『ロスト・オフィサー』 山田真美著
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先日読んだ『生きて虜囚の辱めを受けず カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走』を翻訳した山田真美氏はプロの翻訳家ではなく、戦史の専門家でもないらしい。たまたま著者ゴードン氏と面識があり、彼から直接依頼を受けて翻訳にあたったという。ゴードン氏いわく、彼女のように何の先入観もない人が訳した方がいいかもしれないと思ったのだそうだ。実際、『生きて〜』より15年以上前にゴードン氏が書いた『爼上の鯉―カウラ収容所日本人捕虜集団脱走事件』にはひどい誤訳があったり、内容に批判的な解説がついていたりして少々問題のある日本版になっているという。
ゴードン氏は『爼上の鯉』を書いた後も取材を続け、バージョンアップ版として『生きて〜』を書いた。山田氏は著者本人のアドバイスを受けながら作業を進めるうち、登場する捕虜の生残りに会い、また現地カウラにも取材する機会を得て、カウラ事件の深層に否応なく引き込まれていく。
この本はそうした山田氏自身の“カウラ体験”を描いたノンフィクションである。
んー。これは読まなくてもよかったかなー?読んでもべつに問題はないんだけどもー。決してつまらない本ではないですし。
とりあえずこの本、『生きて〜』を読んでない読者にはかなり意味不明とゆーか、それこそ読んでも意味ないのでわ。そーゆー本ってちょっとないんじゃないのかなー?
確かに山田氏のした経験は特異なものだし、それを本にまとめたいとゆー気持ちはわかるんだけど、いかんせん一冊の書物としての構成力に問題がありすぎるでしょー。なんちゅーかグダグダよ。この本でいったい何をいいたいのか、どこへ行きたいのかがよくわからない。どこそこへ行った、誰それに会った、これこれこんなことをした、ひたすらそればっかしですもん。きわめつけは結末。思いっきり尻キレですやん。すんごい放り出し方。こんなんアリ?カンペキ読者無視してるでしょー?頼んますよマジで。
ただやっぱり山田氏の取材した内容はなかなか珍しいものではあるし、そういう意味では価値ある資料とはいえなくもない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は戦時中の兵士を苦しめたばかりでなく、戦後も元捕虜差別という形で日本社会に影を落とし続けていた。無事に復員しても家族や友人にさえ捕虜だった過去を話せず、孤独な嘘をつき通して暮した元日本兵は大勢いる。復員兵たちの中には各々で戦友会という同窓会のようなグループをつくって交流を楽しんだ人々も多いが、捕虜だったという理由で入会を拒まれるケースもあったそうだ。
そんな状況のなかで、捕虜としての経験を語る証言者を見つけだし、収容所でのできごとや事件前後の経緯を聞き出せたのは、ひとえにオーストラリアでの捕虜生活が彼らにとって良い思い出になっているからだろう。逆にいえば、あくまで民主的だったオーストラリア軍に対して、日本軍や日本という国がどれほど非人間的であったかという対比を表わしているともいえるかもしれない。
思わず笑ってしまったのは、同じ収容所のイタリア人捕虜からラブレターをもらったと書き残した元捕虜の手記。相当に熱い文面だったそうだが、それにちゃんと英語で返事を書いたというからなんとゆーかさすがです。
この手記には日本人捕虜が催した演芸会で女形を若い捕虜に演じさせたら、周りも本人もその気になってしまってというくだりもある。リアル『戦メリ』状態である。あまりに長期間女性から離れてれば自然と男性同士で代用行為が求められてくるのは、いつの時代どこの国でも同じらしい。
戦時性暴力を含めこうした“戦場での性”について当事者自ら言及した本は日本では少ないのではないだろうか。まさに臭いものにはフタの国。そんなものは文化でもなんでもないと思うんだけどねえ。
ちなみにこのカウラ事件をモチーフにしたオーストラリア映画『Broken Sun』がKAWASAKIしんゆり映画祭2008で上映される。都合があえばこの機会に観ておきたいのですが。
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先日読んだ『生きて虜囚の辱めを受けず カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走』を翻訳した山田真美氏はプロの翻訳家ではなく、戦史の専門家でもないらしい。たまたま著者ゴードン氏と面識があり、彼から直接依頼を受けて翻訳にあたったという。ゴードン氏いわく、彼女のように何の先入観もない人が訳した方がいいかもしれないと思ったのだそうだ。実際、『生きて〜』より15年以上前にゴードン氏が書いた『爼上の鯉―カウラ収容所日本人捕虜集団脱走事件』にはひどい誤訳があったり、内容に批判的な解説がついていたりして少々問題のある日本版になっているという。
ゴードン氏は『爼上の鯉』を書いた後も取材を続け、バージョンアップ版として『生きて〜』を書いた。山田氏は著者本人のアドバイスを受けながら作業を進めるうち、登場する捕虜の生残りに会い、また現地カウラにも取材する機会を得て、カウラ事件の深層に否応なく引き込まれていく。
この本はそうした山田氏自身の“カウラ体験”を描いたノンフィクションである。
んー。これは読まなくてもよかったかなー?読んでもべつに問題はないんだけどもー。決してつまらない本ではないですし。
とりあえずこの本、『生きて〜』を読んでない読者にはかなり意味不明とゆーか、それこそ読んでも意味ないのでわ。そーゆー本ってちょっとないんじゃないのかなー?
確かに山田氏のした経験は特異なものだし、それを本にまとめたいとゆー気持ちはわかるんだけど、いかんせん一冊の書物としての構成力に問題がありすぎるでしょー。なんちゅーかグダグダよ。この本でいったい何をいいたいのか、どこへ行きたいのかがよくわからない。どこそこへ行った、誰それに会った、これこれこんなことをした、ひたすらそればっかしですもん。きわめつけは結末。思いっきり尻キレですやん。すんごい放り出し方。こんなんアリ?カンペキ読者無視してるでしょー?頼んますよマジで。
ただやっぱり山田氏の取材した内容はなかなか珍しいものではあるし、そういう意味では価値ある資料とはいえなくもない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は戦時中の兵士を苦しめたばかりでなく、戦後も元捕虜差別という形で日本社会に影を落とし続けていた。無事に復員しても家族や友人にさえ捕虜だった過去を話せず、孤独な嘘をつき通して暮した元日本兵は大勢いる。復員兵たちの中には各々で戦友会という同窓会のようなグループをつくって交流を楽しんだ人々も多いが、捕虜だったという理由で入会を拒まれるケースもあったそうだ。
そんな状況のなかで、捕虜としての経験を語る証言者を見つけだし、収容所でのできごとや事件前後の経緯を聞き出せたのは、ひとえにオーストラリアでの捕虜生活が彼らにとって良い思い出になっているからだろう。逆にいえば、あくまで民主的だったオーストラリア軍に対して、日本軍や日本という国がどれほど非人間的であったかという対比を表わしているともいえるかもしれない。
思わず笑ってしまったのは、同じ収容所のイタリア人捕虜からラブレターをもらったと書き残した元捕虜の手記。相当に熱い文面だったそうだが、それにちゃんと英語で返事を書いたというからなんとゆーかさすがです。
この手記には日本人捕虜が催した演芸会で女形を若い捕虜に演じさせたら、周りも本人もその気になってしまってというくだりもある。リアル『戦メリ』状態である。あまりに長期間女性から離れてれば自然と男性同士で代用行為が求められてくるのは、いつの時代どこの国でも同じらしい。
戦時性暴力を含めこうした“戦場での性”について当事者自ら言及した本は日本では少ないのではないだろうか。まさに臭いものにはフタの国。そんなものは文化でもなんでもないと思うんだけどねえ。
ちなみにこのカウラ事件をモチーフにしたオーストラリア映画『Broken Sun』がKAWASAKIしんゆり映画祭2008で上映される。都合があえばこの機会に観ておきたいのですが。