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昨日 = 12月1日 の続きです
橿原神宮 後方の畝傍山(うねびやま)へ登ってきました。
香具山や耳成山とともに「大和三山」の一つとされる山で、古来より人々に親しまれてきた国の名勝。
『万葉集』には大和三山を男女の三角関係に見立て、畝傍山をめぐって耳成山と香具山が争う中大兄皇子の歌が収められています。畝傍山は大和三山で最も高い標高199.2mの瀬戸内火山帯に属する死火山で、歴史的風土特別保存地区に指定されています。北参道の途中に畝傍山登山口があり、約30分で山頂まで登ることができます。・・・ 橿原神宮のPageより
橿原神宮 拝殿近くに歌碑
" 遠つ世の風ひそかにも聴くごとく
樫の葉そよぐ参道を行く " 皇后陛下がお詠みになった歌です
平成28年4月
神武天皇二千六百年祭に当たり橿原神宮を参拝された時に詠まれた歌である
拝殿から少し歩いたら登山口
ゆるい上り坂を進む、雰囲気はかなり山の中の感じである
途中で 緑の中に登山道の分岐、まっすぐ進むとメインの路、右へ向かえば傾斜のキツイ岩のコースでロープが張ってある、
キツイコースに入りロープに捕まりながら慎重にヨロヨロと登って行く、距離はそんなにない
こんな木の根や岩登りのようなコースを登って行く
悪路コースを無事通過すれば、
深山幽谷と言うほどでもないが、かなり山奥の雰囲気である
畝傍山の説明板、まもなく山頂
やっと山頂に到着、登山口から40分ほどかかった
山頂には何もない、囲いをした中に木々が植わってるだけ
囲いの中には 「 畝火山口神社社殿跡」 の小さな石碑だけ
山頂からは 西方面の視界が開け、金剛山 ~ 葛城山 ~ 二上山が見える、その手前は御所市~葛城市方面だろう
後方左が葛城山山頂
手前には京奈和道が左右に走る
蛇行する高架道路は " 高田バイパス "
葛城山系のトンネルを西へ抜ければ 南阪奈道路へつながる
近くには 高田バイパスと京奈和道のJCT = 橿原高田JCT(工事中)が見えている
右端には二上山
少し休憩して ~ 登ってきた反対側へ降りるコースを下る、傾斜はそんなにキツクないが岩場が多い、滑って転落しないように慎重に下る
下って来れば " 若桜友苑 "
こんな石碑もあった
" 生きてわれ 向ふ碑 乃くる花 "
碑の横には作後感 が書かれている
散る桜残る桜も散る桜と誓い合った同期も散って逝ってから早や五十有余年
生き残った生存者は古希を迎え幾年か過ぎ今日まで生き長らえることができたことを感謝し一重に先に逝った同期を忍びいつしか碑の前に額づき足が進むものであります
平成九年十一月吉日 建之
平成9年と言えば1997年、この碑(いしぶみ)が建立されたのは今から26年前
航空母艦 瑞鶴が撃沈されたのは昭和19年=西暦1944年、79年前のことである。
・・・・ 無謀な戦いをしたもんだ
昨日 = 12月1日 の続きです
橿原神宮 後方の畝傍山(うねびやま)へ登ってきました。
香具山や耳成山とともに「大和三山」の一つとされる山で、古来より人々に親しまれてきた国の名勝。
『万葉集』には大和三山を男女の三角関係に見立て、畝傍山をめぐって耳成山と香具山が争う中大兄皇子の歌が収められています。畝傍山は大和三山で最も高い標高199.2mの瀬戸内火山帯に属する死火山で、歴史的風土特別保存地区に指定されています。北参道の途中に畝傍山登山口があり、約30分で山頂まで登ることができます。・・・ 橿原神宮のPageより
橿原神宮 拝殿近くに歌碑
" 遠つ世の風ひそかにも聴くごとく
樫の葉そよぐ参道を行く " 皇后陛下がお詠みになった歌です
平成28年4月
神武天皇二千六百年祭に当たり橿原神宮を参拝された時に詠まれた歌である
拝殿から少し歩いたら登山口
ゆるい上り坂を進む、雰囲気はかなり山の中の感じである
途中で 緑の中に登山道の分岐、まっすぐ進むとメインの路、右へ向かえば傾斜のキツイ岩のコースでロープが張ってある、
キツイコースに入りロープに捕まりながら慎重にヨロヨロと登って行く、距離はそんなにない
こんな木の根や岩登りのようなコースを登って行く
悪路コースを無事通過すれば、
深山幽谷と言うほどでもないが、かなり山奥の雰囲気である
畝傍山の説明板、まもなく山頂
やっと山頂に到着、登山口から40分ほどかかった
山頂には何もない、囲いをした中に木々が植わってるだけ
囲いの中には 「 畝火山口神社社殿跡」 の小さな石碑だけ
山頂からは 西方面の視界が開け、金剛山 ~ 葛城山 ~ 二上山が見える、その手前は御所市~葛城市方面だろう
後方左が葛城山山頂
手前には京奈和道が左右に走る
蛇行する高架道路は " 高田バイパス "
葛城山系のトンネルを西へ抜ければ 南阪奈道路へつながる
近くには 高田バイパスと京奈和道のJCT = 橿原高田JCT(工事中)が見えている
右端には二上山
少し休憩して ~ 登ってきた反対側へ降りるコースを下る、傾斜はそんなにキツクないが岩場が多い、滑って転落しないように慎重に下る
下って来れば " 若桜友苑 "
こんな石碑もあった
" 生きてわれ 向ふ碑 乃くる花 "
碑の横には作後感 が書かれている
散る桜残る桜も散る桜と誓い合った同期も散って逝ってから早や五十有余年
生き残った生存者は古希を迎え幾年か過ぎ今日まで生き長らえることができたことを感謝し一重に先に逝った同期を忍びいつしか碑の前に額づき足が進むものであります
平成九年十一月吉日 建之
平成9年と言えば1997年、この碑(いしぶみ)が建立されたのは今から26年前
航空母艦 瑞鶴が撃沈されたのは昭和19年=西暦1944年、79年前のことである。
・・・・ 無謀な戦いをしたもんだ
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