落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ニッチな香港

2008年10月19日 | movie
『些細なこと』

夫婦生活に不満を持つ心理学者夫妻、便器についた他人の大便をオシッコで流すことを“公共マナー”とうそぶく男、断固として婚前交渉を拒む彼女を必死に説得する恋人、極度にビジネス化した大陸暗殺者集団など、香港社会独特の悲喜こもごもを描いた彭浩翔(パン・ホーチョン)の短編小説集を原作者自ら映像化したオムニバス作品。

えー。おもしろかったです。毎度のことながら。マジで、おもろかった。
予算がなくてやむを得ず短編集になったと監督は説明してたけど、大抵こういう「映画を撮る」ことが目的化した作品て凡作が多いんだよね。映画は基本は撮りたいテーマがあってつくられるからおもしろくなるものだからさ。
けどそこは天才彭浩翔、お金がなくたってやることはきっちりやります。しかもちゃんとスターが出てる。それも景気良くバンバンと。すばらしいー。こーゆーとこに香港映画界の自由さを感じます。資金不足が深刻化して大陸資本に支配されると同時に、中国電影局の審査に通過するためにどんどん過激さを失っていっているといわれる香港映画だけど、たぶん映画がつまらなくなるのは過激じゃなくなるからというだけじゃないと思う。心の自由は規則だけじゃ縛れないからね。正規の中国映画にだってちゃんとおもしろい映画はあるしさ。大体、ビーチクやらインモーやらまるだしの娼婦なんて香港映画には前から出てこなかったじゃん(この映画には出てくる)。少なくともぐりの記憶の中にはないし、そーゆーのはわざわざ出さずともおもしろい映画はつくれる。出したい彭浩翔の気分はわからんでもないですが。

監督もいちばん気に入っているという「おかっば頭のアワイ」がぐりもいちばんおもしろかった。
これは舞台が80年代、当時スーパーアイドルだった陳百強(ダニー・チャン)のヒットナンバーを歌ってカラオケ大会に出ようとする女子高生ふたりが主人公。タイトルのおかっぱ少女は相方を親友と思いこんで望まない妊娠を相談するのだが、相方の方は彼女にあまり関心がなく、堕胎費用惜しさに「好きな人の子どもなんだから結婚して産めば」と適当に励ましてしまう。本人はアルバイトして貯めたお金でボーイフレンドと日本に旅行に行き、やはり妊娠してしまうのだが・・・という、わりとリアルにありそうな話である。物語の背景にこの20年の香港社会の変遷がナニゲに反映されてるところも生々しい。
問題はおかっぱ少女を演じているのが鍾欣桐(ジリアン・チョン)というこれまたスーパーアイドルというところだろう。彼女自身TWINSというアイドルユニットで蔡卓妍(シャーリーン・チョイ)とコンビを組んで活動している(現在活動休止中)。友だちの本心を斟酌せず、脳天気に自分の気持ちばかり押しつけるおかっぱ少女のキャラクターには、どこか鍾欣桐自身のパブリックイメージが重なって見えておかしい。
鍾欣桐といえば今年初めに香港芸能界を大混乱に陥れたわいせつ写真事件の被害者のひとりだが、この映画にはもう一方の当事者である陳冠希(エディソン・チャン)も出ている。酔っぱらってトイレでの公共マナーを延々とひけらかす彼の姿には、今となっては事件後だからこそのおかしみが漂っていてもうたまりません。おもしろすぎる。

あとぐりは最初の「不可抗力」もお気に入りです。彭浩翔はしばしばビックリするくらい女性心理を的確に捉えたシナリオを描くけど、今回の短編の中ではこれが秀逸でした。もー傑作っすよ〜。まいったねこりゃ。使えない殺し屋役の余文樂(ショーン・ユー)@「ジュニア」もサイコーでしたわん。
しかし毎年この映画祭に出て毎回大好評の彭浩翔作品なのに、これまで一本も日本では一般公開されていない。配給権は売れるのに公開されないのである。このクオリティを目にしてしまうと、昨今洋画は当たらないという日本の世論が完全に間違っているという現実を強く認識せざるを得ない。洋画が当たらないんじゃない。海外映画に罪はない。せっかくいい映画を買いつけてきても、内容に見合う客をきちんと呼ぶだけのスキルが映画業界にないのだ。
字幕がどーとかテーマ曲がどーとかそーゆー問題じゃない。映画業界自身が積極的に観客層を育ててこなかった長年の怠慢の結果だと思う。けどだからってせっかく買った傑作をオクラにしとくのは勝手すぎます。他に上映したい企業が現れても手が出せなくなる。公開せんのやったら買わんでええやろがー。

365歩のマーチ

2008年10月19日 | movie
『がんばればいいこともある』

ソニアは4人の子どもを抱えてコインランドリーを切り盛りしつつ老人介護の仕事もしている主婦。長女クリスティの結婚式当日、夫が突然死。娘を無事に結婚させたい彼女はアパートの隣人である老人に助けを求めるのだが・・・。
パリ郊外の団地を舞台に、従来のフランス映画にはあまり登場しないアフリカ系移民社会を描いたホームドラマ。

すごいおもしろかったー。
フランス映画だけど見た目はアメリカ映画みたいです。だって登場人物9割アフリカ系だし、かかってる音楽もヒップポップとかラテンとかやっぱりアフリカ系。会話や物語の進行もアメリカのアフリカ系社会を題材にしたそれとそっくりです。
アメリカ映画と違ってやっぱりフランス映画だなと思うのは、恋愛やセックスの描写が非常に繊細なところ。ソニアが貞淑だからというだけでなく、恋愛や男女の性関係をストレートには描かず、一定の距離を置きつつたっぷりとロマンティックに、そしてかつ狂気と矛盾を孕んだ人の欲望そのものとして、きちんと立体的に再現しようとしている。愛や性は商品じゃない、という主張が根底に強く感じられる。

ちょっと残念だなと思ったのは、女性キャラクターがそれぞれ魅力的に表現されてるのに対して、男性キャラクターがどれもハンコで押したように似通ってしまっている点。とくにアフリカ系の男性キャラクターは全員同一人物で顔だけ違うんかいってくらいいっしょ。キモチはわかるんだけど露骨すぎやしませんかい〜?
ただあまりにも“ポリティカル・インコレクトネス”な物語をあえてつくった監督の意図するところは非常によくわかる、とても素直な映画ではある。原題の“Aide toi et le ciel t'aidera”は「神は自ら助くる者を助く」という意味だが、ヒロインは何が起きても「解決法はあるはず」といって冷静さを失わない。なんだって嘆いたり愚痴ったりしてるだけじゃどうしようもない。自分がどうしたいかを考えて行動しましょうよ、幸せは自分でつかもうよ、ってことなんだよね。

天水圍の人々

2008年10月19日 | movie
『生きていく日々』

夫に先立たれたクワイは息子のガーオンとふたり暮し。大学進学を控えた夏休み、ガーオンは一日中寝てばかりという無気力な日々を過ごしている。クワイは勤務先で知りあった近所の老女とふとした親切から親しくなる。
90年代以降に開発が進み、低所得者層が多く住む巨大な団地が立ち並ぶ天水圍地区を舞台とした物語。

いやー。
さすが許鞍華(アン・ホイ)。すばらしい。ブラボー。凄い。
スターは誰も出ていない(見覚えのあるベテランはいっぱい出ているが)。とくにどーっちゅードラマも何ひとつ起こらない。起こりそうな予兆はぱんぱんに満ちているのだが、いざという段になってもかならず土壇場で火種は消えてしまう。アンチクライマックスもここにきわまれり。それなのに観ていてドキドキワクワクする。
たとえばぐり的に「これは!」と思ったのはヒロインの息子。主人公は母親で、息子はぶっちゃけなんにもしない。すごく無口で、ひたすらぐーすか寝てて、まるで老犬のようにおとなしい。基本的に無表情だが顔は可愛いし愛想も悪くない。成績は良いらしく教師の覚えもめでたく、どこにいても夕食時には必ずうちに帰って来るし、母親に何をいわれても口答えひとつせずに黙々と従う。完全無欠な受け身少年である。年齢的には(17歳くらい)こんなにおとなしい子は珍しいんじゃないかと思うし、実際同級生たちは反抗し放題の生意気盛りである。
だからこの子がおとなしくしていればいるほど、この子と母親との絆のあたたかさと奥深さを強く感じる。この子がおとなしくしているにはそれ相応のわけがある。息子は母親を指して「幸せそう」というのだが、この子はきっと自分が何もしないでもただ母親の傍にいるだけで彼女を幸せにしてあげられることを、感覚的にちゃんと知っているのではないだろうか。母親も息子に(今のところ)多くを求めようとはしていない。毎日いっしょにいられるだけでじゅうぶんなのだ。

ぐりはこの舞台となった天水圍のことはよく知らないのだが、香港の中心部から離れていることもあり、失業者や心身に障害を持つ人、年金生活者や生活保護を受けている人たちなど、香港社会からドロップアウトしてしまった人々が多く暮していて、高層アパートから飛び下り自殺を図る人も毎年かなりの数がいるらしい。家庭内暴力なども社会問題化していて、香港では悲観的なニュースで取りあげられることが多い地域だそうだ。
だが許鞍華はそんな天水圍にもごく当り前の日常をそれなりに楽しく過ごしている人たちもいるはずだと考えてこの作品を撮ったらしく、映画そのものからは天水圍の影の部分はそう強くは感じない。ひとり暮しの老女のいかにももの寂しげな生活ぶりにその一端がうかがえないこともないが、独居老人の生活など天水圍に限らずどこだって孤独なものではないだろうか。

予算不足のためデジタル撮影でしかもレンズは2本のズームレンズのみという厳しい環境で撮影されたそうで、映像的にはぐりとしてはかなり不満は感じた。今日ティーチインに登壇した林志堅(チャーリー・ラム)は撮影監督で、これまでにも『些細なこと』『出エジプト記』『イザベラ』『AV』などの彭浩翔(パン・ホーチョン)作品や『ベルベット・レイン』『永遠の夏(邦題:花蓮の夏)』 など個性的な作品を多く撮っている人なのだが、今回は画面そのものに迷いがあるように見えてちょっと困ってしまった。「ホントはこれこれこういう映像が撮りたいのに撮れない」とゆージレンマがありありと伝わってくる。だってあんなしゃちほこばったズームとかパンニングとかやる意味が全然わからない。カメラの動きに緊張感がなさ過ぎて参りました。
そんなワケで司会者が撮影ネタの質問を募ろうとしてもまったく会場盛り上がらず。
あとぐり的には途中数回挟まれた60年代の静止画場面はいらなかったと思います。こういう題材だからこそ安い感傷はこの際ばっさり切り捨てた方がよかったのでは。

でもホントに良い映画でした。許鞍華作品はここしばらく日本では滅多に一般公開されないけど(何を隠そうぐりは映画祭でしか観てません)、この作品もちょっと難しいでしょーねー。地味だもん。
けど地味で悪いかと開き直ればこれはすばらしい映画です。ハイ。

関連レビュー:『MY MOTHER IS A BELLY DANCER』