愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

沖縄慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式で読まれた「平和宣言」と「平和の詩【生きる】」に込められたオキナワのこころに日本民族は共感し連帯し基地を撤去させるために何をなすべきか!

2018-06-23 | 沖縄

南北が合意した板門店宣言を日本に適用すると、どうなるか!

米朝間の誠実な対話が続くならば、北に対する軍事的な圧迫を柔軟に変化させる必要があり、米韓合同軍事演習についても慎重に検討すると文在寅大統領に対して安倍政権は!・・・ 2018-06-15 | 北朝鮮

またまた米軍機墜落か!?今度こそ、安倍政権にくいを撃ち込むべし!何度も言っていることは同じ!原因究明・対策強化だな!もはや錆がついて固まっているぞ!民族自決主義に目覚めよ!2018-06-11 | 沖縄

北朝鮮の非核化を言うのであれば朝鮮戦争の終結と平和条約の締結!戦争放棄条約締結が先だろう!北朝鮮の核兵器抑止力論は悪玉!米国は善玉論のスリカエを見抜け! 2018-06-10 | 核兵器廃絶

朝鮮戦争の終結宣言に向けた流れをつくることを目指して米朝首脳会談が成功すれば、3か国の首脳会談を通じた終戦宣言も進むと期待している韓国・北朝鮮と真逆の安倍政権! 2018-05-30 | 北朝鮮

朝鮮半島の終戦と非核化が実現すればオキナワ基地は!?本土の基地は!?北朝鮮だけに責任を負わせるか!北朝鮮の脅威=米国の核兵器・軍事力はどうすれば除去できるか!2018-05-19 |

対立関係の転換を懸け、朝鮮半島だけでなく東アジアの安全保障に大きな影響を及ぼす歴史的会談における本気度を北朝鮮にだけ要求するのは歴史の隠蔽・アンフェアーだな! 2018-05-20 | 北朝鮮

日米「民族自主の原則」の原則を宣言した「板門店宣言全文」が具体化できるよう積極的に側面支援すべきだ!不一致点を強調して。わざわざハードルを高くすべきではない! 2018-05-18 | 民族自決権

 

 

沖縄を返せ - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=kmigP1jacbY

「独立宣言」をよくよく読むべし!

https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2547/

琉球新報 翁長雄志知事による「平和宣言」は以下の通り https://ryukyushimpo.jp/news/entry-744820.html

【平和宣言】

20数万人余の尊い命を奪い去った地上戦が繰り広げられてから、73年目となる6月23日を迎えました。私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日を生きています。

戦後焼け野が原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできました。しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0・6%にすぎないこの沖縄に、米軍専用施設面積の約70・3%が存在し続けており、県民は、広大な米軍基地から派生する事件・事故、騒音をはじめとする環境問題等に苦しみ、悩まされ続けています。

昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化しており、先日の米朝首脳会談においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きが始まっています。

平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。

これまで、歴代の沖縄県知事が何度も訴えてきた通り、沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものであります。国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方について、真摯に考えていただきたいと願っています。

東アジアでの対話の進展の一方で、依然として世界では、地域紛争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積しています。世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め協力して取り組んでいかなければなりません。

かつて沖縄は「万国津梁」の精神の下、アジアの国々との交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々をつなぐことができる素地ができており、日本とアジアの架け橋としての役割を担うことが期待されております。

その期待に応えられるよう、私たち沖縄県民は、アジア地域の発展と平和の実現に向け、沖縄が誇るソフトパワーなどの強みを発揮していくとともに、沖縄戦の悲惨な実相や教訓を正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会に貢献する役割を果たしていかなければなりません。

本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全てのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる「平和で誇りある豊かな沖縄」を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。(引用ここまで)

 

 毎日新聞 沖縄慰霊の日 平和の詩「生きる」全文 2018年6月23日 12時43分 18時17分

https://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c#cxrecs_s

 
 
沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する相良倫子さん=沖縄県糸満市で2018年6月23日、津村豊和撮影

【動画】「平和とは、あたり前にいきること

<写真特集>沖縄慰霊の日:曽祖母の体験聞き「命よ響け」 詩を朗読

「生きる」

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。(引用ここまで)

琉球新報 「命輝かせ生きる」 平和の詩 相良さん(港川中)思い語る 2018年6月13日 05:00

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-737498.html

 

23日の慰霊の日に開かれる沖縄全戦没者追悼式で、自作の詩「生きる」を朗読する浦添市立港川中3年の相良倫子さん(14)が12日、同校で記者会見した。曽祖母から沖縄戦の体験をよく聞かされ、平和について考える機会が多いという相良さんは「私なりに考えて、自分の命を精いっぱい輝かせて生きていくことが平和だと思った」と詩に込めた思いを語った。
94歳になるという相良さんの曽祖母は沖縄戦が始まる前は理髪店で働いており、日本軍を指揮した牛島満中将の散髪をしていた。曽祖母が知る牛島中将は心配りができる人だったといい「戦争は人を鬼に変える。絶対にしてはいけない」と聞かされている。
平和とは当たり前に生きることだと考え、詩のテーマを決定。沖縄の美しい風景と戦争で変わり果てた様子を描いた。「対比させると戦争の残酷さがより伝わるかなと思った」と狙いを語った。
相良さんは「児童・生徒の平和メッセージ」の詩の部で3年連続で最優秀賞を受賞しているものの、朗読は初めて。聞いた人が平和について考えるきっかけになってほしいとし、「詩に込めたメッセージをしっかり伝えられるように読みたい」と意気込んだ。(引用ここまで)

沖縄タイムス 恒久平和誓う慰霊の日 沖縄全戦没者追悼式 翁長知事、辺野古新基地見直し求める  2018年6月23日 12:50

戦後73年の「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われた。県内外から遺族や関係者ら約5100人が参列。正午に合わせて黙とうし、住民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な沖縄戦で亡くなった20万人を超える犠牲者の冥福を祈り、不戦と恒久平和を誓った。

翁長雄志知事平和宣言で、戦後73年を経ても全国の米軍専用施設の70・3%が沖縄に集中し、基地から派生する事件・事故や環境問題に悩まされ続けている理不尽さを訴えた。先日の米朝首脳会談など緊張緩和に向けた東アジアの安全保障環境の変容に触れ、「20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのか」と日米両政府に現行計画の見直しを求めた。さらに、民意を顧みない辺野古新基地建設は沖縄の基地負担軽減だけでなく、アジアの緊張緩和にも逆行していると指摘。「『辺野古に新基地を造らせない』との私の決意は県民と共にあり、これからもみじんも揺らぐことはない」と強調した。

県遺族連合会の宮城篤正会長米軍普天間飛行場の早急な移設を熱望すると同時に戦争につながる新たな基地建設に断固反対する」と訴えた。老朽化する県内各地の慰霊塔を国の責任で維持・管理するよう求めた。

安倍晋三首相は来賓あいさつで、沖縄の過重な基地負担の現状を「何としても変えていかなければならない。政府として一つ一つ確実に結果を出していく」と決意。西普天間住宅地区跡地の引き渡しが3月に実現したことで「跡地利用の取り組みが進んでいる。引き続き、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と述べた。沖縄が日本の振興発展をけん引する流れをさらに加速させるため、「私が先頭に立って沖縄振興を前に進める」とした。

大島理森衆院議長と伊達忠一参院議長、福井照沖縄担当相ら関係閣僚も参列した。

同公園内の「平和の礎」には朝早くから遺族らが多く訪れ、亡き家族・親族に思いをはせ、鎮魂の祈りをささげていた。(引用ここまで)

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沖縄の慰霊の日安倍首相が語った言葉は安倍首相の思考回路が機能不全に陥っていることを証明した!嘘っぱち政治家は日本民族の名に懸けてレッドカードにすべきだな!国民は!

2018-06-23 | 沖縄

矛盾していることを平気で言っていることに

全く気付かない安倍首相の思考回路は全くオカシイ!

普天間基地がなくなれば

飛行経路が海上に移り、安全が大幅に向上する辺野古に移ることで

人命にも関わりかねない重大な問題は解消できると言えるか!

それにしてもオトモダチ司法人事をやっておきながら

最高裁判決に従ってやるのだから、オレには関係なし!と言っているのだ!

世界で最も危険と言われている普天間基地の全面返還は待ったなしの課題

辺野古に移ることで飛行経路が海上に移り、安全が大幅に向上する。

一日も早い全面返還を実現するため、最高裁の判決に従って移設を進めていく考えだ

人命にも関わりかねない重大な問題

NHK   沖縄で米軍の流れ弾か 首相“事実関係解明に全力”    2018年6月23日 15時51分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180623/k10011492541000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_002

21日に沖縄県名護市の農園の小屋の窓ガラスが割れ、中から銃弾のようなものが1発見つかり、警察が近くにあるアメリカ軍基地からの流れ弾の可能性もあると見て捜査を進めています。これについて、安倍総理大臣は沖縄県糸満市で記者団に対し、「人命にも関わりかねない重大な問題だ。私からアメリカのハガティ駐日大使に協力を要請し、射撃場を当面使用しないということになっている」と述べ、当面、基地の中にある射撃場の使用を中止して、事実関係の解明に全力を挙げる考えを示しましたまた、沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設工事について、安倍総理大臣は「世界で最も危険と言われている普天間基地の全面返還は待ったなしの課題だ。辺野古に移ることで飛行経路が海上に移り、安全が大幅に向上する。一日も早い全面返還を実現するため、最高裁の判決に従って移設を進めていく考えだ」と述べました。(引用ここまで)

「旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる」とはどういうことか!

何故、摩文仁の丘まで戦闘が続いたか!

全く歴史の事実を不問に、隠蔽している!

これでは国民はオキナワを理解できない!

NHK 沖縄戦から73年 戦没者追悼式開かれる 2018年6月23日 13時18分

20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から73年。沖縄は23日、「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地となった糸満市では、遺族などおよそ5100人が参列して、戦没者追悼式が開かれました。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。
沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、遺族などおよそ5100人が参列して、沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、正午には全員で1分間の黙とうを捧げました。
このあと、翁長知事が「平和宣言」を読み上げ、「私たちは、この悲惨な体験から、戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に今日を生きています」と述べました。そして、米朝首脳会談が開かれるなど、東アジアをめぐる安全保障環境は大きく変化しているとしたうえで、「20年以上も前に合意した辺野古への移設が、普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるをえず、全く容認できるものではありません。国民の皆様には沖縄の基地の現状や日米安全保障体制の在り方について、真摯(しんし)に考えていただきたい」と述べました。

「20万人もの尊い命が無残に奪われ焦土と化した」のは何故か!

「米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいて』いるのは何故か!

全く他人事!

「『できることはすべて行う』。引き続きこの方針のもと、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」

「沖縄は美しい自然や地理的特性を生かし、去年の観光客の数はハワイを上回った。

沖縄が日本の発展をけん引することが現実のものになってきたと

この流れをさらに加速させるため、私が先頭に立って沖縄の振興を前に進める

辺野古基地建設への決意表明だな!

思考回路は機能不全!

「良いとこ取り」はいつも「私が」となる!

安倍首相「基地負担軽減に全力尽くす」

また、安倍総理大臣は「沖縄は20万人もの尊い命が無残に奪われ焦土と化した。すべての戦没者の無念を思う時、胸の潰れる思いだ。戦争の惨禍を二度と繰り返さず、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現すると改めて誓う」と述べました。そのうえで、安倍総理大臣は「沖縄の方々には永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいており、この現状は変えていかなければならない。『できることはすべて行う』。引き続きこの方針のもと、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と述べました。また、安倍総理大臣は「沖縄は美しい自然や地理的特性を生かし、去年の観光客の数はハワイを上回った。沖縄が日本の発展をけん引することが現実のものになってきたと実感しており、この流れをさらに加速させるため、私が先頭に立って沖縄の振興を前に進める」と述べました。(引用ここまで)
 
NHK 「平和の礎(いしじ)」の前で…それぞれに祈り 沖縄 2018年6月23日 9時21分
 

沖縄戦から73年の「慰霊の日」。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」の前では遺族などがそれぞれに祈りをささげました。

「子の世代に伝えるため毎年来る」

生後2か月の男の子を抱えて家族や友人とともに平和の礎を訪れた宜野湾市の31歳の女性は「戦争体験者の方は減ってきていると思いますが、子どもの世代にも伝えていかなければいけないことだと思うので毎年来ています。『戦争のない、平和な世界になるように』と祈りたい」と話していました。

「平穏な日が一日でも長く」

浦添市の50歳の男性は、太平洋戦争中に沖縄から九州へ疎開する子どもたちを乗せアメリカ軍に撃沈された船「対馬丸」に乗っていた親戚を慰霊するため、妻とともに平和の礎を訪れ、花を手向けて祈りをささげていました。男性は「亡くなった親戚に『安らかに眠ってください』という思いで手を合わせました。平穏な日が一日でも長く続けばいいと思います」と話していました。

「叔母の遺骨 今も見つからず」

「叔母の遺骨 今も見つからず」
沖縄戦で2人の叔母を亡くしたという宜野湾市の呉屋清さん(64)は、2人の名前が刻まれた礎(いしじ)に花を手向けて手を合わせました。呉屋さんは「叔母の遺骨は今も見つかっていません。私は戦後生まれですが、『戦争は人間をおかしくする』と、父から戦争体験を聞いて育ちました。父から聞いたことを伝えていき、地上戦があった沖縄から平和を発信していくことが大切だと思います」と話していました。

「私一人になってしまった」

「私一人になってしまった」
平和の礎(いしじ)には沖縄戦だけでなく、先の大戦で亡くなった人の名前が刻まれています。沖縄市の池原ヨシ子さん(89)は、長崎の原爆で亡くなった兄2人の名前をなで、涙を流しながら祈りを捧げていました池原さんは「戦争は終わりましたが私1人になってしまい、年月が過ぎるほどさみしさがこみ上げてきます。子や孫のためにも戦争のない世の中になってほしいです」と話していました。

14歳女子中学生「この気持ち 忘れない」

糸満市の14歳の女子中学生は、沖縄戦で亡くなったひいおじいさんや祖母の親戚の慰霊のために家族で平和の礎を訪れ、手を合わせました。中学生は「昔ひどいことがあったから日本に平和が来てほしいという思いで手を合わせました。毎年来ることでこの気持ちを忘れないでいたいです」と話していました。

「思い出したくないほどつらい」

5歳の時に母を沖縄戦で亡くした那覇市の金城光子さん(78)は家族で平和の礎を訪れ、花やお菓子を手向け地面にひざをついて祈りをささげていました。金城さんは「母が戦争で亡くなった姿を見ているので思い出したくないほどつらいです。母の遺骨はないのでここに来ると『母が元気だったら一緒にコーヒーでも飲めたのに』といつも思います。若い世代の子たちが安心して暮らせるような沖縄になってほしいです」と話していました。
「思い出したくないほどつらい」

「両親亡くし 戦後はつらい思いしてきた」

沖縄戦で父を亡くし、戦後の食糧難で母も亡くしたという南城市の新垣好子さん(78)は、礎(いしじ)に刻まれた父の名前を丁寧に磨き、涙ぐみながら手を合わせていました。新垣さんは「父は遺骨がある分、ほかの犠牲者よりも恵まれていると思っています。戦後は両親がいなかったため、きょうだいとつらい思いをしてきました。この場所に来たら毎年、涙が止まりません。戦争がなかったら父は生きていたし、戦争を本当に憎みます」と話していました。

東京から親族連れ訪れた人も

沖縄戦で祖父と2人の親戚を亡くした東京 八王子市に住む高原勝枝さん(45)は83歳の母や3人のめいと平和の礎(いしじ)を訪れ、手を合わせていました。高原さんは「二度と戦争は起きてほしくないと思います。学校でも習うと思いますが、戦争の記憶が薄れないようめいにも伝えていかなければならないと思います」と話していました。

手作りの弁当供える

那覇市の60歳の女性は、沖縄戦で亡くなったおじの慰霊のために孫と一緒に平和の礎を訪れ、手作りのお弁当を供えて涙を流しながら手を合わせていました。女性は「母がお弁当を供えていたので引き継いで続けています。元気なうちはここに来て、二度と戦争がないように、孫、ひ孫の代まで平和が続くように祈りたい」と話していました。小学6年生の孫は「私は戦争を知りませんが戦争で亡くなった人のために毎年ちゃんと来たい」と話していました。
手作りの弁当供える

「子や孫に命の大切さ伝えたい」

沖縄戦で2人の姉や義理の父らを亡くした那覇市の田中きよ子さん(69)は夫と平和の礎を訪れ、亡くなった人たちの霊を慰めていました。田中さんは「私は戦争を体験していませんが、母からずっと戦争の話を聞いて育ちました。犠牲になった人たちのことをいつまでも忘れてはいけないと改めて思います。子や孫にも命の大切さを伝えていきたいです」と話していました。

「基地あるところに平和訪れぬ」

「基地あるところに平和訪れぬ」
沖縄戦でおじ2人と兄を亡くした、中城村の喜舎場達生さん(68)は娘夫婦や孫と平和の礎を訪れました。喜舎場さんは「今の沖縄を見ているとやはり基地が気になります。基地のあるところに平和は訪れません。戦争は体験していませんが、子どもたちに平和をつないでいきたい」と孫の手を握りながら話していました

「犠牲になった人たちが見守ってくれている」

沖縄戦で同い年だったいとこと2人の義理の姉を亡くした豊見城市の高良正信さん(77)は平和の礎を訪れ、3人の名前が刻まれた碑を手でなでて霊を慰めていました。高良さんは「戦争の記憶は、壕から壕に逃げていたという記憶以外にありません。沖縄戦の前に亡くなったいとこと一緒に遊んでいた記憶があります」と涙ぐみながら話しました。そして、「3人には『ことしも来たよ』と話しかけました。私たちがこうして生活できるのも、戦争で犠牲になった人たちが見守ってくれているからだと思います。元気であるかぎり、毎年ここを訪れたい」と話していました。(引用ここまで)
 
「戦争の記憶と教訓をどのように継承していくかが課題となっています」?
 
主語は?
他人事だな!
 
NHK 沖縄戦から73年「慰霊の日」 平和祈念公園で早朝から祈り 2018年6月23日 8時10分
 
 
沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から73年の「慰霊の日」を迎えました。最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者を悼み、平和への祈りをささげています。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。
沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で、花を手向けたり手を合わせたりしています。
祖母、父、妹を亡くした宜野湾市の宮城勝子さん(77)は「私は幼かったですが、倒れている人を飛び越えて歩いた苦しい記憶があります。もう戦争は二度と起きて欲しくありません。平和な世の中であってほしいです」と話していました。
沖縄戦から73年がたち、戦後生まれが県民の9割近くになる中、戦争の記憶と教訓をどのように継承していくかが課題となっています
一方、在日アメリカ軍の専用施設のおよそ7割が今も沖縄に集中し、この1年の間にもアメリカ軍の軍用機の事故やトラブルが相次いでいます
平和祈念公園で正午前から行われる戦没者追悼式で沖縄県の翁長知事は、基地負担の軽減を改めて訴えることにしていて、「慰霊の日」の23日は平和への誓いを新たにする一方、沖縄の重い基地負担を問い直す日にもなります。(引用ここまで)

住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、

沖縄県民の4人に1人が亡くなりました 

亡くなったのではない!

殺されたのだろう!

ここでもスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・トリックの嘘っぱちを垂れ流している!

こうやって「他人事」にしてオキナワ問題を「傍観者」にするのだ!

オキナワ問題は民族自決=国民主権主義の問題だ!

憲法平和主義・非核三原則を活かすか、どうかの問題だ!

「板門店の合意」の理念を使うべきだろう!

イギリスから独立した「アメリカの独立宣言」を使うべきだろう!

オキナワを「捨て石」にしたのは何故か!

昭和天皇裕仁のメッセージとは何か!

沖縄の「万国津梁」思想を使うべきだろう!

「蛍の光」の歌詞を想起すべきだろう!

蛍の光 窓の雪
書よむ月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞ けさは 別れゆく

とまるも行くも 限りとて
かたみに思う ちよろずの
心のはしを 一言に
さきくとばかり 歌(うた)うなり

筑紫のきわみ みちのおく
海山とおく へだつとも
その真心は へだてなく
ひとつに尽くせ 国のため

千島のおくも 沖縄も
八洲のうちの 守りなり
至らんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく