OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

日本中を踊らせたウォーカー兄弟

2009-08-11 11:22:47 | Pops

ダンス天国 / The Walker Brothers (Philips)

昭和43(1968)年の日本で、何でも一番だったビートルズを瞬間最大値とはいえ、人気の点で確実に上回っていたのがウォーカー・ブラザースでした。

このグループはアメリカで結成され、メンバーはスコット・エンゲル・ウォーカー(vo,g,key)、ジョン・モース・ウォーカー(vo,g,b)、ゲイリー・リーズ・ウォーカー(vo,ds)  からなる3人組で、ご推察のとおり、本当の兄弟ではありません。

しかしルックスはイケてるし、歌の実力も侮れないところから、まずはイギリスでのプロモーションが大成功! そのまま英国出身のグループみたいな感じで大ブレイクを果たしたのが1965年のことでした。

そして我国でも翌年になってレコードが発売されたわけですが、当初はヒットしていません。ところが同年秋頃になると音楽雑誌や芸能雑誌、またラジオやテレビでウォーカー・ブラザースの特集が頻繁となり、ついに「孤独の太陽 / In My Room」というシングル曲が大ヒット!

その勢いで昭和42(1972)年の正月明け頃に来日した時は、大変な騒ぎになっていました。

ただしこの時はテレビ出演がメインだったようで、実際のコンサートは無かったと思われますが、とにかくカッコイイ3人は瞬時にモテモテとなるのです。もちろんファン層はお姉様&女の子達ですから、ロックファンの野郎どもからは白眼視されるのが自然の成り行きでしょう。

ちなみにサイケおやじにしても、この時の出演テレビ番組では、メンバーが学生服を着ていたのが妙に印象的で、こいつら、何を考えてんだ……!? そう思う他はありませんでした。

ところが当時のラジオから流れてくるウォーカー・ブラザースの楽曲は、白人ながらも黒っぽい感覚に溢れ、またポップス王道のサウンド作りと歌の上手さがピカイチだと、悔しいながらも感銘させられるのです。

そして本日ご紹介のシングル曲は、それこそ日本中が総踊り状態のメガヒット! 老いも若きも、ラ~、ラララ、ラァ~~♪ でしたよっ。サイケおやじにしても、速攻でシングル盤を買わずにはいられなかった、その洋楽魂の高揚をご理解願えれば、幸いです。

もちろん皆様がご存じのように、この「ダンス天国 / Land Of 1,000 Dances」はアメリカの黒人R&Bの人気曲として、クリス・ケナーやウィルソン・ピケットのド迫力バージョンが残されているのですが、少なくとも私は、このウォーカー・ブラザースの歌で知ったメロディとグルーヴが、今もって忘れられないほどに好きです。

このグループの魅力とはイケてるルックスに加え、メンバー各々が個性的な歌手だったことが成功の秘訣だったと思われるのですが、特にスコットはスローバラード系の曲に実力を遺憾無く発揮するタイプとして、単なるアイドルの域を超えていますし、それゆえにオーケストラをバックに歌ったヒット曲が多いのも、当時のロック最先端からは外れています。

しかし、それが当時の洋楽事情で、これは日本だけでなく、イギリスでも同様でした。それは人気投票でポール・マッカートニーやミック・ジャガーよりも、スコット・ウォーカーが上位にランクされたという、今となっては信じてもらえないような歴史として残り、その全盛期にはメンバーの行動が逐一、マスコミで世界中に報道されていたほどです。

まあ、年代的には我国でのブレイクは1年遅れだったかもしれませんが、その所為で日本での人気が急上昇中の昭和42(1967)年初夏にグループの解散が伝えられた時の騒動は、大変なものがありました。

そして当然、ウォーカー・ブラザースの人気は、ますますの過熱沸騰! 翌年には特別に再結成でもしたのでしょうか、待望の来日公演が行われ、まさにビートルズが襲来した時と同じ狂乱が各地で繰り広げられたのです。確かライプ盤も作られたと記憶していますが、他にもお菓子のコマーシャルに出たり、とにかく稼ぎまくっていたと思います。

ということで、以降のメンバーはソロ活動に入るのですが、やはりスコットの人気と実力はダントツというか、ソロアルバムも大ヒットしていたようですし、昭和45(1970)年には来日公演もありましたですね。

ただし、この頃にはなるとウォーカー・ブラザースの人気は落ち目の三度笠というか、各々がいくら頑張ってみても、真っ当な評価を得られなかった現実は、全盛期に女性ファンが圧倒的だったからかもしれません。しかし確実に男性のファンだって存在していたのは、紛れもない事実! 現在では再評価もされているようですし、何よりもポップス王道に拘りぬいた楽曲の素晴らしさは、そのサウンドプロデュースも含めて、ひとりでも多くの皆様に楽しんでいただきたいところです。

個人的にはライチャス・ブラザースと同じく、青い目のソウル系グループとして密かに愛聴しているレコードが多数あるのですが、現在ではCD化も進んでいるようですから、買ってみようかなぁ~♪

とにかく一般的な洋楽の歴史では、当時がサイケデリックの全盛期として、そればっかりと思われがちでしょうが、実はもっと奥が深く、さらに大衆的なものこそが、歴史を作っていたという話を、本日は書いておきかたったのです。

私がウィルソン・ピケットを聴く、そのきっかけとなったのも、この「ダンス天国」なのでした。ラ~、ラララ、ラァ~~♪

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眠れないほどの「今夜は眠れない」

2009-08-10 11:13:00 | Rock

今夜は眠れない / The Electric Prunes (Reprse / 日本ビクター)

以前にも書きましたが、サイケデリックロックにはスタジオ技術をふんだんに使った「作り込み系」と、ライプステージでのジャズっぽいアドリブや、その場の空気を大切にした「即興系」があると思います。

例えば後者の代表がクリームグレイトフル・デッドのような千変万化のライプを得意とするバンドであり、長い演奏が十八番というか、それが出来なければサイケデリックじゃ無い!?! と決めつけられた時代が、確かにありました。

一方、「作り込み系」としては、まず「サージェント・ペパーズ」期前後のビートルズ、あるいはそれに追従したストーンズも、またしかりですし、その他の有象無象が夥しいシングル&アルバムを制作しています。

しかしそれが大衆ヒットするのは、本当に限られたものだけで、本日ご紹介の「今夜は眠れない / I Had Too Much To Dream」は代表的な名曲だと思います。

演じているエレクトリック・プルーンズは一応はアメリカのバンドとされていますが、その正体は本当のところ、不明じゃないか? というのがサイケおやじの昔っからの疑問です。

その一番のプロフィールとしては、リチャード・ウェットストーン(vo,ds,per)、マーク・キンケイド(g,vo)、ブレット・ウェイド(b,ts,fl,key)、ジョン・ヘロン(key,per) ということなっていますが、掲載したシングル盤のジャケット写真にはメンバーが5人!?!

どうやら実際のバンドとレコーディングしていたメンツは異なるという、当時のハリウッド芸能界の事情がモロなんですねぇ……。一説にはカナダ出身の某バンドが、その正体だったとか!?! あるいは営業用のバンドが幾つもあったとか!?! とにかく出来あがった楽曲が売れてくれれば、結果オーライでしょうね。

実際、サイケおやじにしても、昭和42(1967)年のラジオから流れてきた「今夜は眠れない」には、本当に眠れないほど興奮させられました。

歪んで唸るエレキギター、幾層にも重ねられたリズムとビートの呪術的なノリ、そしてまさにサイケデリックなボーカルで歌われる、妙に親しみやすいメロディ♪♪~♪ もちろんサウンドの作りは間然することのない鮮やかさで、そこには作編曲を担当するデイヴィッド・アクセルロッドという影の中心人物が存在していたようです。

またレコーディングの現場では、ストーンズが1960年代中頃にアメリカでのスタジオで諸々を仕込まれた名匠エンジニアのデイヴ・ハシンジャーが、しぶとく暗躍していたようですから、こうして出来あがった「今夜は眠れない」が、1967年2月にアメリカで大ヒットするのもムペなるかな! その勢いで我国でもシングル盤が発売され、各方面に多大な影響を与えたと、私は確信しております。

ちなみにエレクトリック・プルーズはアルバムも数枚出しておりますが、リアルタイムの我国で発売されていたかは知りません。ただ後年、ようやく聴けたそれらのLPにしても、結局はこのシングル曲のインパクトには遠く及びません。それがサイケおやじの正直な感想でした。

その意味で、尚更にこのシングル盤が愛おしいというわけです。

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とにかく初めて買ったジミヘン

2009-08-09 12:05:43 | Jimi Hendrix

Hey Joe / Jimi Hendrix (Track / 日本グラモフォン)

カリスマミュージシャンにして、サイケおやじも心底敬愛するジミ・ヘンドリックスも、しかし私は最初っから偉大な故人の魅力を理解していたとは言えません。

最初に聴いたのはラジオから流れてきた、おそらく「紫のけむり」だったと思いますが、それは昭和43(1968)年のことでした。そして正直に言えば、頭を抱えたというか、曲を決定づけるリフのカッコ良さにはグッと惹きつけられるのですが、ギュンギュンに唸ってばかりのギター、暴れるドラムスと蠢くベースからは、当時の常識的なロックのビートが感じられません。しかし全体としては、なんか凄いっ!?! と痛感させられる、所謂サイケデリックロックの神髄が溢れ出ているのです。

このあたりはリアルタイムでジェファーソン・エアプレインやザ・バーズといった、アメリカ西海岸系のトップバンドの歌と演奏、あるいは音楽雑誌やテレビ&ラジオ等々を通じて、ある程度の免疫が出来ていたはずなのに、中学生だったサイケおやじには理解不能の世界になっていました。

もちろんビートルズがやっていたスタジオ加工のサイケデリックとも明らかに違う、フレッシュなライプ感覚が極めて自然体だなぁ~、とさえ思う他はないというか……。

と同時に、いろんな写真で見るジミ・ヘンドリックスの風貌がド派手な衣装! それは名前のジミとは正反対じゃねぇのか!? なんていうシャレにもならない強烈なイメージでしたし、なによりも黒人がバリバリギンギンのロックを演じるという、当時としては常識外れの行動が、ますます得体の知れないものに直結していたのです。

しかも左利きのギタリストというのも、なんか、しっくりせず、おまけに歯でギターを弾くとか、ライプステージで楽器に火を付けたとか、背中に回したギターを曲芸のように鳴らしてみせるとか!?!

そうした場面の写真や映像に直面するほどに、サイケおやじは焦りを感じてしまうのでした。

そこで意を決して買ったのが、本日ご紹介のシングル盤で、本来はイギリスでのデビュー曲でしたが、我国では多分、4枚目の発売だったかもしれません。とにかくレコード屋の店員さんは、これが良い♪♪~♪ とか太鼓判でしたし、なによりもジャケットの雰囲気がサイケデリックのど真ん中!

しかし実際に針を落として聴いてみれば……。

ジミ・ヘンドリックスは皆様がご存じようにアメリカで活動していた黒人ギタリストで、その仕事は有名R&Bスタアの巡業バンドメンバーが主でした。その中にはリトル・リチャード、アイズレー・ブラザース、サム・クック等々の大物との仕事も含まれていて、現在ではその頃の貴重なレコーディングも聞かれるようになっていますが、概ねは下積みだったのです。

ところが1965年秋、アメリカに巡業に来ていたイギリスの人気グループ=アニマルズのペース奏者だったチャス・チャンドラーに発見され、そのまんま渡英したのが世の中を変える第一歩となるのです。

多くの伝説によれば、ジミ・ヘンドリックスはバックバンドのメンバーでありながら、既に相当派手なギタープレイを演じていたそうですし、前述したような曲芸もどきの演奏にしても、黒人芸能のひとつの方法論として昔から確立してたものだと言われていますが、それをジミ・ヘンドリックスは完全にエンタメ系から最先端のロック&ソウルの手法へと進化させていたようです。

そして紆余曲折あっての1年後、1966年の秋にはノエル・レディング(b) にミッチ・ミッチェル(ds) というジャズ出身者を従えた自分のバンドを率いて、いよいよデビューしたのが今日の歴史です。

で、サイケおやじは、それでも分からないなりに、このシングル盤を聴くという、ちょっと修行ような日々が確かにありました。

しかし救いだったのはB面に収録された「Stone Free」のスピード感に満ちたファンキーロックな演奏で、ここに書いたような表現は完全に後付けなわけですが、とにかくギンギンに突き進んでいくバンドの勢いは圧巻! これまで全く未体験だったギターの音色と歪んだようなフレーズ、R&Bとロックのビートがゴッタ煮となった白熱のノリ!

正直、ドロドロしたA面の「Hey Joe」よりは、数段ストレートに楽しめましたですね♪♪~♪

ちなみに私の周囲には、その頃にジミ・ヘンドリックスを聴いていた仲間は皆無でしたから、既に出ていたアルバムを聴けたのは後の事ですが、それでもクリームやエリック・クラプトンよりは先に、ジミ・ヘンドリックスって、なんか凄い! と思わされたのです。

まあ、このあたりはロックの歴史とは逆なんですけど、それが当時の実情の一端だと、ご理解願います。

そしてサイケおやじはジミ・ヘンドリックスが通称、ジミヘンと呼ばれていることを知り、その絶頂期に無限の可能性を残したまま、天国へ召された悲しみを体験するのですが、それは後のお話として、まずは最初に買ったのが、このシングル盤ということだけで、本日はお開きとさせていただきます。

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QMSで熱いトリップ

2009-08-08 12:10:08 | Rock

Happy Trails / Quicksilver Messenger Service (Capitol)

サイケデリックロックが全盛期だったサンフランシスコにおいて、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインと並び称された人気バンドが、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス=QSMでした。

ただし公式なレコードデビューは、他にバンドに比べると遅く、1968年の春頃だったと言われているのですが、それはQSMがライプバンドとしての絶対的な実力があり、またグループ内が結成当初より、度々のメンバーチェンジで揺れていた事情によるものだったとか!?

しかもバンドの魅力が一番発揮されるライプでの演奏が、必ずしもレコードに反映されないという当時のサイケデリックロックのジレンマを危惧するメンバーの意向も強く、それがデビューアルバムの消化不良に繋がった反省が、このセカンドアルバムでは大胆にもライプ録音を多用し、さらにスタジオでの手直しも入れて作られた傑作となりました。

当時のメンバーはゲイリー・ダンカン(vo,g,key)、ジョン・シポリナ(g,vo)、デビッド・フライバーグ(b,vo,key)、グレッグ・エルモア(ds,vo) の4人組で、既に述べたように、フィルモアでのライプ音源による長尺の演奏が聴かれます。

 A-1 Who Do You Love Part 1
 A-2 When You Love
 A-3 Wher You Love
 A-4 How You Love
 A-5 Which Do You Love
 A-6 Who Do You Love Part 2
 B-1 Mona
 B-2 Maiden Of The Cancer Moon
 B-3 Calvary
 B-3 Happy Trails

まずA面はアルバム邦題「愛の組曲」と名付けられたとおり、約25分半という連続的なメドレー演奏で、その中核となるのが黒人R&Bの大御所たるボ・ディドリーの代表曲「Who Do You Love」です。これはストーズも十八番としているジャングルビートというよりも、ドンドコドコドコ、スットントンという土人のリズムをベースにした熱い混濁ロック!

そして演奏をリードしていくのが、ジョン・シポリナの個性的なギターワークです。それは当時のロック的な一般常識とはちょいと離れた、澄んだ音色と東洋的なフレーズ展開、さらにフラメンコやラテン系音楽の要素も取り込んだ摩訶不思議なスタイルで、もちろんブルースやR&B、そしてモダンジャズの味わいも大切にされた、正直に言えば、ミョウチキリンなものです。

しかし、これが虜になると抜け出せません。

相方のゲイリー・ダンカンとのコンビネーションも鋭い協調性に満ちていて、この演奏では左チャンネルから聞こえてくるのが、ジョン・シポリナのギターです。

あぁ、実に気持ちが良いですねぇ~♪

果てるともなく続くアドリブの快楽、グッと盛り上がった次の瞬間、フィードバックや暗黙の了解でバンドが作り出していくサイケデリックな音の羅列、それがまた一転して最初のテーマ曲「Who Do You Love Part」に戻っていく展開の妙!

ちなみに当時の音楽雑誌に掲載されたジョン・シポリナのステージ写真を見ると、使用楽器はギブソンのSGで、しかも最先端の流行からは外れてしまったトレモロアームが付いているのには、ちょっと驚きました。しかも演奏スタイルはピックではなく指弾きで、おそらくサムピックは使っているようですが、そのトレモロアームを握りっぱなしにしているとしか思えない音作りは、このアルバムからも感じとれます。アンプはフェンダーでしょうか?

とにかくジョン・シポリナのギターの音色は温故知新♪♪~♪

それはB面においても尚更に魅力が絶大で、こちらではスタジオでの追加手直し録音も顕著ですから、ゲイリー・ダンカンのギターも大活躍の場が多い所為もあって、アグレッシプで神秘的なムードが強い、まさにサイケデリックを象徴するギターロックが楽しめますよ。

特に「Calvary」ではジョン・シポリナが十八番のフラメンコ系のフレーズによる情熱的なアドリブソロが山場を作っています。

もちろんジョン・シポリナ以外のメンバーも存分に自己主張しているのが、このアルバムが名盤されるところで、全篇でピンピンビリビリに蠢くエレキベースや変幻自在のドラムスは、所謂ジャムバンドと同じ楽しみがあるのです。

またゲイリー・ダンカンのギターにも、正統派サイケデリックロックの見本のようなプレイがテンコ盛り♪♪~♪ ちょっと怖いムードのフリージャズ的な展開は、この人の好みなんでしょうか、とにかくアブナイ場面はお任せのような感じがするほどです。

そしてオーラスのアルバムタイトル曲は、和みのカントリーロックが良い感じ♪♪~♪ ホノボノとして胸キュンの短い演奏ですが、ボーカルの味わい深さとサウンド作りの凝った目論見は侮れません。

ということで、ギターロック好きの皆様、そしてサイケデリックロックのファンには定番となっているアルバムですが、実は告白すると、青春時代のサイケおやじがこのアルバムを聴きたかった最大の理由は、リアルタイムで我国でのアルバム紹介でした。

それは昭和44(1969)年のミュージックライフだったと記憶していますが、そこには「セックスを真正面から歌う」と、このアルバムが紹介されていたのです。つまりサイケおやじの本性が完全に刺激されたんですねぇ。

しかし例によって当時は小遣いも乏しく、私が実際に聴けたのは高校の同好会で入っていたバンドの先輩から借りた、3年後のことでした。そして聴き終えた時には、何がセックスだっ!?! という肩すかしの気持ちと、サイケデリックロックの醍醐味に酔い痴れた快感が同時に体験出来たのです。

QMSというバンドが好きになったのは、言うまでもありません。

ところが肝心のグループは、このアルバムを出した後、またまたメンバーチェンジがあって、中心人物のゲイリー・ダンカンが脱退!?! しかも助っ人に入ったのが、あのイギリスの有名セッションプレイヤーだったニッキー・ホプキンン(p,key) という驚愕の事実も、ロックの歴史のトンデモ事件でしょう。そして作られたのが、やはり美しき名盤「シェイディ・グローヴ」なんですから、やっぱり凄いバンドでした。

気になる「セックスを真正面から歌う」については、A面の演奏の基礎となったボ・ディドリーのオリジナルの歌詞が、如何にも黒人の歌らしく、絶妙な比喩を使った刹那の愛を表現したと言われているとおり、スラングが分かって初めて感じられるものでしょう。それはB面ド頭収録の「Mona」が、同じくボ・ディドリーのオリジナルというところにも顕著で、これもストーンズのカパーバージョンに負けず劣らず、かなり露骨な歌詞の歌いっぷりが、いやはやなんともです。

しかし、そういう部分はこの2曲だけで、残りはインストがメインのサイケデリックとアドリブでサウンドが構築され、またオーラスの「Happy Trails」にしても、短い歌は恋人との別れと再会を誓うという清純なものです。

まあ、このあたりのコントラストが確信犯なんでしょうねぇ~~♪

暑い夏には、こんなアルバムでトリップするお盆も良いかと思います。

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追悼・大原麗子

2009-08-07 10:55:33 | 歌謡曲

ピーコック・ペイビー / 大原麗子 (ビクター)

深夜にケイタイで叩き起こされ、なんだ……、また仕事かなんかのトラブルか……、なんてモヤモヤしながら出てみたら、友人から大原麗子の訃報を……。

一瞬、唖然として絶句がしばらく続きましたですよ……。

そういえば近年は、なにかの奇病で引退のような感じでしたが、それにしても死後2週間近くたった孤独死というは、華やかな故人の雰囲気からして、尚更に哀しみが……。

私が大原麗子を強く意識したのは、昭和45(1970)年に観た日活映画「大幹部 / ケリをつけろ (小澤啓一監督)」でした。これは渡哲也主演で、「野良猫ロック / セックスハンター」の併映作品でしたが、そこで演じていたヤクザの情婦役が、その美しく陰りのある佇まいとセミヌードの演技によって、青春時代のサイケおやじには忘れえぬ女優さんになったのです。

そして帰宅後、当時、我が家に下宿していた叔父さんにその事を話すと、やはり映画が好きだった叔父さんは、大原麗子は所謂ヴゥンプ女優で、東映では梅宮辰夫の相手役として、娼婦やホステス、不良少女役ばかりやっていたことを教えられるのです。

ちなみに当初は、「第二の緑魔子」として売り出されていたことを知るのは後の話ですが、確かに後追いで観た梅宮辰夫が主演のB面併映作品の多くで、大原麗子はお色気女優として登場していたのです。中でも一番吃驚したのは、「(秘)トルコ風呂(東映・昭和43年・村山新治監督)」でのソープ嬢役でしょう!?!

このあたりは、現在では完全に無かったことにされているのですが、私が最もシビレるのは、彼女の「あの場面」における声の出し方というか、喘ぎと悶えの声の表現が、独得の甘さと余韻で演じられるところに、男好きのする彼女の魅力があるように思います。

それは一般映画でも、例えばワケ有りの人妻役を演じては陰りある美貌とジャストミートする台詞回しに顕著ですし、時代劇での忍ぶ女の雰囲気、あるいは逆に欲と二人連れになったようなギラギラと陰湿な内面を隠し持つ演技等々、とにかく強い印象を残すのですねぇ。

しかも、そこには決して恥じらいを忘れない、美しさがあるのです。

また今日では有名になっている彼女のデビューまでの経緯では、不良少女だった頃の自然体な雰囲気が、東映の諸作で演じたスベ公やお転婆娘の演技に直結していたのでしょう。それらは決して代表作とはなり得ていませんが、個人的には「網走番外地・北海篇」での運送屋の娘役が好きです。途中で尿意に耐えかねて……、の場面は観ての楽しみ♪♪~♪ まあ、露骨に尻をまくるというような演出はありませんが、不貞腐れた羞恥心を見せる彼女が、良いんです♪♪~♪

さて、本日ご紹介のシングル盤は、今では人気絶大なサイケ歌謡の決定版♪♪~♪ 発売は昭和43年という昭和元禄が真っ盛りのピッピーな衣装とメイクが眩しい彼女のジャケ写も秀逸ですが、楽曲そのものもセルジオ・メンデスあたりのラテンロックを見事に歌謡曲化した名演・名唱で、聴く度にウキウキ♪♪~♪ キュートで、ハスッパな彼女のボーカルが、本当にたまらんですよ。

これはCD化もされていますし、ネットでも流れていると思いますので、ぜひっ!

しかし、それにしても美人薄命というか、昨年末の飯島愛の訃報と同じく、ちょっとやりきれないものを感じます。人間の死は、何時、如何なる時も悲しいわけですが、生前が華やかな人ほど、また哀しみがつのるのも確かです……。

大原麗子、安らかに……。

そして天国でも、この曲を歌って下さい。

衷心より、ご冥福をお祈り致します。合掌。

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愛こそはすべての夏

2009-08-06 10:03:15 | Beatles

愛こそはすべて / The Beatles (Parlophone / 東芝)

昭和42(1967)年の今日、つまり遥か42年前の8月6日、私は本日ご紹介のシングル盤を買いました。

今では知らぬ人もない、まさにビートルズが全盛期の大ヒット曲ですが、そのお披露目は当時としては画期的だった宇宙中継によるものです。

それはイギリスのBBCが企画制作した「われらの世界」という、要するに人工衛星を使った宇宙生中継という番組でしたから、我国でもNHKがリアルタイムで放送したのです。

当時のメモを読み返すと、その日は昭和42年6月26日の早朝、午前3時55分からNHKによる解説が5分間あり、番組本篇は4時からのスタートになりましたが、これはもちろんイギリスと我国の時差によるものです。

しかし、その番組にビートルズが出るということは、そんなに前宣伝があったわけではなく、私の場合は4日ほど前のラジオ放送で、その事実を知って驚愕歓喜!

なにしろ現代と違って、海外ロックスタアの動く映像というのは極めて貴重な時代でしたし、特にビートルズの場合は、その絶対的な人気のわりに、我国では「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」とか「ヘルプ」という劇場公開作の映画、来日公演のテレビ放送、あるいはお菓子のCM放送ぐらいしか、ビートルズの動く姿に接する機会がなかったのです。有名なエド・サリバン・ショウにしても、完全版が放送されていたかは定かでなく、またイギリスでの「レディ・ステディ・ゴー」あたりの音楽番組も、当時は見た記憶がありません。もちろん家庭用ビデオデッキという文明の利器もありませんでしたから、この企画は嬉しかったですねぇ~♪

ところが、ビートルズが実際に登場するのは、番組のどのあたりなのかは、さっぱりわかりませんから、とにかく最初っから、じっとテレビ画面を見ている他はないのですが、それがなんとも退屈というか……。企画の性質からして、それは世界各国からのニュースレポートを繋ぎながら進行するという内容も、映像が白黒だったこともあって、???

そしてビートルズが登場したのは、5時半を過ぎていました。

場所はロンドンの、多分、アビー・ロード・スタジオからでしょうか、ビートルズが新曲をレコーディングするという生ライプ中継には、本当に心臓がバクバクするほど興奮させられましたですね。

しかもビートルズ本人達の風貌が驚くほど変わっていて、我国の音楽雑誌に掲載されていた近影と比較しても、まずジョン・レノンには髭が無くなっていましたし、現場に居並ぶ人々の多さとか、メンバーがヘッドフォンを着用していたのにも、非常に違和感を覚えました。

実は「Strawberry Fields Forever」のところでも既に述べたように、当時のビートルズに対して私は完全についていけませんでしたから、これでちょっと悪い予感に満たされたのが正直な気持ちです。

ところが、いざ歌と演奏が始まると、それはとても覚えやすく、ズバリ、良い曲♪♪~♪

ブラスバンドみたいな演奏パートも親しみやすく、なによりも最初の「ラァ~ヴ、ラァ~ヴ、ラァ~ヴ」という繰り返し、キメのコーラス「オール、ニード、イズ、ラヴ」と合いの手の「チャンチャチャカチャ~ン」の調子良さ♪♪~♪ ジョン・レノンの神妙にしてリラックスした歌いっぷりとヘヴィで煮え切らないようなストリングや混濁した音の彩りも、「Strawberry Fields Forever」よりは、ずっと洗練されているように感じたのです。また歌詞そのものも、簡単な英単語を使っていたのは大正解でしょう。

相当な眠気に襲われていたサイケおやじも、これで瞬時に目が冴えきって、当日は月曜日でしたから、そのまんまの勢いで朝飯を食って、学校へ堂々と行けたほどです。

さらに嬉しかったのは、その夜には再放送があったんですねぇ~♪

流石に早朝の放送時には家族に遠慮してテレビのボリュームを絞っていた私も、夜にはグッと大きな音でビートルズの新曲に酔い痴れましたですよ♪♪~♪

しかし残念ながら、この「愛こそはすべて」は放送の直近に発売されたアルバム「サージェント・ペバーズ」には収録されておらず、従姉から聞かせてもらったそのLPの内容には、またまた???

ですから、ようやく8月になって、件の新曲が発売されると知った時には心が躍り、小遣い倹約のために、1本5円のアイスキャンディーも我慢出来たほどです。

そしてついに手に入れた「愛こそはすべて」のシングル盤を、それこそ擦り切れるほど聴いていたのが、サイケおやじの昭和42年の夏でした。

いろんな文献によれば、その1967年はサイケデリック文化や音楽そのもので社会を変革出来ると信じられていた若者達の主義主張が最高の勢いだった頃で、サマー・オブ・ラヴなんて形容されているのですが、まさに少年時代のサイケおやじにしても、毎日が「ラァ~ヴ、ラァ~ヴ、ラァ~ヴ」と歌っていた時代でした。

ちなみに前述したテレビ生中継の歌と演奏に関しては、それが本当に公式発売されたレコーディングに使われたのかは、今もって疑問です。

実は後年、そのテレビ放送を直接録音したというテープを聞かせてもらったのですが、シングルバージョンでは存在するイントロのドラムスのロールがそこには無く、またジョン・レノンのポーカルそのものが異なっているように聞こえます。

このあたりは、公式映像作品の「ビートルズ・アンソロジー」でも解明されておらず、その場面では、なんとベストアルバム「青盤」等に収録のステレオバージョンが使われているんですねぇ……。もちろん、このシングル盤はモノラルミックスですし、テレビ生中継の時にはカラオケを使い、参加者多数のコーラス等々も雰囲気だけだったと思われますが、実際、謎は深まるばかりです。

ただし、その場のリアルタイムで動くビートルズと地球という空間を共有出来た喜びは、例えテレビという魔法の箱を通したものであったとしても、個人的には消し去ることの出来ない思い出になっているのでした。

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フォークだって、素敵なR&R

2009-08-05 12:56:07 | Pops

素敵なロックン・ロール / Peter, Paul & Mary (Warner Bros. / 東芝)

エレキは不良!

と決めつけられた昭和40年代、それならフォークは良いのかよぉ~!?

という疑問を絶えず持ち続けていたのが、サイケおやじの天の邪鬼でした。

というのもフォークソングは確かに大学生のサークルとか青年団みたいなグループが、楽しく集いながら生ギターで歌うというイメージがありましたが、一方では、例えば新宿駅西口広場の反戦・反体制運動の集会とか、強引な寄付集め、ほとんど恐喝まがいの署名運動等々、明らかに善良な市民の行為からは逸脱していた部分が少なからずあったのです。

しかし、それでも大人達からフォークが認知されていたのは、「反戦」という大義名分やメジャーなプロ歌手達のイメージの良さがあったからでしょうか……。

本日ご紹介のピーター・ポール&マリー、通称PPMはアメリカのグループですが、まさにそうしたところを代表するポップなフォークグループとして、日本でも絶大な人気があった3人組です。

メンバーはピーター・ヤロウ(vo,g)、ポール・ストゥーキー(vo,g)、マリー・トラヴァーズ(vo) という男が2人に女がひとりという編成ですから、そのハーモニーワークを駆使した説得力のあるボーカルスタイルが、まず絶品です。そして生ギターのアンサンブルが、これまた最高なんですねぇ~~♪

当時、我国でフォークソングを歌おうとする者は、すべからく影響を受けたといって過言ではないと思います。

しかも楽曲が、これまた素直に素敵♪♪~♪

一番有名なのはボブ・ディランが書いた「風に吹かれて」でしょうし、これはPPMのバージョンが流行ったことにより、ボブ・ディランが有名になったという1963年の大ヒット! 他にも童謡に見せかけたドラッグソングと言われる「パフ」、そして多くの反戦歌が、極めて原曲のメロディを大切して歌われているのですから、その歌詞の中身の辛辣さとは対象的という不思議な和みが、人気の秘密だったと思われます。

実際、サイケおやじにしても、反戦とか反体制とかは理解していなくとも、PPMが演じるがゆえの楽曲の魅力は、大いに感じていました。ボブ・ディランは、???……?

さて、そんな中で本日ご紹介のシングル曲は、1967年暮れにアメリカでヒットしたフォークロックですが、本来はアコースティックが持ち味だったPPMも時代の流れから、こうしたスタイルも歌うようになって、それでも自然体を貫いたという潔さ♪♪~♪

原題は「Too Much Of Nothing」で、これもボブ・ディランが書いたものとされていますが、それを「素敵なロックン・ロール」なんていう邦題をつけるあたりに、いやはやなんとも……。ちなみに同路線では、このシングル曲の前に出たのが「ロック天国 / I Dig Rock And Roll Music」でしたから、ねぇ♪♪~♪

あんまり意味の分からない歌詞ゆえに、幾分虚無的に歌ってるPPMをバックアップするのは典型的なフォークロックのサウンドですから、我国でも昭和43(1968)年に入ると、ラジオを中心に、しぶとくヒットしています。

で、冒頭の話に戻ると、日本でフォークソングが一番リアルに流行っていたのは、恐らく昭和44(1969)年夏頃までかもしれません。前述した新宿駅西口広場のフォーク集会も夏前には強制的に排除され、その場所は「通路」に変更されました。

そして当時活動していた歌手やグループはメジャーなレコード会社から再デビューというか、後の歌謡フォークに繋がる歌を出し、既に有名になっていた歌手やグループに追従するのです。爛熟から末期的になっていたGSとゴッタ煮となった部分も否定出来ません。

エレキが不良でなくなったのは、この頃からでしょうか?

昭和45(1975)年には、いよいよ歌謡フォークのブームが本格化する兆しが表れ、エレキを使うバンドは時代遅れとなりつつあったのも、その表れでしょうか?

しかし、私は知っています。

フォークをやっている者にしても、セックス、ドラッグ、ロックンロールは好きなはず!

じゃ~なきゃ~、あんなに、だらしない反体制活動なんて、出来やしないのです。反戦ビラを配りながら、女をナンパしていた奴らが、大勢いたんですよ。

批難するつもりは、もちろんありません。

まさに素敵なロックン・ロールだったのです。

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胸キュンの最高峰はビコーズ

2009-08-04 11:01:24 | Rock

Because / Dave Clake Five (EMI / 東芝)


昭和40年代はビートルズが何でも一番だったことを否定はしませんが、どっこい、巷にはまだまだ多くの素敵なメロディが溢れていたのも、また事実でした。

例えば本日ご紹介のシングル曲は、その胸キュン度数が最高の極みつきでしょう。とにかく甘いメロディとオルガンが実に印象的なんてすよ♪♪~♪ 発売されたのは昭和39(1964)年で、翌年にかけて大ヒットしましたですね。

演じているデイヴ・クラーク・ファイブはイギリスのグループで、メンバーはマイク・スミス(vo,org)、デニス・ペイトン(ts)、レニー・デヴィッドソン(g)、リック・ハクスレイ(b)、そしてデイヴ・クラーク(ds) の5人組です。そしてジャケットをご覧になれば一目瞭然、如何にも芸能界王道路線というスマートなルックスながら、しかし、その音楽性はなかなかにエグ味もある、当時の言い方ならば、パンチの効いたサウンドが特徴的でした。

ただし、日本でそれが知れてくるのは、このヒットがきっかけで、おそらく、この曲によってデイヴ・クラーク・ファイブはブレイクしたのではないかと思います。つまりバンド本来の持ち味からすれば、異質の展開が結果オーライ♪♪~♪

ちなみに当時の世界と我国の洋楽ヒット状況を考察すれば、エルビス・プレスリーによって白人主導のR&Rがブレイクし、続けてリトル・リチャードやチャック・ベリーといった本物の黒人R&Bがネタをバラした後、大スタアのエルビス・プレスリーが徴兵されたことで、激しいグルーヴをもった若者の音楽は、大衆芸能路線に追従していました。

それは元祖産業ロックというか、アイドル性を持った歌手が職業作家の書いた楽曲を歌い、あるいは上品な白人歌手がR&Bを脱色して演じ、さらにシュガーコーティングした甘い恋愛の歌を作り出しては、十代のマーケットを狙い撃ちです。

それは我国でもロカビリーの大きなブームが何時しか歌謡曲へと変質し、そのバックを演じていたのはジャズ専門のミュージシャンでしたから、さもありなん……。

少年時代のサイケおやじにしても、エルビス・プレスリーは歌う映画スタアで、小林旭みたいな人だと思い込んでいたほどですし、ラジオから流れてくる洋楽にしても、映画音楽とか大衆ジャズが多かったと記憶しています。

そんなわけですから、良いメロディの楽曲が優先してヒットするのは、あたり前田のクラッカー!

私はビートルズよりも先に、ビーター&ゴードンの「愛なき世界 / A World Without Love」と並んで、この「Because」が死ぬほど好きになりました。

逆に言えば、既に発売されていたビートルズの歌と演奏が、どれほど激しかった!?!

ということなんですねぇ~。

ベンチャーズに代表されるエレキサウンドも、またしかりです。

ちなみにデイヴ・クラーク・ファイブは、その楽器編成やグループの醸し出す雰囲気から、我国GSのブルー・コメッツとの関連も浮かんでまいりますが、やはり意識していたのでしょうか? 歴史的にはブルコメの方が昔から活動していたように思いますが……。

それとデイヴ・クラーク・ファイブは本国イギリスよりも、アメリカや諸外国で人気が高かったそうで、所謂ブリティッシュビートを広めた功績についてはビートルズと双璧だと言われていますが、そのビートルズの人気が本格的にブレイクした後は落ち目の三度笠……。するとリーダーのデイヴ・クラークは逸早く俳優へと転身しています。

尤もこれはバンドが全盛期から映画出演もメインにしていた活動にもよるでしょう。

このあたりは、我国のGSにも大きな影響を与えているのかもしれません。

ということで、昭和の洋楽はメロディが良くなければ流行らないという、極めて真っ当な事実を本日は書きたかったのです。

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ビートルズに出会った頃

2009-08-03 11:59:55 | Beatles

Please Mister Postman / The Beatles (Parlophone / 東芝)

これまでも度々述べてきたように、サイケおやじの音楽的感性の形成については、テレビよりも先にステレオが我が家にやって来たという、昭和30年代としては異常な家庭環境が大きく影響しています。

そして、もうひとつ、昭和39(1964)年の冬休み、歳末大売り出しの福引でトランジスタラジオが当たったことも、大きかったですねぇ。

この時はお使いを命じられ、半ばふてくされて買い物に行った雑貨屋でもらった1枚の福引券が、私の運命を大きく変えたと言っては大袈裟かもしれませんが、とにかくそれで引き当てたトランジスタラジオは、すでに家にラジオとステレオがあったことから、自然の成り行きで私のものになったのです。

これは嬉しかったですねぇ~~~♪

確実に新しい世界が広がったというか、ちょうど現代の子供がPCを入手してネットの世界に足を踏み入れる事と同じかもしれません。

とにかく当時は、ラジオがテレビと同等の影響力を持っていましたから、私が楽しみにしていた音楽やお笑いの番組、スポーツ中継等々が本当に充実していたのです。そして、そうこうするうちにエレキやビートルズが大きなブームになっていく、その過程を自分だけのラジオで楽しめたのは、幸せの極みだったと思います。

ですから寝る時間になっても、布団の中に持ち込んだトランジスタラジオにイヤホーンを使って、夜遅くまで楽しんでいたのは言うまでもありません。深夜放送なんてものがある事を知ったのも、その頃でした。

またラジオ局にも個性があって、例えばロック系の音楽ならニッポン放送、映画音楽なら文化放送、大衆芸能全般ならTBS、という感じだったでしょうか。当時のDJにしても、積極的にロックやR&Bを流してくれる人が好きでした。

それと深夜放送といえば、昭和40年代前半には所謂お色気番組があって、女性アナウンサーとかセクシー系の女優さんが、甘い囁きを♪♪~♪ これには少年時代のサイケおやじも、その神髄は理解出来ないまでも、相当に妖しい気分にさせられましたですね。

そして当然ながら、それを察知していた母親によって、深夜放送を聴くことは禁じられたり、全く大人の無理解には辟易させられるわけですが、それを中学生になってからは深夜までの勉強という大義名分にすり替えて、難を逃れたのです。まあ、その頃には、前述したようなお色気番組は廃れてしまったのですが……。

そのような事情ですから、小学生だった私がビートルズを知ったのもリアルタイムでした。そして最初に買ったのが、本日ご紹介のシングル盤です。

ご存じのようにビートルズは1964年になって世界中で大ブレイクしたわけですが、ここでお断りしておきたいのが、当時の我国の事情です。それはまずビートルズよりもベンチャーズやアストロノウツの方が人気があったという厳然たる事実! そしてビートルズのレコードが大っぴらに出回ったのは同年の春以降だったということです。

もちろん歴史では我国でも昭和37(1962)年に、あの「My Bonnie」がシングル盤として発売されているのですが、どの程度売れていたかは不明です。おそらくそれほどは……。

しかし昭和39(1964)年になると2月頃から毎月、ビートルズのシングル盤が発売されるようになり、ラジオからも頻繁にそれらが流れるようになったのですが、けっして大きなヒットとはいえなかったと思います。

そしてビートルズが我国で大ブレイクしたのは、あの傑作映画「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」が公開されてからだと個人的には思うのですが、いかがなもんでしょう。当然ながらファン層は圧倒的に女の子、私からみればお姉さま達でした。

おそらく当時の音楽好きな野郎どもは、ビートルズが好きとは、あまり言えなかったんじゃないでしょうか?

さて、肝心のシングル盤についてですが、A面はご存じ、モータウンヒットのカバーとして、今では知らぬ人もない有名曲になっていますが、当時の我国ではオリジナルを歌っていたマーヴェレッツという女性グループはもちろんのこと、モータウンサウンドなんていうもの自体が流行っていませんでした。私にしても、てっきりビートルズのオリジナル曲と思い込んでいたほどです。

初っ端にビシッと鳴り響くドラムスのタイミング、そしてキメのコーラスシャウト「ウェイッ!」から続くジョン・レノンの迫力ボーカルと密度の濃いロックビートが最高の演奏! 胸が熱くなるようなメロディの節回しは、後でオリジナルバージョンを聴いてわかったのですが、ジョン・レノンが絶妙にフェイクしていたんですねぇ~~♪

ポール&ジョージのコーラスも、これまた、熱くてせつないです。

ちなみにこの歌と演奏は、我国では独自編集されたデビューアルバム「ビートルズ! / Meet The Beatles (東芝 OR-7041)」に入っていましたが、当然ながら買うことの叶わないサイケおやじは、中でも一番好きだったこのシングル盤を入手したわけですが、もうひとつの魅力はB面の「Money」でした。

皆様がご存じのとおり、この曲は本国イギリスにおいて既に2ndアルバムの「With The Beatles (Parlophone)」に「Please Mister Postman」と共に収められ、1963年11月に発表されていたものですが、我国では前述のデビューアルバムがそうであったように、再び独自の編集となった「ビートルズ No,2 ! (東芝 OR-7058)」へ収録されて世に出るのです。

しかもそれが、このシングル盤と同じ、昭和39(1964)年6月5日の発売でしたから、LPを買えない者にとっては、純然たる新曲扱いだったのですねぇ~♪

歌と演奏については言わずもがな、これまたモータウンの礎を築いたパレット・ストロングのウルトラR&Bを、これ以上無いほどにヘヴィなハードロックへと変換したビートルズの大名演!

印象的なピアノのイントロからグググゥゥゥ~ンとウネリながら入っていくギター、そして重いドラムスとベースが作り出すドライヴ感の物凄さ! さらにダーティなジョン・レノンの熱唱ボーカルにやけっぱちなコーラス! こういう黒っぽさを、当時はどう表現していいのか、ちょっと戸惑うほどシビレましたですねぇ~~♪

この両面、本当に朝な夕なに鳴らしまくったですよっ。

ちなみに当然ながら、このシングル盤はモノラル仕様なんですが、「Money」に関してはステレオとモノラルでミックスの違いが散見されます。そして結論から言うと、この日本盤シングルに収められたバージョンは、そのステレオミックスをモノラルに落としたものじゃないでしょうか? というのも、ピアノのイントロに導かれて入ってくるギターとドラムスが、イギリス盤のモノラルミックスだとスティックによるビートの刻みになっているのですが、このシングル盤では完全にステレオバージョンのミックスと同じプレイになっているのです。

尤もこれに気がついたのは、前述したイギリス盤のモノラルミックスを聴けた1970年代になってからのことですが、それには非常に違和感がありましたですね。そして何故かアメリカ盤「Second Album」のモノラルミックス (Capitol T2080) も、この日本盤と同じく、ステレオミックスを直截的にモノラルに落としただけということは、やはりステレオミックスに軍配があがるということかもしれません。そして日本盤LP「ビートルズ No,2 ! (東芝 OR-7058)」もまた、アルバム自体がモノラル仕様だったんですが、同様にステレオミックスのモノラル直落としバージョンになっているところをみれば、それも肯定出来るのでした。

ということで、ビートルズはカパーを演じても、やっぱりダントツの存在でした。それに気がつくのは当然ながら、もっと後のことなんですが、それにしても当時はこんなにストレートにドライヴ感満点のロックをやってくれるバンドは皆無だったと思います。正直、演奏面に関していえばベンチャーズの方が優れているかもしれません。しかしそこに無いのがド迫力のボーカルとコーラス! 両面ともにシャウトして熱唱するジョン・レノンは、本当に歌が上手いですねぇ~♪ もちろん通常の「上手さ」とは、一味違うんですが♪♪~♪

こうしてビートルズへの扉を開かれたサイケおやじは以降、ストレートにそちらへ行けば良かったものを、結局は回り道してしまった原因のひとつとして、ラジオがあったこと告白しておきます。

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ルー・ドナルドソンのでかい顔

2009-08-02 09:22:32 | Jazz

Signifyin' / Lou Donaldson (Argo)

先日のアルバート・キングに続いて、「でかい顔」シリーズの第二弾が本日ご紹介のアルバムです。

主役のルー・ドナルドソンはハードバップからソウルジャズ全般で、ブルーノートにおける諸作が名盤扱いになっていますが、これはその古巣からアーゴに移籍しての最初のセッションから作られたものだと思われます。

録音は1963年7月17日、メンバーはルー・ドナルドソン(as)、トミー・タレンタイン(tp)、ロイ・モントリル(g)、ジョン・パットン(org)、ペン・ディクソン(ds) という中で、特にギターはブルーノートならばグラント・グリーンになるはずが、やはり別レーベルということで大スタアの参加は流石に無理……。しかし代役を務めたロイ・モントリルが素晴らしい名演を披露しています。

A-1 Signifyin'
 アルバムタイトル曲は、もうこれ以上は無いというゴスペルファンキーがど真ん中のストライク! 初っ端から弾みまくったソウルフルなグルーヴが最高に心地良く、シンプルなリフを使ったテーマからバンド全体の楽しげなムードが横溢しています。
 そして飛び出すジョン・パットンのオルガンが、まさにノリノリ♪♪~♪ 強靭な左手とフットペダルで作り出される4ビートのウォーキングも熱すぎますねっ!
 またロイ・モントリルのギターが、これまた黒い血潮の滾るが如き熱演で、ザクザクと刻むリズムギター、合いの手の調子良さ、さらにペキペキの音色で弾きまくるアドリブソロが、最高の極みつき! 黒人音楽の神髄というか、これぞっ、ソウルグルーヴとモダンジャズの美しき融合でしょうねぇ~♪ 決して頭でっかちではない、体で感じる楽しさ優先主義には身も心も踊らされてしまいます。
 ちなみにこの人は、後で知ったのですが、ニューオリンズ系R&Bの分野ではトップクラスのギタリストで、そういえば、この曲に限らず、セッション全体に微妙に色付けされているニューオリンズ風味は、この名人ギタリストの参加ゆえのことかもしれません。
 するとトミー・タレンタインが、これまたブルーノートのセッションではあまり聞かせたことのない、シンプルなフレーズを中心に組み立てたB級グルメの爽快アドリブですよっ♪♪~♪ この人もまた、マックス・ローチ(ds) のバンドレギュラーとして演じる、些か勿体ぶったスタイルよりは、こういう現場が似合っているように思います。
 そして、お待たせしましたっ!
 いよいよ登場する親分のルー・ドナルドソンが、そのスピード感とグルーヴィなノリが両立した熱帯性のアルトサックスで、美味しいフレーズの大サービス♪♪~♪ いろんな有名曲のメロディを巧み引用しつつ、間然することのないアドリブを聞かせてくれるのですから、もう、辛抱たまらん状態ですよっ!
 演奏全体から発散してくるウキウキするようなムードも最高潮ですし、リフとアドリブの応酬やオカズと主食のバランスもギリギリまで脂っこくて、これがモダンジャズの楽しみの極北じゃないでしょうか。

A-2 Time After Time
 全曲の浮かれたムードを、すぅぅぅ~とクールでジェントルな世界に一転させる、これもルー・ドナルドソンの名人芸が楽しめる好演です。
 それは、ほとんどテーマメロディしか吹いていない、わずか2分半の演奏ですが、イヤミ無くドラマチックに盛り上げていくリズム隊も、なかなかに秀逸だと思います。
 う~ん、それにしても、こういう有名スタンダードを堂々とやってくれる潔さって、やはりルー・ドナルソンならではの感性なんでしょうねぇ。一般的には、あまりにも売れセン狙いのミュージシャンに思われがちの人なんですが、そのジャズ魂は決して軽くないと感銘を受けるほどです。

A-3 Si Si Safronia
 そして、これまた楽しいボサロックのラテンジャズ♪♪~♪
 ベン・ディクソンが十八番の残響リムショット、暑苦しいジョン・パットンのオルガンが、弾みきった曲調にはジャストミートなんですねぇ~♪
 楽しいテーマメロディに続いて飛び出すルー・ドナルドソンの、ちょっと何気ないアドリブの最初のフレーズが、実は聴くほどに飽きない名演ですし、予想外に流麗なフレーズを連ねるトミー・タレンタインも好調です。
 また、ちょっとハコバン的なリズム隊の味わいも憎めませんが、ジョン・パットンの密度の濃いアドリブは、オルガンの新しい可能性すら感じさせてくれますよ。
 あぁ、真夏の海辺で冷えたビールとヤキソバが欲しくなります。

B-1 Don't Get Around Much Anymore
 これはお馴染み、デューク・エリントン楽団の有名ヒット曲を楽しく料理した、まさにルー・ドナルドソンのバンドが真骨頂! ドドンパのリズムを叩き出すドラムスの浮かれた調子に合わせるトミー・タレンタインのオトボケアドリブが、まずは憎めません。
 そして日常茶飯事的なソウルグルーヴに拘るジョン・パットン、親分の貫録を軽いタッチで披露するルー・ドナルドソンという、微妙に粋なところがブルーノートのセッションとは異なる雰囲気かもしれません。
 尤も、このあたりは移籍前の古巣最後のセッションを収めたジミー・スミスの人気盤「Rockin' The Boat」でも感じられたムードですから、当時の流行りだったのでしょうか?

B-2 I Feel In My Bones
 ワルツテンポで演奏されるゴスペルファンキーで、このバンドにしては珍しいといっては失礼かもしれませんが、ちょいと厳かな雰囲気すら漂う味わいが絶妙です。実際、マイルス・デイビスが出てきても、違和感が無いようにさえ思うんですよ。「All Blues」のファンキーソウルな解釈というか……。
 なにしろロイ・モントリルのギターがダークにグルーヴし、トミー・タレンタンイのトランペットがグッと落ち着き、さらにジョン・パットンのオルガンがモード味! そしてルー・トナルドソンのアルトサックスまでもが、珍しくミストーンまで出した前向きな意気込みなんですねぇ。
 しかし、それでもバンドが持ち味の楽しさ優先主義が崩れていないのは、参加メンバーの資質ゆえでしょうか? 個人的にはジョン・パットンとペン・ディクソンのコンビネーションに秘密が隠されているように思います。

B-3 Coppin' A Plea
 そしてオーラスは、如何にも「らしい」、ノーテンキなハードバップの決定版♪♪~♪ ファンキーでソウルフル、それでいてハードバップ本来の4ビートのウネリが、徹底的にシンプルな黒いビートで演じられていきます。
 強いアタックを最高のアクセントに活かしたテーマのヒップなフィーリング、そこへ飛び込んでくるトミー・タレンタインのトランペットには、日活ニューアクションか東宝スパイアクションのサントラ音源の如き痛快さがありますし、続くジョン・パットンのオルガンは、これまたジミー・スミスに敬意を表しつつ、なおさらに煮詰めんとする意気込みが素敵です。
 そしてルー・ドナルドソンは、幾分ダーティな音を交えたフレーズまでも聞かせる、全くの親分肌が余裕です。こういう、何気ない凄みって、今のミュージシャンには醸し出せないものじゃないでしょうか。

ということで、決してガイド本には登場しないアルバムだと思います。なにしろ演じていることがジャズの歴史云々ではありませんし、なによりも我国では、アーゴというレーベルがジャズの本流ではないという評価ですからねぇ。

しかし、黒人ジャズの本質は何もブルーノートの急進性だけで表わされるものではないでしょう。もっと生活密着型ともいうべき、大衆指向の演奏にも、むしろ強くそれが滲んでくると思います。

なによりも、そんな理屈をこねる前に、とにかく聴いてみることが肝心でしょうねぇ。

もちろん十人十色の楽しみ方、感想や批判はあるわけですが、ルー・ドナルドソンの魅力は、そんな諸々に惑わされないところでしょう。以前のように精神論でジャズを語らなくてもよい現代には、最高のミュージシャンだと思います。

でかい顔も当然のジャケットが全て!

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