この本「わらべうたは死なず」における小出氏の調査では,日本のわらべうたにハモっている例は皆無.こどもには自分のと違う高さの音が聞こえると,歌うのを躊躇する傾向がある.
丹羽謙次作詞作曲の「あの青い空のように」は交互に歌い出すところから始まり,フレーズの最後の音をのばして相手の音との重なりを作るように出来ている.しかしこどもたちは相手が歌い出すと自分は歌うのをやめてしまう.輪唱「かえるのうた」を歌うこどもたちは必死の形相で,相手の声が聞くまいと声を振り絞っているという.
マーシャル諸島の日本人学校のこどもたちは,誰が教えたわけでもないのに,複数で歌うと必ずハモっていた,というのは小学校教諭小出さんの同僚の経験談.
小出氏は,日本人には和声の概念がない,と説く.入学式・卒業式では合唱を求めたがるが,これが斉唱だったら本能でできるから,練習時間も少なくて済むし,感情や思いもストレートに込められるだろう.
音楽教育者としても有名なコダーイは「誰もが自然な方法で育てられるべきであろう.ハンガリー音楽から国際的な音楽に至る道はやさしいことだが,その逆は困難であるか,またはあり得ない」と言っている.明治以降の我が国の音楽教育は洋楽の「ドレミ...」が出発点になっている*が,小出氏はこれは誤りであると主張する.この本には低学年のカリキュラムを日本民謡のテトラコルドから始める提案がなされている.
みわたせば,幼稚園・小学校低学年から英語教育を! という傾向があるが,これにもドレミ教育と同じ/あるいは似たような問題が感じられる.
* 拙著「音律と音階の科学」には,ハモることを重視すればドレミ..に到達することが記載されている.