カラースライドが出てきたので,拡大する方法を模索.
スライドを iPhone のブランク画面に乗せ,もうひとつの iPhone で撮影するのがいちばん簡単だ.意外に iPhone カメラの接写が拡大に耐えるのだった.
カラースライドが出てきたので,拡大する方法を模索.
スライドを iPhone のブランク画面に乗せ,もうひとつの iPhone で撮影するのがいちばん簡単だ.意外に iPhone カメラの接写が拡大に耐えるのだった.
1958年の映画「私は死にたくない」の原題は I want to live.名訳である.学生時代の記憶によれば,スーザン・ヘイワードが無実でありながら死刑にされるというひどい映画だった.実話に基づいていたらしい.音楽はジョニー・マンデルとあるが,ジェリー・マリガン,アート・ファーマー,シェリー・マンなどの若き日のお姿を拝める演奏シーンがあった.
竹内薫.PHP研究所 (2019/2).
高校生のための本.著者はブルーバックスなどたくさん書いておられるので,定年で教授職を退職されたご同輩かと思っていたが,1960生のお若い ? サイエンスライターであった (ただし PHP のこの本の著者紹介には,PHP から出版した著書しか紹介されていない).理系の世界を,文系を含む多数にわかりやすく伝えることが仕事とおっしゃる.東大文1に入学後,転部して教養学部教養学科で科学哲学を学び,卒業後理学部物理学科へ学士入学という,この種の本の著者には最適な経歴の持ち主.
カバーの袖には,文系・理系 (という分類はもう古い,それ) に代わる,いまの実情に即した分類があるとすれば,ひとつは「コンピュータ系」「非コンピュータ系」であり,もうひとつは「グローバル系」「国内系」という分類である...とある.
「第1章 文系・理系の区分けは、もう意味がない」では,AI の登場でどんな仕事がなくなり,どんな仕事が新しく生まれるかを示す.経済学は文系なのか理系なのか,も面白い.「好き」を尖らせていけばそれで生きていける...と希望を持たせてくれる.
年寄りばかりで話していると,教育制度の不備をあげつらって終わってしまう.しかしこの本は,受験生として今できるベストの選択を考えてくれる.そこで「第2章 15年後に生き残るための学部選び」「第3章 文系・理系の大学受験攻略法」と続くのだが,動物が好きだから生物学科は間違い,数学(国語)が苦手な人はどうすればいいか,など具体的.
「第4章 夢は一つじゃなくていい」では著者の経験を踏まえて,文系から理系へ・理系から文系への転換も語られる.海外への進学・大学で勉強する以外の選択肢も.
16トンの場合,父親が「理系は戦争に取られない」と言ったのが効いて,理系に進んだ.今にして思えば,どちらでもよかったかな,とも思う.
図書館本.
わが街の資本金1000万円のスーパーの天然酵母パン.朝食の準常連と化している.
駅前店で見かけるパンに限ると,バケットも「国産小麦粉」をうたっているが,「天然酵母」は写真の品だけ.
パンの量産に使うのはイースト菌.ネットによれば,イーストはパン作りに適した一種類を凝縮したパン専用の酵母,いっぽうの天然酵母は,小麦や果実などに生息している複数の酵母を増殖させたもので,酵母以外に共生している乳酸菌などの複数の微生物が,味や風味に深みを加えている...のだそうだ.
阿部幹雄「那須雪崩事故の真相 銀嶺の破断」山と溪谷社 (2019/6).図書館本.著者は1981年,中国四川省 7556m ミニャ・コンガで遭難した登山隊の「生き残り」と自己紹介しておられる.
2017年3月27日,栃木県那須郡那須町の那須温泉ファミリースキー場付近で,春山登山講習会に参加していた高校生7人と引率教員1人の計8人が雪崩に巻き込まれ,死亡した.講習会は栃木県高等学校体育連盟が主催し登山専門部が主管した.当日は茶臼岳登山が予定されていたが,積雪のためラッセル訓練に変更された.5班の編成で,このうち第1班は大田原高等学校山岳部12名と教員2名,第2班は真岡高等学校山岳部8名と教員.この2班が雪崩に巻き込まれ,第1班から死者が出た.
1班の講師の真岡高校教諭・菅又久雄氏は33年,チベット自治区 7206m ニンチンカンサ峰などの実績があり,県内で最も実力がある教員のひとりとみなされていた.もう1人の死亡した教諭は教員になって1年,それまで登山経験がなかった.この本で見る限り,この雪崩地点を訓練場所に選んだ責任の一部は菅又氏にあり,生存した高校生の談話をから判断すると,現場での氏の指示も曖昧だった.この本は菅又氏に対して手厳しい.
若い時に山岳部で猛者としてならし,趣味の延長のように高校生をしごいていた(らしい)教員たちには同情しないし,刑事告発も当然と思う.しかし,犠牲者・被害者として生徒だけが取り上げられ,同時に死亡した29歳だった教諭が忘れられがちで,本書でも短く取り上げられているだけはいかがなものか.山岳部の顧問にさせられたのが,彼の本意であったかどうか疑問だし,山岳の知識技術は上級生・生徒の方が上だっただろう.忙しい本務すなわち教育・授業が終わって春休みと思ったら,講習会に駆り出され... 教員と部活に関わる本質的な問題だ.
実はこのスキー場事故の7年前,2010年の同じ3月27日,この事故現場から北北東へ約 1km の茶臼岳郭公沢でも,同じ講習会が雪崩事故に出会っている.この時は全員が自力で脱出したこともあり,主催側が事故をもみ消した.郭公沢雪崩はスキー場雪崩と同じ機構による雪崩であり,この情報が共有・継承されていたら,この事故は未然に防げたかもしれない.
雪崩埋没者の生存率は発生後18分なら90%だが,35分では20%に下がる.この事故では消防への第一報は雪崩の39分後であった.それでも2時間以上経ってから救出された生徒が2名いた.枝が広がった木のために空間があり,またサラサラ雪が空気を含んでいたので窒息を免れたという.雪崩地点は携帯電波が使えたが使われなかった.また救出作業に生徒を参加させなかったことも,微妙な問題.
この本では事故現場が「オルソ ortho 画像」で表示されている.これは地撮影した地形を高所からの航空撮影のように正射投影に変換した画像である.しかし見やすいとは言い難い.その他写真が随所に挿入されているが,むしろ平面図に起こしていただいた方が理解しやすかったと思う.
「銀嶺の破断」のサブタイトルはしょうしょう大げさだが,雪崩事故の翌年1月,下から撮った雪崩地点下に現れた長大な破断面の写真は,ここでいつ雪崩が起きても不思議がないことを示している.
Youtube に著者が語りをつとめた TV 番組が残っていた.
昨日の続き.新潮文庫版・新訳「ねじの回転」の裏カバーの作品紹介によれば
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イギリス郊外に静かに佇む古い貴族屋敷に、両親と死別し身を寄せている眉目秀麗な (10歳の) 兄と (8歳) の妹。物語の語り手である若い女「私」は二人の伯父に家庭教師として雇われた。私は兄妹を悪の世界に引きずりこもうとする幽霊を目撃するのだが、幽霊はほかの誰にも見られることがない。本当に幽霊は存在するのか? 私こそ幽霊なのではないのか? 精緻で耽美な謎が謎を呼ぶ、現代のホラー小説の先駆的な名著。
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「幽霊」はふたり,下男クイントと,その下男と関係したらしい前任の家庭教師ジェスルである.2人とも故人だが,それぞれが幼い兄妹と関係し,しかも死後も影響を及ぼしているらしい.しかし最後まで読んでも,具体的なことは何もわからない.
小説は入れ子構造で,ある金持ちの屋で行われた百物語で,客のひとりが,かつて自分の妹の家庭教師だった女性からの手紙に書かれた体験談を紹介したことになっている.どうやら家庭教師さんは,その後も無事に別な就職先を見つけたらしいということくらいは,推測できる.
Wikipedia に,1971 年の映画 The Nightcomers のあらすじが,この小説の前日譚として紹介されていた.
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両親の事故死を知らされていない金持ちの姉弟 (原作は兄妹) がひっそりと暮らしている。家庭教師のジェスル先生(新潮文庫版ではジェセル先生)は下男のクイントに陵辱されるが、体は惹かれていく。その様子を見たマイルズは姉に似たような行為をする。家政婦のグロースは子どもへの悪影響を考えて二人を解雇する。フローラたちは二人を別れさせたくないと思い、ジェスルに池のむこうの小屋でクイントが待っていると教えるが、ボートには穴が空いていた。ジェスルの遺体を見つけたクイントは酒を煽る。その頭にマイルズの矢が突き刺さり、「すぐにジョスル先生と会えるからね」。
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邦題は「妖精たちの森」.主演マーロン・ブランド.いかにもハリウッド的だがイギリス映画.だこういう解釈も許されるか,とは思うが,これだけ聞けば見なくてもいいな.
原題は The Turn of the Screw だが,The Rotation of... と言い間違えて,マックスウェルにスポイルされているね,と冷やかされたことがある.
ヘンリー ジェイム, 小川高義 訳,新潮文庫 (2019/8).
作者ヘンリー・ジェイムズの兄ウィリアムは哲学者で,この兄弟について夏目漱石はこう書いている : 「ヘンリーは哲学の様な小説を書き、ウィリアムは小説の様な哲学を書く、と世間で云われている位ヘンリーは読みづらく、又その位教授は読み易くて明快なのである」...青空文庫「思い出す事など」..
ヘンリー・ジェイムズの小説は難解であると吹き込まれたのは,高校時代と思う.そのとき,一節くらい英文和訳させられたかもしれない,そういう高校だったのだ.当時の呪縛から解放され,初めて全文を新訳で読んだ.
翻訳がうまいためかもしれないが,文章が難しいとは思わなかった.しかし,語り手への感情移入を強制された結果,読み進めるのを苦痛に感じた.中編だが,やっと読み終わったら,何が何だかわからないまま放り出されたように思った.確かに,始末に負えない小説.
新潮文庫 Star Classics 名作新訳コレクションの一冊.翻訳は他にも光文社古典新訳文庫,創元推理文庫,岩波文庫から出ていて,新潮文庫にも蕗沢忠枝訳が存在していた.これは解釈を読者に委ねる小説で,訳者も当然読者であるから,それぞれの解釈に基づき,たくさんの翻訳が出るのも意味のないことではあるまい.
思い出したのは,伊丹十三の「パパ・ユーア クレイジー」の翻訳.ここで伊丹氏は次のルールを自分に課したという.
1 訳文で人称代名詞は極力省略しない.
2 原作を一通り読んでから訳すのではなく,読んでは訳し,読んでは訳しという作業を繰り返す.
どうせなら一冊くらい,伊丹流の翻訳があってもいい? とくに項目 2 には期待できそうだ.
この新訳の訳者あとがきは「やれやれ,ともかくも終わった,という心境である」で始まっていて,面白い.
デパートの北海道展で,憧れのししゃもを購入.
スーパーで売っている「ししゃも」は,キュウリウオ科の「カラフトししゃも」であって,もっぱらノルウェー,カナダなどからの輸入品.同じキュウリウオ科のホントの「ししゃも」は,日本固有種で,北海道太平洋沿岸の一部,むかわ町,釧路市,八雲町でしか獲れないのだ.小さい生干し10本の目刺しが1000円くらいと,高いけれど文句は言えない.
市民講座「東広島をスケッチしよう」に参加して描いたスケッチを,アクリル絵の具で8号キャンバスに写した.CDケースのときに比べ,絵の具がどんどん減るのに困惑した.
左半分の時報塔は真面目な写生調.右半分のザクロの木は,せいぜいアップして,果実を実際より密集させた.木は,木の葉を一枚一枚写生するわけにもいかないから,シロトは往生する.結果的に右半分はイラスト調になったが,ま 良いか.
もう1枚がノルマで,気が重い.