路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【僭越ながら論・19.03.11】:「3.11」と復興五輪

2021-03-11 23:53:30 | 【スポーツ全般・屋内外の競技種目・オリ、パラ、デフリンピック・国民スポーツ大会】

【僭越ながら論・19.03.11】:「3.11」と復興五輪

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【僭越ながら論・19.03.11】:「3.11」と復興五輪  

 今年もまた、この日がやってきた。東日本大震災から8年、毎年「3.11」の前後に大手メディアが特集を組むおかげで、揺れと津波の恐ろしさだけは人々の記憶に残り続けている。しかし、大震災が引き起こした福島第一原子力発電所の事故は遠のくばかり。安全神話が崩壊したはずの原発は次々に再稼働し、“原発反対”の声はしぼむ一方だ。
 そうしたなか、高まる東京オリンピック・パラリンピックへの期待感。「復興五輪」という理念は、本当に生かされているのだろうか――。

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 ■閣議決定された「復興五輪」
 安倍内閣は2015年、「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針」を閣議決定。その中で、今回の五輪を次のように位置付けていた。

【「復興五輪」・日本全体の祭典】
 大会の開催により、世界各国からアスリート、観客が日本に集まり、海外メディアにより広く報道され、世界の注目が日本に集まることになる。この機会を国全体で最大限いかし、「復興五輪」として、東日本大震災からの復興の後押しとなるよう被災地と連携した取組を進めるとともに、被災地が復興を成し遂げつつある姿を世界に発信する

  内外に向かって、「復興五輪」をアピールしたことは確か。こうも述べられている。 

 東日本大震災の被災地の復興を後押しするとともに、復興を成し遂げつつある被災地の姿を世界に向けて発信することは、この大会の大きな目的の一つである。被災地の方々の声を十分に聴きながら、被災地を駆け抜ける聖火リレー、被災地での大会イベントの開催や事前キャンプの実施、被災地の子どもたちの大会への招待等について取組を進めるとともに、被災地における取組を世界に伝えていくことを通じ風評被害を払拭し、産業面を含めた着実な復興へとつなげる。 

 震災から8年経って、世界に誇れるほど復興が進んだのか――。「復興五輪」は来年に迫ったが、NHKが行った岩手・宮城・福島の被災者に対するアンケートでは、6割近くの人が「五輪は被災地の復興の後押しにならない」と答えたことが報じられている。避難者は、いまだに4万人超。ゆっくりとしか進まぬ東北の復興に比べ、東京は開発ラッシュの状況だ。復興をだしに使ったのも同然だろう。そもそも、復興など不可能な地域があることを忘れているのではないか?

 ■コントロール不能、フクシマの現実
 2016年8月、オリンピック招致の最終プレゼンテーションで安倍晋三首相は、福島第一原発の影響について次のように明言した。

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 現実はどうか。大量の放射性物質が、港湾の外にまで垂れ流されていたことは周知のとおり。溶け落ちた核燃料の冷却などで生じる福島第一の放射能汚染水は、浄化装置で一定程度の濃度を下げられるが、除去できないトリチウムを含んだ処理水は増え続ける一方だ。しかも、その処理水の最終的な処理方法は決まっていない。東京電力によると、貯蔵タンクにたまった処理水は今年2月21日現在で112万2,901トン。2020年までにタンクを増設して処理水約137万トンを貯蔵できるようにする計画だが、それも数年先には満杯なるとみられている。

 汚染水以上に問題となるのが「燃料デブリ」。燃料デブリとは、メルトダウンによって融解した核燃料が原子炉の中の他の金属や構造物などと混ざり固まったものだが、これをどうやって処理するかという肝心の課題が解決していないのだ。取り出すことが難しくなった場合は、旧ソ連時代に事故が起きたチェルノブイリ原発同様“石棺方式”で閉じ込めるしかないが、先はまったく見通せていない。

 非営利の民間研究機関「公益社団法人 日本経済研究センター」は今月7日、福島第一の事故処理費用が今後40年間に35兆~80兆円に上る可能性があるとする試算結果をまとめ、公表した(⇒「事故処理費用、40年間に35兆~80兆円に」。廃炉・汚染水処理だけで51兆円、賠償に10兆円、除染に20兆円かかるという内容である。これまでに経済産業省が明らかにした試算額は22兆円。4倍かかる計算だ。お先真っ暗という事態だが、政府はダンマリを決め込んでいる。安倍首相は、フクシマの何をコントロールしているというのだろうか。

 東日本大震災は、地震と津波の怖さを教訓として残した。「3.11」が巡ってくるたびに、日本人は記憶を呼び覚ますことだろう。全国各地で、対策を講じることも可能だ。だが、原発に対する警戒感は、日を追うごとに薄れているのが現状である。きょう一日、企業のCMがテレビから消えた当時のことを思い返してみたい。  

 元稿:HUNTER 主要ニュース 僭越ながら論】  2019年03月11日  09:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

 
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【東日本大震災】:【LIVE】:震災10年目の福島 地震、津波、そして原発事故

2021-03-11 16:32:30 | 【原発事故・東電福島第一・放射能汚染・デプリ・処理水の海洋放出と環境汚染

【東日本大震災】:【LIVE】:震災10年目の福島 地震、津波、そして原発事故

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【東日本大震災】:【LIVE】:震災10年目の福島 地震、津波、そして原発事故

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から、11日で10年となりました。2011年から10回目の3月11日、被災地ではそれぞれに1日の生活を送っている人たちがいます。福島第一原発の事故収束作業をする人、復興住宅でのんびりと過ごす人、共同墓地で亡き人を思い祈る人。あの日に命が途絶えた人たちがいる中、あの日から暮らしを続けている人たち。原発事故の被災地にいる記者が、その様子を伝えます。(片山夏子、小野沢健太、福岡範行、神谷円香)

 ◆午前8時 大熊町・東電社員寮

福島第一原発を意味する「1F」と書かれたバスに乗り込む人たち=福島県大熊町の東電社員寮前で

 福島第一原発を意味する「1F」と書かれたバスに乗り込む人たち=福島県大熊町の東電社員寮前で

 ピチュピチュという小鳥の声が響いた福島県大熊町大川原地区。東京電力の社員寮前で、紺色の制服を着た人たちがバスに乗り込んだ。運転手が明るい声で「おはようございます」と一人一人に声をかけた。バスはすぐに、事故収束作業が続く福島第一原発に向かった。

 ◆午前8時55分 大熊町・町役場近く

街灯の新設を終え、掃除する男性。街灯には太陽光発電パネルや風車が付き、自家発電した電気で道を照らす=福島県大熊町で

 街灯の新設を終え、掃除する男性。街灯には太陽光発電パネルや風車が付き、自家発電した電気で道を照らす=福島県大熊町で

 大熊町役場近くに新設した街灯を電気設備業者に勤める武井達哉さん(34)=福島県いわき市=が掃除していた。震災翌年には、町内で除染作業用の電気工事も担い、「誰もいない死んだ町」の姿も見てきた。街灯は太陽光発電パネルや風車が付いた自立式。「街灯は少ないし、建物の光もまだ少ないけど、明るくなったかなって」と笑った。

 ◆午前9時 富岡町・東電廃炉資料館

閉館中で閑散とした東京電力廃炉資料館=福島県富岡町で

  閉館中で閑散とした東京電力廃炉資料館=福島県富岡町で

 福島県富岡町の東京電力廃炉資料館前には「閉館中」の看板が掲げられ、人影はなかった。入り口の自動ドアは開き、下請け企業の男性従業員が「新型コロナウイルスの感染防止のために閉館しています」。見学者に閉館理由を説明するために入り口を開けているといい、「廃炉はまだ道半ば。今後も事故の反省を伝え続けたい」。

 ◆午前9時 南相馬市・JR鹿島駅

 無人駅だが、市の委託で平日の日中は駅で案内役をするNPO法人相馬救援隊のスタッフ柳原正一さん(67)は「今日も朝7時台に高校生が通学していった。無人だと夕方などは怖いからということで続けています」。登校する生徒を見送った後の駅は静かだった。

◆午前9時30分 大熊町・大川原地区

1年遅れで建設された商業施設。駐車場には入居する店舗の新しい看板が立ち、今春の開業に備えていた=福島県大熊町で

 1年遅れで建設された商業施設。駐車場には入居する店舗の新しい看板が立ち、今春の開業に備えていた=福島県大熊町で

 大熊町大川原の災害公営住宅に暮らす高齢男性4人が、縁側に腰掛けて「きょうは何すっべ」と談笑していた。すぐ近くの宿泊温浴施設の建設現場からはトントントンと工事の音が聞こえる。一足早く建った商業施設は今春開業する。ただ、施設建設は一年遅れ。男性たちは「店があるって聞いてきたのに、延期だもん。東電と同じだあ」とぼやきつつ、「これで、ちょっとは便利になるな」と期待も口にした。

 ◆午前9時55分 南相馬市鹿島区・八坂神社前

自宅横の神社入り口に自費で建てた「伝えつなぐ大津波」の石碑を見せる菅野信彦さん=福島県南相馬市鹿島区で

 自宅横の神社入り口に自費で建てた「伝えつなぐ大津波」の石碑を見せる菅野信彦さん=福島県南相馬市鹿島区で

 神社のすぐ横に住む農業菅野信彦さん(66)は「今日も変わらない日々。普通に畑仕事してる」。東日本大震災の津波は家のすぐ手前まで押し寄せた。忘れないようにと、自腹で神社入り口に「伝えつなぐ大津波」と記した石碑を建立したという。

 ◆午前10時30分 富岡町・夜ノ森

現在も帰還困難区域のまま立ち入りが制限された夜ノ森の桜並木=福島県富岡町で

 現在も帰還困難区域のまま立ち入りが制限された夜ノ森の桜並木=福島県富岡町で

 桜の名所として知られ、今もほとんどが帰還困難区域の富岡町夜ノ森地区。住宅地は鉄柵で囲われ、人通りはない。柵のはるか向こうで重機の音だけが響く。沿道の桜はつぼみがふくらんでいたが、住宅は屋根は崩れ、雑草に埋もれている。ここには暮らしがない。
鉄柵に囲われ空き地も目立つ住宅地=福島県富岡町で

      鉄柵に囲われ空き地も目立つ住宅地=福島県富岡町で

 荒れ地の写真を撮っていた富岡町の男性職員(58)は「ここは畑だったけど、持ち主は避難したまま。雑草が茂ってイノシシがよく出るという苦情があったので、写真に撮って持ち主に知らせるんです」。ただ、現地に来て対処する人はほとんどいないという。「この地区に住んでいるのは建設会社の作業員が多く、住民は放射能を気にしてあまり戻ってこない。この先、町の運営がどうなるのか見通せない」と声を落とした。
看板が落ちたままの商店=福島県富岡町で

 看板が落ちたままの商店=福島県富岡町で

屋根が崩れた民家=福島県富岡町で

 屋根が崩れた民家=福島県富岡町で

◆午前10時40分 南相馬市鹿島区・山田神社

「津波は山の真ん中あたりまで来たんだよね」と海沿いの山肌を示す松村浩安さん=福島県南相馬市鹿島区で

 「津波は山の真ん中あたりまで来たんだよね」と海沿いの山肌を示す松村浩安さん=福島県南相馬市鹿島区で

 神社の元の建物は津波で流され、日本財団などの支援で2016年に再建された。普段は人はいないが、震災から10年のこの日は神主の森いづみさんが社務所に控えていた。氏子の一人松村浩安さん(68)も「今日は誰か来るだろうと思って」、お参りにきた。「ここは海抜8メートルだが、14メートルの津波が来た。氏子は43人が亡くなった」。一帯の畑は区画整理中で、この春から全面的に作付けができるという。「当初の計画では2年前に終わる予定だったけど。今日は、ああ10年たったかな、というくらい」

 ◆午前11時10分 南相馬市鹿島区 かしまの一本松跡地

「かしまの一本松」が残っていた場所。今は新たな木の苗が育つ=福島県南相馬市鹿島区で

 「かしまの一本松」が残っていた場所。今は新たな木の苗が育つ=福島県南相馬市鹿島区で

 沿岸の松林で唯一残ったものの枯れてしまった「かしまの一本松」跡地。今は新たな防災林のための植樹が進んでいる。海側では、盛り土工事のトラックが行き交っていた。辺りに人影はほとんどない
新たな防災林の植樹が進む沿岸を走る工事車両=福島県南相馬市鹿島区で

 新たな防災林の植樹が進む沿岸を走る工事車両=福島県南相馬市鹿島区で

 ◆午前11時30分 大熊町・町役場前

色とりどりの折り鶴や風船を飾って式典の準備をする人たち。「ものの復興より心の復興」というメッセージも置かれていた=福島県大熊町で

 色とりどりの折り鶴や風船を飾って式典の準備をする人たち。「ものの復興より心の復興」というメッセージも置かれていた=福島県大熊町で

 大熊町役場前で式典の準備が進む。「ものの復興より心の復興」というメッセージボードが置かれていた。

 ◆午前11時45分 南相馬市原町区・萱浜

津波により多くの家屋が流され周りに何もなくなった萱浜地区で、一角に供えられた花と飲み物や果物=福島県南相馬市原町区で

 津波により多くの家屋が流され周りに何もなくなった萱浜地区で、一角に供えられた花と飲み物や果物=福島県南相馬市原町区で

 
 萱浜地区では、慰霊碑には真新しい花が供えられ、線香はまだ燃えて香っていた。近くの住宅跡とみられる場所にも、花と飲み物が供えられていた。
真新しい花が供えられ、線香が燃えていた萱浜地区の慰霊碑=福島県南相馬市原町区で

 真新しい花が供えられ、線香が燃えていた萱浜地区の慰霊碑=福島県南相馬市原町区で

 ◆午後0時50分 南相馬市小高区・小高交流センター

 生鮮品を販売する「小高マルシェ」。毎週木曜日に店番をしている同区の安部あきこさん(74)は「10年はあっという間。こんなに早いのかという感じ」と話した。沿岸部の高台にある自宅は地震や津波の被害はなかったが、東京電力福島第一原発事故による避難指示で5年間は住めなかった。戻った今は野菜作りをしながら、震災の語り部としても活動する。「今日は、マルシェは2時までなので終わったら帰る。明日出す品物の準備もあるし」。地震のあった時間に特別何かをするつもりはない。

 ◆午後1時 大熊町・大野駅周辺

帰還困難区域のゲートの向こうで進む解体除染の現場=福島県大熊町で

 帰還困難区域のゲートの向こうで進む解体除染の現場=福島県大熊町で

 大熊町のJR常磐線・大野駅のホームには、あちこちの現場で動く重機の「ガタンガタン」という音が響いていた。駅は1年前に再開したが、喫茶店やガソリンスタンドが並ぶ駅前の商店街は、まだ帰還困難区域のゲートの向こう。屋根や窓が壊れたままの建物が目立ち、解体除染が進む。
 午後1時5分、5両編成の原ノ町行き下り普通列車が着き、乗客が2人だけ降りた。

 ◆午後1時50分 双葉町・中間貯蔵施設ゲート前

中間貯蔵施設のゲート前。奥に積まれているのは、汚染土が入った黒い土のう袋(フレコンバック)=福島県双葉町で

 中間貯蔵施設のゲート前。奥に積まれているのは、汚染土が入った黒い土のう袋(フレコンバック)=福島県双葉町で

 双葉町役場そばの中間貯蔵施設のゲート。汚染土を運ぶトラックは休みでいなかった。ただ、関係者の車の出入りはあり、ゲートに立つ男性警備員(60)は「通行証を見て、身分証を見て、通す。いつもと変わらないですね」と語った。勤務は午前6時~午後5時。午前は日差しが暖かかったが、午後は風が出て冷えてきたといい、「ジャンパーを着ました」。

 ◆午後2時35分 双葉町・追悼式典会場

双葉町の追悼式は、原発事故後初めて町内で営まれた。会場は新設された町産業交流センター=福島県双葉町で

 双葉町の追悼式は、原発事故後初めて町内で営まれた。会場は新設された町産業交流センター=福島県双葉町で

 避難指示が一部で解除された双葉町では、原発事故から10年がたった今回、初めて町内での追悼式が営まれた。会場は新しくできた町産業交流センター。

 ◆午後2時46分 10年前の3月11日に地震が発生した時刻

午後2時46分、津波で被害を受けた建物を見ることができる芝生広場で黙とうする女性たち=福島県双葉町で

 午後2時46分、津波で被害を受けた建物を見ることができる芝生広場で黙とうする女性たち=福島県双葉町で

 双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館そばの芝生広場に「1分間の黙とうをささげます」と町の防災無線の声が響いた。周囲には、津波に遭った建物やがれきが残っていた。
 小学6年で被災した南相馬市小高区出身の東京家政大4年の門馬千乃さん(22)は、会津若松市に避難中に知り合った友人と2人で静かに手を合わせた。「震災について忘れていることもあると思うから、いろんな人に伝えたいな」と考えながら。
 東京で就職するが、いずれは福島の復興に携わることを夢見ている。例えば、レストラン。「福島のおいしいものを伝えたい。生のりの天ぷらとか、ねちょっとするけど、天つゆが染みるんです」と笑った。

 ◆午後3時10分 双葉町・追悼式典会場

 双葉町産業交流センターで開かれた東日本大震災双葉町追悼式で、伊沢史朗町長は「震災発生から10年。ようやく帰還に向けてスタートを切ることができました」と式辞を述べた。
 現在、町内に住む人はゼロ。町は2022年春、JR双葉駅周辺の避難指示解除と町民の居住開始を目指している。伊沢町長は「双葉町への帰還を実現することを誓います」と語った。

 元稿:東京新聞社 主要ニュース 社会 【災害・地震・津波・東京電力福島第一原発事故・東日本大震災】  2021年03月11日  16:32:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【福井県】:「原発ゼロへ」で行進 県議会では再稼働議論

2021-03-11 16:21:30 | 【電力需要・供給、停電・エネルギー政策・原発再稼働・核ゴミの中間最終貯蔵施設他

【福井県】:「原発ゼロへ」で行進 県議会では再稼働議論

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【福井県】:「原発ゼロへ」で行進 県議会では再稼働議論

 福井県内の市民団体が11日、福井市で「原発『ゼロ』へ」「老朽原発再稼働反対」などと書かれた横断幕やのぼりを手に行進した。県議会では運転開始から40年を超えた関西電力の原発3基の再稼働を巡り、賛否双方の立場の議員が意見を述べた。

 「原発『ゼロ』へ」などと訴え、福井市内を行進する市民団体のメンバー=11日午後1時43分

 「原発『ゼロ』へ」などと訴え、福井市内を行進する市民団体のメンバー=11日午後1時43分

 市民団体のメンバーら約40人は県庁に隣接する公園に集まり「この10年間で多くの人が『もう原発はいらない』という思いに変化した」と演説。その後「福島と共に歩もう」「知事は再稼働認めるな」と訴えながら県庁周辺を行進した。
 一方、県議会の予算決算特別委員会では、40年超原発の老朽化への懸念や、早期の再稼働の必要性などが議論された。

 元稿:東京新聞社 主要ニュース 社会 【話題・地方自治・福井県・県議会では運転開始から40年を超えた関西電力の原発3基の再稼働】  2021年03月11日  16:21:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【新型コロナ】:東京、新たに335人が感染、週平均が前週比増

2021-03-11 16:00:30 | 【感染症(1類~5類)・新型コロナ・エボラ・食中毒・鳥インフル・豚コレラ】

【新型コロナ】:東京、新たに335人が感染、週平均が前週比増

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【新型コロナ】:東京、新たに335人が感染、週平均が前週比増

 東京都は11日、新型コロナウイルスの感染者が新たに335人報告されたと明らかにした。直近7日間を平均した1日当たりでは273・1人。前週の木曜日だった今月4日時点の269・1人に比べて101・5%に増加した。累計は11万4536人となった。

 東京都庁(中央)と周辺の町並み(共同通信社ヘリから)

 東京都庁(中央)と周辺の町並み(共同通信社ヘリから)

 都内は緊急事態宣言後に続いた減少のペースが鈍化。直近7日間の平均が前週を上回る日も出てきており、再拡大への懸念も出ている。(共同通信)

 元稿:東京新聞社 主要ニュース 社会 【話題・地方自治・東京都・医療・健康・新型コロナウイルスの感染拡大に伴う患者数の増減】  2021年03月11日  16:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【新型コロナ】:東京都で新たに335人の感染確認 対前週比101.5%

2021-03-11 15:01:30 | 【感染症(1類~5類)・新型コロナ・エボラ・食中毒・鳥インフル・豚コレラ】

【新型コロナ】:東京都で新たに335人の感染確認 対前週比101.5%

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【新型コロナ】:東京都で新たに335人の感染確認 対前週比101.5%

 東京都は11日、新型コロナウイルスの感染者が新たに335人報告されたと発表した。都内の累計の患者数は11万4536人で、このうち現在入院している重症患者は39人となった。新規感染者数(1週間平均)は、11日時点で対前週比101.5%となった。

東京都庁

                     東京都庁

 年代別では、20代が76人、30代が63人、40代が47人、50代が40人などとなっている。65歳以上の高齢者は69人だった。

 元稿:東京新聞社 主要ニュース 社会 【話題・地方自治・東京都・医療・健康・新型コロナウイルスの感染拡大に伴う患者数の増減】  2021年03月11日  15:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①】:3・11から10年 影をこそ伝えたい

2021-03-11 06:47:00 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【社説①】:3・11から10年 影をこそ伝えたい

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:3・11から10年 影をこそ伝えたい 

 窓越しに遠く、水平線が見渡せます。十年前、東京電力福島第一原発に襲いかかったあの海です。
 福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」。原発から北へ四キロの海辺に広がる「福島県復興祈念公園」の一角に、昨秋開館したばかり。ガラス張りの外観が印象的な、それ自体がアートのような建物です。
 総事業費は約五十三億円。国の復興予算を使って福島県が建設し「公益財団法人・福島イノベーション・コースト構想推進機構」という団体が運営しています。

 ◆教訓を伝えているか

 来館者はまず円形のシアターに通されて、壁いっぱいに映し出される原発事故や津波の模様を記録した映像作品を鑑賞します。
 <光もあれば影もあります。事故のこと、復興のこと。この場所で皆さんと一緒に考えることができたなら>
 福島県出身の俳優西田敏行さんの語りに導かれ、螺旋状(らせんじょう)の回廊を展示室へと進むのですが−。
 県が収集、保管する約二十四万点の震災資料のうち、実物展示されたのは、突然の避難を強いられて置き去りにされたランドセルやカメラなど、百七十点足らず。映像や展示パネルにも、安全神話を形成し、原発誘致を主導した国や県、東電の責任などへの言及は、ほとんどありませんでした。
 「教訓が伝わらない」「光ばかりで影がない」…。被災者からも多くの批判が寄せられて、開館して半年もたたないうちに、大規模な展示替えが進んでいます。
 例えば「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を掲げた長さ十六メートルの大看板。かつては町の中心に、まるで凱旋門(がいせんもん)のように飾られていたものの、震災後「老朽化」を理由に撤去され、役場の片隅に死蔵されていた実物が、今あるパネル写真に替えて展示されることになりました。震災後「負の遺産」と呼ばれるようになった看板です。

 ◆暗転した「明るい未来」

 双葉町に生まれ、今は茨城県古河市で太陽光発電事業を営む大沼勇治さん(45)が看板の標語を作ったのは、小学六年生の時。町からの募集に伴う学校の宿題でした。
 「原発のおかげで、町は仙台のように大きくなって、新幹線もやって来る。そんな二十一世紀を本気で思い描いていたんです」と、勇治さんは振り返る。全国の原発立地に共通の“夢”でした。
 十年前の今日、「明るい未来」は突然、文字通り暗転します。
 双葉町にいた発災時、妻のせりなさん(45)は妊娠七カ月。できるだけ安心安全な場所で出産をと、親類を頼って夫婦は愛知県安城市に避難しました。
 その年七月、勇治さんは防護服に身を包み、町が仕立てたバスで、避難後初めて双葉町に立ち入った。ひとけの全くない町をダチョウや牛がわが物顔でのし歩く。懐かしいはずのふるさとに、恐怖を感じる自分に気が付きます−。
 「原子力 破滅を招く エネルギー」。その時、大沼さんは心の中で看板を書き換えました。そして「この町の過去と未来を記録し続けよう。看板の言葉とともに次の世代に伝えていこう」と決めました。看板の撤去にあらがい、撤去後は伝承館への実物展示を訴え続けてきたのも、そのためです。
 せりなさんは、同じ県内でも原発からは距離のある会津若松市の出身ですが、勇治さんに深く共感し、ともに活動しています。
 「原発のこと、原発事故のこと、やっぱり子どもたちに伝えてあげたいと思うんです。この町でこういう悲惨なことがあったんだよって。看板を展示できれば、あれを見て、みんな、いろいろ考えてくれるんじゃないかしら。事実を知って、考えて、本当に『明るい未来』を、それぞれに築いてほしい」
 安城で生まれた長男の勇誠君は六月、十歳の誕生日を迎えます。勇治さんは背負い続けた看板に、せりなさんは子どもたちの成長に、十年の重みを感じています。

 ◆遠い道のりだからこそ

 「もう十年? まだ十年? やっと十年?」などと言われます。しかしやっぱり「まだまだ十年」なんでしょう。「まだ」と言えば廃炉におよそ四十年。核のごみを無害化するには十万年。まだ、まだ、まだ、まだ…。
 <原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか>
 せりなさんと話をしながら、ふと思い浮かべた言葉。大江健三郎さんの「ヒロシマ・ノート」に引用された、中国新聞論説委員の問いかけです。
 原発は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。私たちは何を伝えていくべきなのか−。3・11から十年の一里塚。私たちも自らに、あらためて問いかけなければなりません。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2021年03月11日  06:46:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【社説①】:3・11から10年 究極の判断迫らぬ世に

2021-03-11 06:46:50 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【社説①】:3・11から10年 究極の判断迫らぬ世に

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:3・11から10年 究極の判断迫らぬ世に 

 きょう三月十日は戦時下の一九四五年、東京大空襲に見舞われ、東京の下町地域を中心に十万人以上が亡くなった日です。そして、あす十一日は東日本大震災から十年。失われた命や、その後の困難に身を置く人々の痛みに思いをはせる時間が続きます。
 東京消防庁の消防士だった中澤昭さん(84)は、それぞれの現場にいた消防隊員から話を聞いています。定年退職後、取材、執筆活動を続けてきました。

 ◆「生の声」を残したい

 三七年の、現在の消防記念日にあたる三月七日に生まれた中澤さんは八歳の時、地元板橋区で空襲を体験しています。東京大空襲から二カ月後の五月。米軍は容赦なく東京を焼き尽くしていました。
 父親は消防団として消火活動に駆り出され、中澤さんは母親、弟とともに逃げました。防空壕(ごう)は満員で入れず、隠れる場所のない畑で恐怖の一夜を過ごしました。
 東京消防庁に入った後、「うちが燃えた記録はどこかにないのかな」と図書室に足を運び、空襲に関する記録を探しました。しかし戦時下の他の公文書と同様、敗戦とともに焼却されたものも多く、消防隊がどんな思いで活動していたかの記録は見つかりませんでした。隊員の生の声を聞いて残したいという気持ちが芽生えました。
 二〇〇一年に出版した「東京が戦場になった日」(近代消防社)では、年少消防官や、学徒消防隊の元隊員たちに話を聞いています。徴兵で人手不足になった消防業務に駆り出されたのは十代や、兵役猶予されていた理系、医系の大学生だった若者たちでした。
 同書によると、粗製乱造されたポンプ車はエンジントラブルが相次ぎ、隊員たちの命を脅かしたといいます。赤いポンプ車は戦争末期、「国防色」の茶褐色に塗り替えられました。防護の意味とともに、赤色の塗料が不足していたという事情もあったそうです。

 ◆美談にしてはいけない

 劣悪な装備で三月十日の猛火にさらされた若者たちはなすすべもなく、犠牲者も出ました。救えなかった命に心を痛め、心身の回復に長く時間がかかった年少隊員もいました。
 経験したことのない危険な状況の中での消防隊員の苦悩と苦闘は「3・11」にも共通します。
 中澤さんは近著「行くな、行けば死ぬぞ!」(同)で、事故を起こした東京電力福島第一原発に、冷却のための放水部隊として出動した東京消防庁の後輩たちを取材しています。
 妹から「お兄ちゃん、行っちゃだめ」と携帯電話に繰り返しメールを受けた隊員もいました。家族で「なぜ人は、他人のために命を懸けるのか」を話し合い、息子から「それでも行かない方がいい」と止められた隊員もいました。
 がれきだらけの原発敷地内で慣れない防護服を着用しての放水作業は困難を極めました。
 最初の放水の時には、敷地内で東電社員らの拠点となっていた免震重要棟の存在も知らされていませんでした。この建物を使うことができれば、移動の距離を短くできるなど、作業がもう少し効率的にできた可能性もあり、片山善博総務相(当時)は後に「応援を要請するのであれば、現地の全貌を明らかにしてほしい」と国会で苦言を呈しました。
 政府事故調査委員会による吉田昌郎(まさお)・福島第一原発所長(故人)の聴取の記録、「吉田調書」では消防庁による放水の効果については、警視庁や自衛隊による放水とともに「意味がなかった」の一言で片付けられています。放水に当たった人々は命の危険と向き合い、家族とともに苦悩したにもかかわらず、です。
 地下鉄サリン事件などさまざまな現場に出動した消防隊員から話を聞いてきた中澤さんは自問自答を繰り返しているといいます。人はどこまで人のために命を懸けなければいけないのか。新型コロナウイルスと直面している医療現場の人々の胸中でも同じ問いが繰り返されているかもしれません。

◆命守る行政を最優先に

 中澤さんは言います。「私には分からない。答えが出ない。少なくとも命を懸けて人を救うことを美談にしてはいけない。命を守る行政を最優先にするべきだ」
 中澤さんの意見に賛同します。社会にできることは、究極の判断を迫られるような状況をできる限り減らすことです。防火、防災の設備やそれを担保する法制度を充実する。非常時には関係機関が情報共有を徹底する。戦争は起こさない。原発事故を防ぐには、稼働しないのが一番の近道です。
 命を救う人の苦悩を減らしていくことが、すべての人の命を守ることにつながります。そんな社会をつくることを後押しする。それが私たち報道機関の責務でもあると、あらためて思います。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2021年03月10日  07:37:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①】:3・11から10年 分からぬものに備える

2021-03-11 06:46:40 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【社説①】:3・11から10年 分からぬものに備える

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:3・11から10年 分からぬものに備える 

 戦後最悪、二万二千人余の犠牲者を出した東日本大震災から十年を迎えます。有無を言わせぬほどの破壊的な揺れと津波にわれわれの日常は打ち砕かれました。その後も日本列島を襲う地震や豪雨、土砂災害、台風、コロナ禍など以前と比較にならぬ自然の脅威は、価値観の変容を私たちに迫っているようにも感じます。

 ◆地震予測はできるのか

 駿河湾から四国沖に延びる南海トラフ沿いでは、マグニチュード(M)8〜9級の地震、いわゆる南海トラフ巨大地震が起きると言われています。静岡県以西の広範囲で激しく揺れ、津波が発生し、首都圏などでも高層ビルを大きく揺らすような長周期地震動が懸念されます。政府は今後三十年以内の発生確率を70〜80%と算定し、いずれも最大値で、津波の高さ三〇メートル、死者三十万人、経済被害二百二十兆円と想定しています。
 中央防災会議の調査部会は東日本大震災後の二〇一三年、「現在の科学的知見からは(南海トラフ)地震の規模や発生時期を高い確度で予測することは困難」とする報告をまとめました。座長を務めた山岡耕春名古屋大教授は「予測できるか、否かではなく、確率論に変わった」と語ります。
 南海トラフ沿いでは飛鳥時代の白鳳地震(六八四年)から終戦を挟む昭和東南海地震(一九四四年)や昭和南海地震(四六年)まで、百〜二百年ごとにM8級の地震が起きたとされます。いつか来る。でも正確な時期の予測は難しいというわけです。
 識者間に計算方法などへの異論もあるようですが、南海トラフ地震の発生確率は一八年、従来の「70%」から「70〜80%」に引き上げられました。その確率は今日より明日、今年より来年のほうが確実に高くなるそうです。

 ◆「80%」と言われても

 「70%」であれ、「70〜80%」であれ、その意味を具体的にイメージするのは誰にとっても難しい。「いつか来るのだろう」程度の受け止め方しかできないのが正直なところでしょう。見えないもの、分からないものに備えるのは容易ではありません。しかし、だからといって妙な諦めにとらわれてはまずい。できることがないわけでも、座して待つほかないというわけでもないでしょう。
 政府の地震本部や日本地理学会、自治体のホームページからは住んでいる地域の地震発生確率やハザードマップを見ることができます。まだいまひとつ分かりにくい点はあるのですが、十年前と比べて、その情報量は格段に増えました。まずは自宅近くのハザードマップを手に近所を回ってみませんか。津波や洪水が来るとしたらどこからなのか、想像してみるのも有効でしょう。
 福島県沖で先月起きたM7・3の地震では幸いなことに大きな被害は出ませんでした。自宅の本棚や食器棚を突っ張り棒で固定するなど、十年前の教訓を生かした「日ごろの備え」や「日々の積み重ね」が功を奏した面も大きいはずです。
 いまできる最善の策を常に考えながら前に進むしかない。行政も同じです。大事なのは、知り得た情報を積極的に開示する姿勢であり、発生時の被害をいかに最小限に抑え、いち早く日常を回復させるかという考え方です。
 愛知県は中京圏全体をカバーできる防災拠点を名古屋高速道路の出入り口に近い県営名古屋空港の隣接地(豊山町)に整備すると決めました。ふだんは公園や消防学校として使い、災害時は県外から自衛隊や消防、警察、職員らを受け入れ、物資を運び込む基地にもなります。ボランティアの拠点としても使えます。老朽化した県と名古屋市の消防学校を統合して新築し、教官や隊員らが二十四時間常駐する体制を二五年度までに整える見込みです。
 十年前、被災地では人や物の受け入れに課題を残しました。どこへ駆け付けていいのか分からないボランティアや、被災者に届かない支援物資も多く出ました。広域防災拠点では人、物をいったん集約し、隣県を含めて被災の最前線に送り込むという構想です。

 ◆常に最善策を模索する

 国は既に、首都圏では東京湾臨海部の「有明の丘地区」(東京都江東区)と「川崎港東扇島地区」(川崎市)に、関西圏では「堺泉北港堺2区」(堺市)に広域防災拠点を整備しています。中京圏としても長年、国に要望してきましたが、南海トラフ地震に襲われる中心地にもかかわらず、なかなか実現に至りませんでした。
 愛知県は結局、甚大な被害想定に鑑み、原則自前で整備する構想に大転換しました。地域の中核自治体としての自覚と、もはや待ったなしの状況という切迫感が根底にあるのです。どんな条件の下でも、できる中で最善の策を施す−。その一つの例だと思います。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2021年03月09日  07:43:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:学校にいる時、大きな揺れが襲ってきたそうだ。九歳の少年は高…

2021-03-11 06:46:36 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【筆洗】:学校にいる時、大きな揺れが襲ってきたそうだ。九歳の少年は高…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:学校にいる時、大きな揺れが襲ってきたそうだ。九歳の少年は高…

 学校にいる時、大きな揺れが襲ってきたそうだ。九歳の少年は高台に避難したが、やがて辛(つら)い事実を知る。父親と祖父母が津波で亡くなった。九歳の少年には抱えきれぬほど大きな悲しみだったはずだ▼避難所で、野球のボールを見つけたそうだ。グラブは誰かから借りた。悲しみの中でも野球を続けた。悲しいからこそ野球で忘れたかったのかもしれぬ。少年は大きな被害を受けた故郷の町を離れ、別の町に移り住んだ▼中学で腕を上げた。が、腰を痛めて、大切な試合で投げられなかった。悔しくて泣いた。どこまでも少年に悲しみと困難が追いかけてくる▼高校でその才能は一気に花開く。百六十キロ近い速球。日本中の注目を集めるが、再び、不運がめぐってくる。甲子園出場をかけた地方大会の決勝。少年の故障をおそれた監督は登板の回避を決断した。その判断は責められないが、甲子園の夢は消えた▼そして明日である。説明はいるまい。マリーンズの佐々木朗希投手。岩手県陸前高田市出身。十二日のオープン戦で投げるという。初の実戦登板となる。東日本大震災から十年。苦労を重ねた、あの日の少年がプロのマウンドに立つ。同じ悲しみを知る被災地にとって、登板は喜びであり、励みとなろう▼初球は直球か。十年が経過しても残る被災地の痛み。万感こもる速球が痛みを少しでも忘れさせてくれたらと願う。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2021年03月11日  06:28:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【菅首相の一日】:3月10日(水)

2021-03-11 06:46:32 | 【政策・閣議決定・予算・地方創生・能動的サイバー防御・優生訴訟・公権力の暴力】

【菅首相の一日】:3月10日(水)

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【菅首相の一日】:3月10日(水)

 【午前】7時3分、官邸。官邸の敷地内を散歩。41分、岡田直樹官房副長官。9時51分、国会。10時1分、参院本会議。11時55分、官邸。

 【午後】2時、根本匠元復興相。13分、秋葉剛男外務事務次官。31分、梶山弘志経済産業相、経産省の安藤久佳事務次官、荒井勝喜総括審議官、保坂伸資源エネルギー庁長官。41分、梶山経産相、経産省の安藤事務次官、荒井総括審議官。3時44分、東京・桜丘町のセルリアンタワー東急ホテル。宴会場「ボールルーム」で故岡田裕介東映グループ会長のお別れの会に出席。4時、官邸。16分、北村滋国家安全保障局長、滝沢裕昭内閣情報官、山田重夫外務省総合外交政策局長、岡真臣防衛省防衛政策局長。27分、岸田文雄自民党前政調会長。5時15分、吉田学新型コロナウイルス感染症対策推進室長、厚生労働省の樽見英樹事務次官、福島靖正医務技監。6時50分、衆院第2議員会館。7時50分、東京・赤坂の衆院議員宿舎。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政局・首相の一日】  2021年03月11日  06:57:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書『昭…

2021-03-11 06:46:29 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【筆洗】:先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書『昭…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書『昭…

 先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書『昭和のことば』で、紹介していた曲を聴いてみる。覚えやすくて朗らかな曲調にかえって恐ろしくなる。曲は「なんだ空襲」(作詞・大木惇夫、作曲・山田耕筰)という▼一九四一(昭和十六)年、戦意高揚を目的に作られた。後の歴史を思えばあまりに残酷な歌詞だろう。<警報だ、空襲だ それがなんだよ備へはできてるぞ><敵機何台来ようと平気だよ><持ち場持ち場にかけよう命>。敵機は恐るるに足らない<蚊とんぼ、とんぼ>、焼夷(しょうい)弾は消せる<火の粉>と歌っている▼四五年の東京大空襲から十日で七十六年となる。空襲は<それがなんだよ><平気だよ>どころではなく、大勢の命を奪っていった。戦争末期とはいえ、あの勇ましい歌を信じていた人もまだいたはずだ▼空襲が奪ったのは命や財産ばかりではない。作家、吉村昭さんの体験である。ある空襲の夜、寝間着姿の高齢女性が道を這(は)っているところを見た▼抱え起こすと、「残されまして、残されまして」と繰り返す。家族に置き去りにされ、追いつこうとここまで這ってきたらしい▼どんな事情があったか分からないが、空襲という極限状態に人はまともな心を奪われ、家族さえ捨てさせるのか。「なんだ空襲」の虚(むな)しさに「地獄なんだ空襲」とつぶやく。ほんの七十六年前のことである。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2021年03月10日  07:38:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【私設・論説室から】:パスサッカーの原点

2021-03-11 06:46:26 | 【外交・外務省・国際情勢・地政学・国連・安保理・ICC・サミット(G20、】

【私設・論説室から】:パスサッカーの原点

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【私設・論説室から】:パスサッカーの原点

 中学校時代に見たサッカーのテレビ中継で、解説者が「ビルマ(現ミャンマー)は伝統的に技術レベルが高い」と言っていたのが今でも印象に残っている。

 ミャンマーは日本サッカーにとって恩義がある国だ。大正時代、当時のビルマからチョー・ディンという若者が来日。後の東京工業大学である東京高等工業学校で学びながら、各地でサッカー指導を行った。
 彼はショートパス主体の戦術を教え込んだ。日本サッカーは格段に強くなり、ベルリン五輪での強豪スウェーデン戦の勝利や準々決勝進出につながった。現在の男女の代表チームが得意とするパスサッカーは、ビルマ人留学生の指導が原点の一つだったのだ。
 当時のビルマは英国領インドの一部で、彼はスコットランドの人からサッカー技術を習ったとされる。スコットランドは伝統的にショートパス戦法だ。英国から東南アジア、日本へとサッカー技術が流れるパスのように伝承された形で感慨深い。チョー・ディンは一九二四年に帰国したが消息は不明だ。
 今月予定されていた日本対ミャンマーのW杯予選はコロナ禍で延期になった。そもそも政情不安でサッカーどころではない。
 ミャンマー情勢は緊迫の度を増している。軍の弾圧に強い憤りを感じつつ、古いサッカーファンとして、恩人がどのような人生を送ったのか思いをはせた。(富田光)

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【私設・論説室から】  2021年03月10日  07:37:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【菅首相の一日】:3月9日(火)

2021-03-11 06:46:23 | 【政策・閣議決定・予算・地方創生・能動的サイバー防御・優生訴訟・公権力の暴力】

【菅首相の一日】:3月9日(火)

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【菅首相の一日】:3月9日(火)

 【午前】6時36分、官邸。41分、坂井学官房副長官。7時17分、復興推進会議・原子力災害対策本部会議合同会合。40分、すべての女性が輝く社会づくり本部・男女共同参画推進本部合同会議。8時3分、閣議。15分、麻生太郎副総理兼財務相。23分、小泉進次郎環境相。10時45分、岩手日報社の川村公司常務取締役論説・編集・特命担当兼編集局長、河北新報社の今野俊宏取締役編集局長、福島民報社の安斎康史編集局長、福島民友新聞社の小野広司執行役員編集局長によるインタビュー。11時19分、東日本大震災発生から10年に合わせたオンライン企画向けのビデオメッセージ収録。43分、木原稔首相補佐官。

 【午後】0時51分、国会。1時2分、衆院本会議。3時14分、官邸。39分、吉田憲一郎ソニー会長兼社長。4時、北村滋国家安全保障局長、滝沢裕昭内閣情報官、横尾洋一公安調査庁次長。5分、滝沢内閣情報官。13分、自民党金融調査会の山本幸三会長、片山さつき地域金融に関する小委員会委員長らから提言書受け取り。46分、インドのモディ首相と電話会談。5時26分、麻生副総理兼財務相、茂木敏充外相、梶山弘志経済産業相、小泉環境相、加藤勝信官房長官。57分、麻生副総理兼財務相。59分、梶山経産相、小泉環境相。6時19分、杉田和博官房副長官、北村国家安全保障局長、藤井健志官房副長官補、和泉洋人首相補佐官。54分、衆院第2議員会館。7時48分、東京・赤坂の衆院議員宿舎。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政局・首相の一日】  2021年03月10日  07:36:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:「その街の人々は、街の中央広場の真ん中に、穴を掘っておりま…

2021-03-11 06:46:20 | 【ロシア・北方領土・シベリア開発・サハリン石油天然ガス・ウクライナ侵攻犯罪】

【筆洗】:「その街の人々は、街の中央広場の真ん中に、穴を掘っておりま…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:「その街の人々は、街の中央広場の真ん中に、穴を掘っておりま…

 「その街の人々は、街の中央広場の真ん中に、穴を掘っておりました」。別役実さんの童話「穴のある街」(『淋しいおさかな』収録)である。七十五年前の市長が穴を掘ることを命じ、長い間、市民の手によって作業が進められていた▼やっと穴が完成した。直径三百メートル、深さ百メートル以上。皆、喜んだが、首をひねった。なんのための穴か▼完成後に開封するよう残された七十五年前の市長の手紙を開けてみた。「穴は何の役にも立たない」。しかし、穴を掘る苦労が人々をきっと働き者にし、忍耐強く、協力し合える人間にするだろうと。そして「明日の朝、早速、命令するがいい。直ちに、穴を埋める工事を始めよ」▼直径二十メートル、深さ三十メートルという巨大な穴。その映像に別役さんの穴を思い出した。最近、シベリアで相次いで発見されている不思議な穴である。突然現れた不気味な穴はいったい、なにか▼ロシアの研究者によるとどうやら地下からメタンガスが噴き出し、穴を開けたようだ。温暖化の影響でメタンガスを閉じ込めていた地下の永久凍土がもろくなっている可能性があるという。原因が気候変動なら掘ったのは人類か▼繁栄と産業発展の道を追い求め、温室効果ガスによって知らず知らずに掘った穴。深い穴は完成してしまった。これからは穴を地球に二度と開けないための仕事が待っている。「工事を始めよ」

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2021年03月09日  07:54:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【菅首相の一日】:3月8日(月)

2021-03-11 06:46:17 | 【政策・閣議決定・予算・地方創生・能動的サイバー防御・優生訴訟・公権力の暴力】

【菅首相の一日】:3月8日(月)

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【菅首相の一日】:3月8日(月)

 【午前】7時3分、官邸。10分、岡田直樹官房副長官。8時45分、国会。9時13分、参院予算委員会。11時59分、官邸。

 【午後】0時53分、国会。1時、参院予算委。5時44分、自民党役員会。6時1分、山口壮同党党大会実行委員長。7分、官邸。26分、丸川珠代男女共同参画担当相、林伴子内閣府男女共同参画局長。47分、衆院第2議員会館。7時22分、東京・赤坂の衆院議員宿舎。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政局・首相の一日】  2021年03月09日  07:39:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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