、アメリカでは赤狩りの嵐が終局に向かい始めたころということになる。映画『グッドナイト&グッドラック』に描かれたマッカーシー上院議員とジャーナリストのエド・マロウとの批判合戦はこの年の出来事である。当時、西側の世論は社会主義は共産主義、=悪、恐怖としてしかみなそうとはしていなかった。後になって考えれば狂っているとしか思えない考え方だが、そのころはそれが当り前だったのだ。
小説ではその「相手側の言葉」は終盤になるまで登場せず、前半〜中盤はひたすらめんめんとロバートの孤独な生活が描写されつづける。社会機能が停止し、電気や食糧の供給もなくなり、通信手段もない、ひとりぼっちの都会生活者がいかに現実をサバイブしていくかが、じつにあらゆる表現方法で描かれている。このあたりは次作『縮みゆく人間』と共通する部分も多いが、おそらく当時のアメリカ社会全体の近代化にともなう潜在的な恐怖を表現しているのだろう。電気や電話やクルマやスーパーマーケットなしにどうやって暮していくのかを、現代の人間のうちどのくらいの人がうまく想像できるだろう。
去年の映画化作品もこの原作に忠実なら観たかったけど、途中で大幅な撮り直しが行われたそうで物語自体破綻しているとも聞く。それでもアメリカではめちゃくちゃヒットしたっちゅーから、よくわかんないもんです。
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現在公開中のウィル・スミス主演映画『アイ・アム・レジェンド』の原作本。原題は『I am Legend』。
初出は1954年。その後3度映画化され、日本で公開されるたびにそれぞれ違ったタイトルで新訳が出ている。最初の邦訳タイトルは『吸血鬼』(1958年)、1964年に原作にほぼ忠実な映画『地球最後の男』がつくられた後、2度めの映画化となったチャールトン・ヘストン主演作『地球最後の男オメガマン』の公開にあわせて1971年に刊行された『地球最後の男<人類SOS>』、そして昨年映画タイトルにあわせて『アイ・アム・レジェンド』と改題した新訳が刊行されている。
今回ぐりが読んだのは71年バージョンの文庫版だが、大雑把に整理するとひとつの小説とその映画化作品に『吸血鬼』『地球最後の男』『アイ・アム・レジェンド』に3パターンのタイトルがついていることになる。ややこしい。
しかも71年の『オメガマン』と去年の『レジェンド』はストーリーも途中からは原作からかなり離れ、“レジェンド=伝説”の意味がまったくべつものになってしまっている。実をいうとぐりはどの映画化作品も観たことはないのだが(爆)、観てみたいものをどれか選ぶとすれば、やはり原作に忠実な『地球最後の男』を挙げるだろう。
小説の舞台は1976年から79年のロサンゼルス。書かれた年代よりも20年余り先、つまり近未来を題材にしている。36歳のロバートは疫病の流行で妻や娘ばかりか隣人も友人も亡くし、たったひとりで、夜になると襲ってくる吸血鬼たちと戦いながら暮している。昼間は誰もいない街へ出て食糧や生活必需品をかき集め、家の周りの防御を整え、眠っている吸血鬼たちを殺してまわる。夜は家の中に閉じこもり、外で騒ぎたてる吸血鬼たちの声や物音におびえ、孤独に苛まれながら眠る。
疫病に感染した死者がよみがえって生き血を求めて人を襲うところまでは既存の“吸血鬼伝説”に似ているのだが、ロバートがその疫病がどのように人から人へ感染し、なぜ彼らがニンニクや十字架や日光を嫌うのかを必死で研究するところがスリラーではなくSF小説らしいところである。
しかしこの小説が単なるSFでないところは、やはりその凄まじいほどリアルで緻密なディテールの表現と、まさに衝撃的なエンディングにつきるだろう。
原題の“I am Legend”とは主人公の最後の言葉なのだが、彼はそのことに気づくまで、自分のしていることの正否にほとんど一顧だにしない。昼間眠り、人の生き血をすする吸血鬼たちにも彼らなりの価値観があるなどということは、まるで想像もしないのだ。客観的にみれば、彼の行為は犯罪以上のテロリズムともいえてしまうのだが、相手側の言葉を聞くまで、彼はその事実にいっさい気づかない。
これまでにも指摘されている通り、この小説のモチーフには冷戦の狂気が想定されているのは疑いようもない。この小説が発表されたのは前述の通り1954年、アメリカでは赤狩りの嵐が終局に向かい始めたころということになる。映画『グッドナイト&グッドラック』に描かれたマッカーシー上院議員とジャーナリストのエド・マロウとの批判合戦はこの年の出来事である。当時、西側の世論は社会主義は共産主義、=悪、恐怖としてしかみなそうとはしていなかった。後になって考えれば狂っているとしか思えない考え方だが、そのころはそれが当り前だったのだ。
小説ではその「相手側の言葉」は終盤になるまで登場せず、前半〜中盤はひたすらめんめんとロバートの孤独な生活が描写されつづける。社会機能が停止し、電気や食糧の供給もなくなり、通信手段もない、ひとりぼっちの都会生活者がいかに現実をサバイブしていくかが、じつにあらゆる表現方法で描かれている。このあたりは次作『縮みゆく人間』と共通する部分も多いが、おそらく当時のアメリカ社会全体の近代化にともなう潜在的な恐怖を表現しているのだろう。電気や電話やクルマやスーパーマーケットなしにどうやって暮していくのかを、現代の人間のうちどのくらいの人がうまく想像できるだろう。
去年の映画化作品もこの原作に忠実なら観たかったけど、途中で大幅な撮り直しが行われたそうで物語自体破綻しているとも聞く。それでもアメリカではめちゃくちゃヒットしたっちゅーから、よくわかんないもんです。