『臓器漂流―移植医療の死角』 木村良一著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4591103455&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
2005年に産経新聞に掲載された連載記事をまとめた移植医療の現場レポート。
このタイトルはえーと・・意味おかしいですね。明らかに。だって「漂流」するのはレシピエント=移植を待つ患者であって臓器≒ドナーじゃないし、レシピエントは移植医療の死角でもなんでもない。思いっきり主役である。よーするにインパクトなんだよね。内容とタイトルが食い違ってたって注目されて売れりゃあそれでいいわけですよ。出版界もオシゴトですからー。
臓器移植について新しめで読みやすそうな本をと思って選んだけど、ぶっちゃけ失敗でした。
もとが新聞記事なので文体にひどいクセがあり(センテンスが極端に短くむやみに読点が多い。全体に断定調)、しかもテーマが散漫なうえにどの項も踏み込み不足でやけに感情的な論調がめだつ、相当に問題のある本だと思う。内容もテーマの割りに薄すぎる。読みやすくはあるけど読みごたえとゆーものがまったくない。完全に読者をナメてます。
大体、東南アジアや中国の臓器売買・死刑囚ドナーの問題にしても、その国で合法ならあとは知ったこっちゃないってまとめ方はありえへんやろ。臓器が売れるからってただの痴漢や食い逃げが死刑にされてたらどーすんのよ(あり得ない話ではない)。豊かな国の人間が貧しい国の人間の尊厳をカネで買って世界の貧困問題が解決したら誰も苦労なんかしない。
確かに日本はどこの国よりも圧倒的にドナーが不足している。そのための法整備も遅れに遅れまくっている。移植を待っている患者はばたばたと死んでいく。あるいは倫理問題を踏み越えても臓器を求めて諸外国を‘漂流’する道を選ぶ。それを悲劇と呼びたい人がいるのは致し方のない現実だ。
だがこの本を読んでいてどうしてもひっかかるのが、移植医療だけが患者を‘救う’唯一の手だてとしてしかとらえられていない、傲慢なまでの視野の狭さである。
広い世の中には、移植が必要になっても「移植を受けてまで長生きしたくない」「移植とは別な道で充実した生涯を過ごしたい」と考える患者も実在する。一方で移植を選択できない事情を抱えた患者もいる。そしてそうした患者をサポートするクオリティ・オブ・ライフの概念も医療の重要な一分野である。それこそが「移植医療の死角」と呼ばれるべきではないのか。
ES細胞やiPS細胞を使った再生医療にも注目は集まっており、既に一部の移植手術では患者本人の身体からつくられた自前の組織を使うこともできるようになっている。皮膚や歯や骨、角膜などでは完全な実用化もそう遠くない将来に実現可能だといわれている。あるいは臓器も自前でつくれる日がくるのも夢ではないかもしれないのだ。
医療は魔法の杖なんかじゃない。‘救う’ったって限界があって当たり前である。この本では、そんな限界がまるで許されない罪でもあるかのように書かれているように思えて仕方がなかった。そんなワケないでしょーが。
ただしこないだ読んだ『脳死・臓器移植の本当の話』が脳死移植をどっちかというと「非」とする論点から書かれてるのに対して、この本は「是」とする論点から書かれてるという意味では好対照ではあったけど。けどそれだけなりー。
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2005年に産経新聞に掲載された連載記事をまとめた移植医療の現場レポート。
このタイトルはえーと・・意味おかしいですね。明らかに。だって「漂流」するのはレシピエント=移植を待つ患者であって臓器≒ドナーじゃないし、レシピエントは移植医療の死角でもなんでもない。思いっきり主役である。よーするにインパクトなんだよね。内容とタイトルが食い違ってたって注目されて売れりゃあそれでいいわけですよ。出版界もオシゴトですからー。
臓器移植について新しめで読みやすそうな本をと思って選んだけど、ぶっちゃけ失敗でした。
もとが新聞記事なので文体にひどいクセがあり(センテンスが極端に短くむやみに読点が多い。全体に断定調)、しかもテーマが散漫なうえにどの項も踏み込み不足でやけに感情的な論調がめだつ、相当に問題のある本だと思う。内容もテーマの割りに薄すぎる。読みやすくはあるけど読みごたえとゆーものがまったくない。完全に読者をナメてます。
大体、東南アジアや中国の臓器売買・死刑囚ドナーの問題にしても、その国で合法ならあとは知ったこっちゃないってまとめ方はありえへんやろ。臓器が売れるからってただの痴漢や食い逃げが死刑にされてたらどーすんのよ(あり得ない話ではない)。豊かな国の人間が貧しい国の人間の尊厳をカネで買って世界の貧困問題が解決したら誰も苦労なんかしない。
確かに日本はどこの国よりも圧倒的にドナーが不足している。そのための法整備も遅れに遅れまくっている。移植を待っている患者はばたばたと死んでいく。あるいは倫理問題を踏み越えても臓器を求めて諸外国を‘漂流’する道を選ぶ。それを悲劇と呼びたい人がいるのは致し方のない現実だ。
だがこの本を読んでいてどうしてもひっかかるのが、移植医療だけが患者を‘救う’唯一の手だてとしてしかとらえられていない、傲慢なまでの視野の狭さである。
広い世の中には、移植が必要になっても「移植を受けてまで長生きしたくない」「移植とは別な道で充実した生涯を過ごしたい」と考える患者も実在する。一方で移植を選択できない事情を抱えた患者もいる。そしてそうした患者をサポートするクオリティ・オブ・ライフの概念も医療の重要な一分野である。それこそが「移植医療の死角」と呼ばれるべきではないのか。
ES細胞やiPS細胞を使った再生医療にも注目は集まっており、既に一部の移植手術では患者本人の身体からつくられた自前の組織を使うこともできるようになっている。皮膚や歯や骨、角膜などでは完全な実用化もそう遠くない将来に実現可能だといわれている。あるいは臓器も自前でつくれる日がくるのも夢ではないかもしれないのだ。
医療は魔法の杖なんかじゃない。‘救う’ったって限界があって当たり前である。この本では、そんな限界がまるで許されない罪でもあるかのように書かれているように思えて仕方がなかった。そんなワケないでしょーが。
ただしこないだ読んだ『脳死・臓器移植の本当の話』が脳死移植をどっちかというと「非」とする論点から書かれてるのに対して、この本は「是」とする論点から書かれてるという意味では好対照ではあったけど。けどそれだけなりー。