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持統天皇は 藤原宮から吉野宮滝にある吉野離宮へ31回も行幸しているらしい。
今日は、持統天皇が通ったと言われる 「 芋峠道 」 を歩いてきました。
奈良県高市郡明日香村の 県道15号線に入り ~ 山の中を吉野町方面へ向かう
奥明日香の案内板、檜皮葺の立派な屋根だがややくたびれている
芋峠への入口
芋峠 2300m 行者 1300m
古道 小峠・芋峠道
この峠道は昭和20年頃まで大和国中から吉野への生活道でした。 吉野へ輿入れする花嫁は駕籠に揺られ、タンス・長持・ホッカイ ( 御櫃等の台所用品 ) 等を担いだ縁者等は提灯行列をして峠を上って行きました。
又、この道は山仕事道でもありました。当時の山は広葉樹の自然林で、炭焼き作業で山に寝泊まりし、生活必需品の薪・焚き木を求めて老若飛鳥人が行き来しました。今でも山中に炭焼き釜の跡が残っています。
万葉時代の、天武・持統天皇が吉野離宮へ通われた道もこの道だとされています。
・・・・ 案内板の文章です
入口は作業道・小峠線 でコンクリ舗装 ~ 250m歩いたら 地道の 芋峠道 になる
ここで作業道わ終わって、九十九折れの上り道になって行く
小峠まで550m
こんな道を上って行く、激上りというほどの道ではないが、それなりの上り坂
50Cm 足らずの小さい石仏さん
ここが小峠のようだ
入口から800m 歩いてきた
ここにも小ぶりの石地蔵さん
ここから南西に見える山が高取山です。 昭和の初め頃までは高取城址の石垣も見えていました。 分教場で学ぶ子供たちの遠足はここでした。
弁当を食べて、黄葉・紅葉の輝く山を画用紙に描き、山を駆け巡って遊びました。
夏はヤマアジサイのうす水色の花が、冬はアオキの赤い実が、そして草木に被われた石地蔵が、古代からの歴史を見つめています。
・・・ 右に建ってる説明板の文章
今は木が繁ってほとんど見えない
ここから " 役行者 " さんのおられる場所まで下りになる
ここまで下ってきたら奈良県道15号線に出る、古道は県道を横切って山の中へ上って行く
県道・古道の道端に役行者さんが居られます
定番の恰好をして錫杖を持って座ってらっしゃるが、屋根は薄汚れたポリの波板だ!
すぐ横には、小さな小さな石仏さん、まだ新しい花が供えられている
ここまで 1280m歩いて来た ~ 吉野の宮滝はかなり先である 《 明日へ続く 》
持統天皇は 藤原宮から吉野宮滝にある吉野離宮へ31回も行幸しているらしい。
今日は、持統天皇が通ったと言われる 「 芋峠道 」 を歩いてきました。
奈良県高市郡明日香村の 県道15号線に入り ~ 山の中を吉野町方面へ向かう
奥明日香の案内板、檜皮葺の立派な屋根だがややくたびれている
芋峠への入口
芋峠 2300m 行者 1300m
古道 小峠・芋峠道
この峠道は昭和20年頃まで大和国中から吉野への生活道でした。 吉野へ輿入れする花嫁は駕籠に揺られ、タンス・長持・ホッカイ ( 御櫃等の台所用品 ) 等を担いだ縁者等は提灯行列をして峠を上って行きました。
又、この道は山仕事道でもありました。当時の山は広葉樹の自然林で、炭焼き作業で山に寝泊まりし、生活必需品の薪・焚き木を求めて老若飛鳥人が行き来しました。今でも山中に炭焼き釜の跡が残っています。
万葉時代の、天武・持統天皇が吉野離宮へ通われた道もこの道だとされています。
・・・・ 案内板の文章です
入口は作業道・小峠線 でコンクリ舗装 ~ 250m歩いたら 地道の 芋峠道 になる
ここで作業道わ終わって、九十九折れの上り道になって行く
小峠まで550m
こんな道を上って行く、激上りというほどの道ではないが、それなりの上り坂
50Cm 足らずの小さい石仏さん
ここが小峠のようだ
入口から800m 歩いてきた
ここにも小ぶりの石地蔵さん
ここから南西に見える山が高取山です。 昭和の初め頃までは高取城址の石垣も見えていました。 分教場で学ぶ子供たちの遠足はここでした。
弁当を食べて、黄葉・紅葉の輝く山を画用紙に描き、山を駆け巡って遊びました。
夏はヤマアジサイのうす水色の花が、冬はアオキの赤い実が、そして草木に被われた石地蔵が、古代からの歴史を見つめています。
・・・ 右に建ってる説明板の文章
今は木が繁ってほとんど見えない
ここから " 役行者 " さんのおられる場所まで下りになる
ここまで下ってきたら奈良県道15号線に出る、古道は県道を横切って山の中へ上って行く
県道・古道の道端に役行者さんが居られます
定番の恰好をして錫杖を持って座ってらっしゃるが、屋根は薄汚れたポリの波板だ!
すぐ横には、小さな小さな石仏さん、まだ新しい花が供えられている
ここまで 1280m歩いて来た ~ 吉野の宮滝はかなり先である 《 明日へ続く 》