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Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

ヒトの目,カメラの目

2017-11-12 09:53:55 | お絵かき
スケッチの市民講座で,講師はヒトの目とカメラの目の違いを強調された...「ヒトは感動しているものだけを見ていて,ほかはボケる.絵画化したときは省略・デフォルメに通じる.これに対しカメラは風景を均質化・平均化し,その映像は説明的である.」

ヒトの目は二つ,カメラの目は一つである. 以下は小生の物理的な考察.

ヒトの目をひとつだけ取り出してカメラと比べれば,水晶体とレンズ,網膜と受光素子 (フィルム) といった対応がつく.網膜に結ばれる映像は幾何光学の光線追跡法で計算でき,写真とまぁ似たようなものだろう.

しかしわれわれの脳の中にあるのは,二つの目が合成した空間情報である.この合成情報は,頭の中なら写真のような映像として思い浮かべることができる.でも写真にはならない.2次元化したらその瞬間に違うものになってしまう.またこの映像はヒトによって違うはずだ.視力には個人差があり,同一人の二つの目は完全に同じではないし,脳の働きにも個人差があるからだ.

写生とは,この脳内の空間情報を無理やり二次元に投影する作業である.この作業の技術ばかりが云々されるが,それ以前に情報そのものに個人差があって当然である.それだから絵画に画家の個性が反映され,さらにそこに意識的に何かが付け足されることで,芸術として成り立つのだろう.

2台のカメラを左右に目の間隔程度離して撮影した写真を,左の目はもっぱら左のカメラの写真,右の目はもっぱら右のカメラの写真だけを見るようにして,脳内で2枚の写真を合成させると,奥行きのある像が得られる.このときの脳の働きはふつうに二つの目で見るときと同じはずである.

しかし,この写真の奥行きは,芝居の大道具あるいは書き割りみたいで,いまいち質感がない.
二つの目の「視差」が生み出す立体視のほかに,視点移動にも立体視効果がある.我々は無意識に頭や目玉を動かして,視点移動しているのだと思う.二つの目を使わなくても,片目だけで得た視点移動映像の記憶を脳で合成すれば奥行きのある像が合成できる.
逆に三次元写真はこの視点移動効果を欠いているので,味気なく物足りないのだろう.

研究所のアトラクションで,数メートル離した2台のカメラから立体動画をつくり,「これがゴジラの見る世界である」と称したことがあった.
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