奈良県天理市福住町の七曲り峠へ行って来ました。
名阪国道・福住ICから県道を北へ2Km弱程度か? 走ると、左手に 「 七曲り道ハイキングコース 」 の案内板がある、ここを入って行くと永照寺、永照寺へ入らず道なりに山の中へ進むと七曲り峠である、狭い道で軽四でも脱輪しそう! 寺の駐車場へ停めるのが無難だ、歩いても10分もかからない
奈良市との境界付近にあり、奈良市側へ下る道は急な山の斜面をクネクネ曲がっている
峠にある案内板は、根元が腐って倒れている
七曲り峠(ななまがりとうげ)
この峠は古来より福住地方と国中(くんなか)=奈良盆地の平坦部=を結ぶ道にある峠のひとつである。
村人が薪や炭を荷車に積んで国中へ売りに行ったり、行商人が行き来した道である。
上級学校への通学道であったり、出征兵士を送り出した道でもある。
戦国時代には、敵方がこの峠を越え、攻め込んできて、お寺や在家を焼き払った。
この峠にある、ひと際大きな石仏は 受取り地蔵 で、鎌倉時代の建長五年(1253年)の年号が見える。
野にある石仏では最古の石仏である。
・・・・現地の説明文です
奈良市側から峠頂上を撮影、 奈良市へ向かう下り道はほとんど踏み跡がない
身長は2m位か? 大きな受取り地蔵さん、
何を受け取るのか知らないけれど、何か謂れがあるのだろう
受取り地蔵さん横の石仏さん、ちょっとコワモテのような顔
横に並んでる石仏さん
横から見た受取り地蔵さん
後から見た受取り地蔵さん、大きな石の屋根だ
横にいらっしゃる笑顔?の石仏さん
傍には30体以上の小さな石仏さん
↓ 七曲り峠から戻って下之坊へ
普光山永照寺 下之坊
天平11年(739年) 聖武天皇の勅願により良弁僧正の創建と伝えられている。
中世までは 上・中・下之坊をはじめ湯屋坊など六坊があった。
その後、戦や大火で焼け、今では下之坊を残すのみである。 ・・・現地説明文より
巨大な婆羅門杉 推定樹齢 800年 幹回り6.8m
小さな池には ハスの葉?が元気な頃の形で残っている、
姿・形は同じでも見た目は既に終わってる、
自然界の無情を感じます、人の世も同じようなもんでしょうか? 色即是空 空即是色 ・・・・