落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

Strange Fruit

2008年10月25日 | movie
『Broken Sun』

舞台は1944年、オーストラリアの田舎町、カウラ。
第一次世界大戦で心に大きな傷を負い、ひとりで農場を営むジャック(Jai Koutrae)は、ある日捕虜収容所から脱走したマサル(宇佐美慎吾)と出会い、自宅に連れ帰る。捜索隊を待つ間、ふたりは互いの悲しい体験を語り合う。
公式サイトにはカウラ市の協力で製作されたと書かれているが、実際には監督とプロデューサーの完全な自主制作映画。ふたりはちょうど今日、結婚したそうだ。

545人の捕虜が集団自決同然に脱走を試みて235人もの死者を出したカウラ事件そのものは日豪両国でこれまでに何度か映像化されているが、この映画は低予算の自主制作ということもあって、事件から一歩離れたパーソナルなドラマとして描かれている。
事件そのものを見ようとするとついその犠牲者の数と事件の規模の大きさに注意が向いてしまうが、いつのどこの戦争でも、そこで戦い、命を落とした人にもそれぞれの心があり、人生があり、魂があったはずである。この物語はそこの個の部分に必死にフォーカスしている。
ジャックは前線でガス弾の被害に遭って肺を患っているだけでなく、そこで自分がしたこととしなかったことの両方に精神を苛まれ続けている。マサルは日本人としての尊厳と、一個人としての尊厳との間で激しく葛藤している。ふたりの心を通わせるのは、前線を離れてもなお戦争の不条理に振り回され、迷い続ける出口のない長い苦悩である。

実はこの映画をオーストラリアで観た日本人の批判的なレビューを数ヶ月前に読んでしまい、今日観るかどうか悩んだのだが、実際観てみてすごくよかったです。
確かに傑作ではないです。でも力作です。それも相当にきちんとつくりこまれた、真面目な力作。いい映画です。間違いなく。
やっぱり日本軍・日本兵の描写には不自然さはあるけど、ぶっちゃけそんなの何が自然で何が不自然かなんて現代のわれわれに正確な判断なんかできるはずがない。判断材料そのものがフィクション、伝聞でしかないからだ。日本でつくられてる戦争映画だってどこまで正確かわかったもんじゃない。勝手に知ったつもりになってしまうことの方がほんとうはずっと怖いことだ。
そういう枝葉末子のリアリズムよりも、ぐり個人としては、「親友を殺せるか」というジャックとマサルの問答の方がずっとずっと重く、悲しかった。どんな状況でだって親友を殺すことなんかできない、ただの想像でそういってしまうのは簡単なことだ。しかしある状況では、殺してくれとすがる親友を手にかけてもかけなくても、人は一生後悔しつづけることになる。この映画ではそれが戦争だといっている。親友を殺すか殺さないかという選択を迫られることさえあるのが戦争なのだ。これがリアルというものではないだろうか。
「ジャックは無事に生きて帰って良かったと思うか?」というマサルの問いが、深く胸に突き刺さる。

ジャックとマサルの二人劇を軸に、ふたりそれぞれの前線でのシーンがフラッシュバックで挿入される構成になっているが、全体としてかなり淡々とした穏やかな物語進行になっていて、つくりが丁寧過ぎて若干冗長には感じたものの、非常に感動的な良作に仕上がってたと思います。
ただ、デジタル撮影でしかもどうも日本での上映版のコンバートに不備があったらしく画質が悪く、音にも微妙なズレがあったりして映像のクオリティにはちょっと難はありました。それと音楽が大袈裟なのはいただけなかった。
上映後に主演の宇佐美慎吾のトークショーがあり、貴重なお話もいろいろ聞くことができた。客席はほぼ満席に近い状態だったのだが、司会者が「カウラ事件を今日まで知らなかった人はいますか」と問うと場内の大半の人が挙手したのには驚き。7月にドラマも放送されたし、てっきり知ってて観にきた人ばっかりかと思ってました。
せっかくいい映画なので、また今後も日本で公開される機会があるといいなと思います。次回上映は29日の予定。


関連レビュー:
『生きて虜囚の辱めを受けず カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走』 ハリー・ゴードン著
『ロスト・オフィサー』 山田真美著

マットの下に

2008年10月25日 | movie
『雲の下を』

レーナ(ダニエル・ホール)はアイルランド人の父とアボリジニの母の間に生まれたハーフ。離れて暮す父を訪ねて家出した彼女は、死の床にある母親を見舞う目的で刑務所を脱走したアボリジニのヴォーン(ダミアン・ピット)に出会い、旅をともにすることになるのだが・・・。
ヒロインと似た背景をもつ監督自身の体験に基づくロードムービー。

オーストラリアといえば?
コアラ?カンガルー?グレートバリアリーフ?ヒース・レジャーやニコール・キッドマンの故郷?
オーストラリアについてなんにも知らないぐり。過去も歴史も文化もなんにも知らない。アボリジニって単語だけは知ってても、実際どんな人たちで今はどんな生活をしているのか、まったくわからない。
もともとイギリスの流刑地だったオーストラリア。ヨーロッパから入植した白人が原住民を迫害し、土地を奪って建国した国。現在では完全に西欧の文化圏に属しながら、西欧から最も遠く、アジアに近いオセアニアに位置する国。

登場人物も極端に少ないし台詞も少ないし、説明らしい説明もなくてものすごくシンプルな作品だけど、おそらく、従来のオーストラリアの対外的イメージの中ではあまり語られてはこなかった部分を、非常に丁寧に真面目に描いた秀作だと思う。
主要な登場人物はヒロイン・レーナと相棒ヴォーンのみ。他は彼らふたりの周辺人物が1〜2シーン出てきては去って行くだけ。レーナとヴォーンがもともと見ず知らずの行きずりなので会話は最低限しかない。ふたりとも無口な性格に設定されているのかもしれないが、特殊な状況が彼らの口を重くしているのかもしれない。
でもだからこそ、時折口を突いて出る言葉のひとつひとつがとても重い。いっている言葉そのものには信憑性はない。レーナはアイルランド出身を名乗りながら、おそらくその土地を実際に目にしたことはないものと思われる。ヴォーンは誰かから聞きかじったらしいアボリジニの悲劇の歴史を恨みたっぷりに語るが、結局彼自身の生き方の言い訳にしかなっていない。それでも彼らの言葉は、ほんとうに素直な彼らの心をストレートに表現している。
決して打解けあうことのないふたりの会話は、いつまで経っても噛みあうようで噛みあわない。それなのに、ふたりの心はいつか寄り添い始め、互いを自然に認めあうようになっていく。
そこには安易な理解や感傷などというものは存在しない。ほんとうはそんなものいらないのだ。必要なのは、許すことと受け入れることだけなのかもしれない。

出演者がプロの俳優なのかどうなのかちょっとわからないんだけど台詞廻しが異様に固くて、それをカバーするためかやたらに四角四面なカットバックが多用された編集が観ててしんどかったけど、コントラストの効いたライティングや画面構成はオシャレで、映像そのものは非常に美しかったです。妙に大袈裟な音楽はちょっとサムかったかな。
主役のふたりはふたりとも眼ヂカラがすごかった。いわゆる眼千両?ってやつでしょうか。
人種差別や歴史問題など、今を生きる子どもたちにものしかかる重荷に負けないで欲しいという、監督の熱く静かなメッセージがひしひしと伝わる力作でした。拍手。