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奈良県吉野郡東吉野村伊豆尾、「 天誅組総裁松本奎堂先生戦死之地 」 へ行ってきました。
明治維新の魁となった天誅組、新しい世の中を見ずに命を落とした天誅組の志士たち・・・ 当時の総裁松本奎堂もこの山の中で命を落とした、文久3年=1863年であった。
明治維新が実現するのは、このわずか5年後のことである。
国道166号線の新木津トンネル東口近くより
ススキの向こうに奈良県/三重県境の高見山が見えている、サクラの葉は赤く色づいている
国道から山道へ入り曲がりくねった道を登って行く
趣のある道標だ
バス停だが、そばに民家は無い
バス停から少し登って行くと、山の斜面に貼りついた民家が現れる
向こうの山にも民家が見える
集落の外れに石の案内板がある
この前をVターンして登って行く、車だと曲がれない角度である
この写真では解からないが、かなりの坂道だ
途中で停まったらズルズルと後退して行きそうな傾斜である
「 松本奎堂先生墓所まで700m 」 の石標があった、かなりの坂道はまだ続く
振り返れば高見山らしいのが見える
急坂の路が終わったら、枯れ小枝・枯れ落ち葉の路だ、転倒しないようノロノロと走る
あと100m
無事 墓所に到着
墓所にしてはかなり広いものだ
右端に「 天誅組総裁松本奎堂先生戦死之地 」 の石碑、高さは3mほどありそうな大きさだ
その左にある小さい石碑は 「 松本奎堂家臣 村上萬吉戦死の地」
左端は 辞世の歌碑だろうか?
堂々と立派な石碑である
家臣と並んで建っている
君がため
みまかりにきと
世の人に
語りつぎてよ
峰の松風
奎堂
文久3年=1863年、今から159年前のことであった
31歳にて戦死、 訪れる人は ほとんど無い静かな山奥に寂しく眠る
奈良県吉野郡東吉野村伊豆尾、「 天誅組総裁松本奎堂先生戦死之地 」 へ行ってきました。
明治維新の魁となった天誅組、新しい世の中を見ずに命を落とした天誅組の志士たち・・・ 当時の総裁松本奎堂もこの山の中で命を落とした、文久3年=1863年であった。
明治維新が実現するのは、このわずか5年後のことである。
国道166号線の新木津トンネル東口近くより
ススキの向こうに奈良県/三重県境の高見山が見えている、サクラの葉は赤く色づいている
国道から山道へ入り曲がりくねった道を登って行く
趣のある道標だ
バス停だが、そばに民家は無い
バス停から少し登って行くと、山の斜面に貼りついた民家が現れる
向こうの山にも民家が見える
集落の外れに石の案内板がある
この前をVターンして登って行く、車だと曲がれない角度である
この写真では解からないが、かなりの坂道だ
途中で停まったらズルズルと後退して行きそうな傾斜である
「 松本奎堂先生墓所まで700m 」 の石標があった、かなりの坂道はまだ続く
振り返れば高見山らしいのが見える
急坂の路が終わったら、枯れ小枝・枯れ落ち葉の路だ、転倒しないようノロノロと走る
あと100m
無事 墓所に到着
墓所にしてはかなり広いものだ
右端に「 天誅組総裁松本奎堂先生戦死之地 」 の石碑、高さは3mほどありそうな大きさだ
その左にある小さい石碑は 「 松本奎堂家臣 村上萬吉戦死の地」
左端は 辞世の歌碑だろうか?
堂々と立派な石碑である
家臣と並んで建っている
君がため
みまかりにきと
世の人に
語りつぎてよ
峰の松風
奎堂
文久3年=1863年、今から159年前のことであった
31歳にて戦死、 訪れる人は ほとんど無い静かな山奥に寂しく眠る
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