〈 昨日の続きです 〉
こんな山の中に集落があるのだろうか? と言うような林道を3Km程走ったら視界が開けて山郷の集落が現れた、五條市大塔町中原だ。 道はクネクネ曲がってるので直線距離にしたらもっと短いだろう。
中原開拓の集落で聞いた話では、ここに住んでるのは1軒だけらしい
この家の前で、高齢の女性が畑仕事をしている、
車を停めて話をしてたら、90歳を過ぎてるそうな! 昨年夫を亡くして一人で住んでるようだ。
親切にお茶を出してくれた、1時間ほど話をしていた、50年ほど前はこの女性も杉やヒノキの枝打ちをしてたそうだ、でも今は山も荒れ放題・・・
30軒程の家がある、明らかに廃屋とわかる建物が多い、所々に住んでそうな家はあるが、住まいはここではなく時々片付けに来るのだろう
ここは大塔村立中原小学校跡地、 右端の建物は地区の集会所、まだ新しい建物だ
少し色づいてる左の木は “ 長寿桜 ”
『 明治36年に創立した中原小学校の校庭で たくさんの子供たちと 高野大峯街道を行き交う巡礼の人々を見守り続けてきたこの桜は 満開の花を愛でられつつ いつしか長寿桜と呼ばれるようになりました 』 と桜の足元に書いてある。
長寿桜の傍には、小学校跡地の石碑
『 大塔村立 中原小学校跡地
中原小学校沿革
明治36年10月創立
昭和32年 4月 中原開拓を学区に編入
昭和44年 3月 休校
平成16年 8月 廃校 』 と刻まれている、
創立当時は小学校が要るほどたくさんの人たちが住んでたのだろう
すぐ傍には朽ちてゆく家、誰も住まなくなって久しいのだろう
昭和時代初期の台所のようだ
杉林の中に埋もれてゆく、屋根には苔
畳は腐ってる、障子は外れて倒れてる、うっかり入ったら床を踏み抜いてコケそうになった
小学校跡地から集落を眺める
向こうの山と山との間を県道が走る、今の県道53号線だ、 昔は “ 高野大峯街道 ” か?
坂を下って集落の中を見て歩く
赤いポストはきれいだが、住んでる気配はない
この家は、奥に大きなな住まい、手前には白壁の土蔵、きれいに片付けられているが誰もいない、住まいは別で時々帰ってくるのだろうか?
ここは明らかに住む人はいない、
家の前には、昔の名車 “ スバル360 ” が置いてある、タイヤはペッタンコ
建物はなく苔の生えた石垣だけが残り草が生える、集落内にはこんな宅地があちこちにある
集落内の安楽寺、当然住職なんて住んでない
壊れてゆく家の中をのぞいたら ・・・
草木に覆われて朽ちてゆく建物
国破れて山河在り 城春にして草木深し ・・・ を思い起こします
斜面に上にも立派な家、これもまもなく壊れてゆくのだろう
集落から県道53号へ降りてきたら、道路沿いに滝が勢いよく落ちている
昨日の雨で豪快な流れだ
国道から中原橋を眺める
水面は少々濁ってるが、白い橋を映してなかなかいい感じだ、
構図が単純で出来の悪い写真だが、これは撮る人間の感性の問題だ、どうしようもない
中原橋近くの国道ぞいにて、滝はもっと上まであるがウマく撮れない
こんな過疎の集落や廃村などを見てると、寂しく侘しい気分になりますネ
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