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昨日=7月29日 の続きです
山の上の天誅組本陣遺跡や朽ちてゆく建物を見て ~ 道の駅「吉野路大塔」 へ戻り ~ 国道168号線を南へ下ってゆく
国道の大塔橋の近くに、今は廃校となっている 大塔村立阪本小学校がある、今はどうなってるのだろうか?
ダム湖岸に旧の国道が見える
新国道は後方の山の中を貫いている
いつ見ても素晴らしいダム湖水面の色
旧大塔橋より
あのつづら折れの道を登ってゆけば阪本小学校跡がある
旧大塔橋にて
向こうは天の川上流、川沿いの県道53号線を行けば天川村方面
同じく 旧大塔橋にて
向こうの山の上方面に道の駅「吉野路大塔」がある
阪本小学校跡へ向かうつづら折れ道の途中より
手前が旧国道の大塔橋、向こうが新の大塔橋
かなり広いグランドの端に 校舎へ上る石段がある
100段ほどの石段を登ったら校舎の玄関
玄関前の石段はかなりキツイ傾斜だ
元気な子供たちは気にならないだろうが、定年前の先生たちは大変だっただろう
玄関は鍵が掛かってたが、横へ周ったら廊下の戸が朽ちて壊れている
ちょとおオジャマして覗いてみる
講堂か? に校歌が書いてある
古きよりひらけし歴史うけつぎて ♪
世界へわれらたくましく ♪
誠の心胸に秘め ♪
とびたちゆかんこの力 ♪
阪本、阪本、阪本小学校 ♪
校歌の3番です
廊下の右手前の暗い部分は、板が朽ちてしまってる
教室の床も朽ちて、机やテーブルも傾いている
広いグランドの端には 「創立百年記念碑」
裏面には詳しい経過が書かれているが、永年の風雪により判読し辛くなっている部分もある
「1973年 建之」 の文字はハッキリわかる
此の石碑が建てられてからでも、すでに51年の歳月が流れる
帰り路にて、❝ 幻の夢に消えゆく五新線 ❞ です。
五條市西吉野町宗川野町より
柿色の橋が国鉄五新線跡
手前の赤い橋が国道168号線
橋の架かってる場所は五条市西吉野町西野だと思います
五條市西吉野町神野にて
真っすぐに上へ延びてるのが国鉄五新線跡です、フルーツロードより撮影
五新線とは、
奈良県五條市と和歌山県新宮市を鉄路で結び、木材の物流ルートを確保しようと大正時代に計画された。
昭和14年に着工されたが、戦争激化で中断後、戦後に再開され、五條~城戸~阪本までの路盤工事が完成した。しかし、木材需要の低迷や国鉄再建問題のあおりを受けて、列車が走ることなく廃線となった。
阪本小学校跡も国鉄五新線跡も時代の流れなのでしょうか ??
時の流れは非情です、如何ともしがたいのでしょうが寂寥感に覆われます。
昨日=7月29日 の続きです
山の上の天誅組本陣遺跡や朽ちてゆく建物を見て ~ 道の駅「吉野路大塔」 へ戻り ~ 国道168号線を南へ下ってゆく
国道の大塔橋の近くに、今は廃校となっている 大塔村立阪本小学校がある、今はどうなってるのだろうか?
ダム湖岸に旧の国道が見える
新国道は後方の山の中を貫いている
いつ見ても素晴らしいダム湖水面の色
旧大塔橋より
あのつづら折れの道を登ってゆけば阪本小学校跡がある
旧大塔橋にて
向こうは天の川上流、川沿いの県道53号線を行けば天川村方面
同じく 旧大塔橋にて
向こうの山の上方面に道の駅「吉野路大塔」がある
阪本小学校跡へ向かうつづら折れ道の途中より
手前が旧国道の大塔橋、向こうが新の大塔橋
かなり広いグランドの端に 校舎へ上る石段がある
100段ほどの石段を登ったら校舎の玄関
玄関前の石段はかなりキツイ傾斜だ
元気な子供たちは気にならないだろうが、定年前の先生たちは大変だっただろう
玄関は鍵が掛かってたが、横へ周ったら廊下の戸が朽ちて壊れている
ちょとおオジャマして覗いてみる
講堂か? に校歌が書いてある
古きよりひらけし歴史うけつぎて ♪
世界へわれらたくましく ♪
誠の心胸に秘め ♪
とびたちゆかんこの力 ♪
阪本、阪本、阪本小学校 ♪
校歌の3番です
廊下の右手前の暗い部分は、板が朽ちてしまってる
教室の床も朽ちて、机やテーブルも傾いている
広いグランドの端には 「創立百年記念碑」
裏面には詳しい経過が書かれているが、永年の風雪により判読し辛くなっている部分もある
「1973年 建之」 の文字はハッキリわかる
此の石碑が建てられてからでも、すでに51年の歳月が流れる
帰り路にて、❝ 幻の夢に消えゆく五新線 ❞ です。
五條市西吉野町宗川野町より
柿色の橋が国鉄五新線跡
手前の赤い橋が国道168号線
橋の架かってる場所は五条市西吉野町西野だと思います
五條市西吉野町神野にて
真っすぐに上へ延びてるのが国鉄五新線跡です、フルーツロードより撮影
五新線とは、
奈良県五條市と和歌山県新宮市を鉄路で結び、木材の物流ルートを確保しようと大正時代に計画された。
昭和14年に着工されたが、戦争激化で中断後、戦後に再開され、五條~城戸~阪本までの路盤工事が完成した。しかし、木材需要の低迷や国鉄再建問題のあおりを受けて、列車が走ることなく廃線となった。
阪本小学校跡も国鉄五新線跡も時代の流れなのでしょうか ??
時の流れは非情です、如何ともしがたいのでしょうが寂寥感に覆われます。
十津川方面へ行ったら時々路線バスを見かけますが、ほとんど空気を載せて走ってる感じです。
奈良交通は慈善事業でやってるんでしょうか?それとも行政側からの補助金でもあるのでしょうか? 採算を考えたら営利事業ではとても無理だと思いますね。
人口の極めて少ない地域を通るし
日本有数の多雨地帯なので
保線作業にも多額の費用がかかるでしょうから
廃線になるのは間違いなかったでしょうね。
去年、新宮から大和八木に向かう路線バスに乗りました。
なかなか楽しかったです。