さまよう刃 (角川文庫) 東野 圭吾 角川グループパブリッシング このアイテムの詳細を見る |
続けて、東野圭吾氏の作品です。
これまた、何とも言い難い悶々とした思いが残る作品です。
所謂‘少年法’の限界や、矛盾、そして被害者の癒されない怒り等々。
意見の分かれる、結論が出ない問題を取り上げています。
親となった私としては、この‘被害少女の父’である長峰の心情が痛いほど判ります。
法に則って処罰されるのが一番世間的には納得のいく筋道でしょう。
大多数の無関係の世間や、法曹関係者にとってみれば。
しかし、こと被害者や、その家族にとっては、加害者の人生のみ守られ、被害者の理不尽にも植え付けられた傷を余りにも無視しているとしか思えないでしょう。
加害少年Aが何故そのような事件を引き起こしたか、その‘心の闇’を解明する事で、将来起こるやも知れない同じような事件を未然に防ごうという意図は理解出来ます。
しかし、‘心の闇’が育った環境に起因すると結論づけ、まだ未熟な精神ゆえの犯行だったと本人に何の責任も認められないような判断を下すのは、どーだろうと私は思います。
犯行に至った遠因でしかないんじゃありませんか?
理由を検討するばかりで、実際の、目の前の事件がどのようなモノだったのかの審理がおざなりになってる印象が拭えません。
最近も若年者による犯罪が相変わらず目につきますし、ドラマでもテーマとして取り上げられてますね。
この問題は、本当に意見が分かれるでしょうし、一人の人間の中でも、対立する感情が存在する事も多いでしょう。
現に、私自身も、その時々で意見は違ったりします。
ここ数年で、様々な事件を通して被害者の立場が少しずつ尊重されて来始めています。
その流れが止まらないよう願うばかりです。
そして、親は我が子をしっかりと育てたいものだと、改めて思いました。
やっぱり、家庭の在り方が人間を育てる基本だと思うのです。
モノに満ち溢れているかどうかではなく、気持ちが満たされているかどうか…ではないでしょうか。
世間の常識と言うものが、変わってきてるように思えます。
それまでの事が絶対だとは思いませんが、今見聞きする事で、どーしても理解出来ないコトが多すぎます。