【評伝】:渡辺恒雄さん、新聞社の枠超え存在感 学生時代は政治活動に傾倒
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【評伝】:渡辺恒雄さん、新聞社の枠超え存在感 学生時代は政治活動に傾倒
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日未明、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。98歳だった。渡辺さんは、東大文学部哲学科卒業後の1950年、読売新聞社に入社。プロ野球巨人のオーナーや日本新聞協会会長も務めた。
◇ ◇
渡辺さんは「ナベツネ」の呼び名で広く知られ、新聞社の経営トップの枠を超えた影響力を持つ存在だった。学生時代は哲学を追究し、終戦直後は共産党で政治運動にも取り組んだ。
渡辺さんの著書などによると、幼少期に父と姉を病気で亡くした。死に向き合うため哲学を志すようになり東大に進学。在学中に召集された。
戦後は、天皇制や軍隊に反対する立場から日本共産党に入党。東大内の集団を率いるリーダーの一人として頭角を現したが、個人の主体性より党の規律が優先されることに疑問を感じ党と対立、除名処分となった。優秀な同級生を目の当たりにして哲学研究者の道を断念した後、新聞記者になった。
記者時代は政治部で自民党を長く担当した。特に大野伴睦、中曽根康弘両氏とは自他共に認める蜜月関係を築いた。特ダネ記者として鳴らし、1962年には日韓国交正常化交渉の過程で交わされた秘密覚書「金・大平メモ」をスクープした。
「言論機関としてタブーに挑戦し、読者に問題提起する責任がある」。社長・主筆となると、国際情勢に合わせ憲法を見直すべきだとして憲法問題調査会を設置。前文や9条など憲法全体に検討を加えた「憲法改正試案」を94年に公表し、大きな反響を呼んだ。
プロ野球巨人のオーナーも務めたが「野球は素人。学生時代にやったことがないんだから」と言ってはばからなかった。
前立腺がんが見つかり、98年に前立腺の全摘手術を受けた。2017年10月には、妻篤子さん(当時87)を肝硬変で亡くした。(共同)
■【関連記事】渡辺恒雄氏語録「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」>>
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日未明、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。】 2024年12月19日 11:38:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます