「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        ”火事場泥棒” ソ連の参戦

2007-08-09 05:29:17 | Weblog
きょう9日は長崎へ原爆投下がされてから62年年日だが、同時にソ連
(ロシア)が一方的に日ソ中立条約を破棄して戦争を仕掛けてきた日でも
ある。この結果、わが北方領土は奪われ、数十万の同胞が理由もなくシ
ベリアへ抑留されて命を失い、さらには”中国孤児”の悲劇さえ生んでい
る。日本人の間でこの事実が風化してきているのではないかー。

9日午前11時2分、長崎に原爆が落とされた時刻にあわせるように、ソ
連極東軍はこの日未明満州(中国東北部)の国境をこえて侵攻してきた。
広島原爆で動揺している日本が、長崎原爆によってポツダム宣言を受諾
し手をあげる、その時間前をねらった”火事場泥棒”的行為である。

広島原爆の6日から敗戦の15日までの9日間は、わが国にとって未曾有
の出来事の連続であった。一般庶民は、この間どの程度敗戦を認識してい
たのであろうかー。一例として亡父の日記を調べてみた。B-5版の1㌻10
行を2日で使用していてスペースがないものだが、広島、長崎原爆につい
てはまったく記述がない。新聞にも”新型爆弾”として報道されており、知っ
ていた筈だ。しかし、ソ連の参戦については9日の日記の欄外に赤字で
「帝国ホテル岡崎勝男氏(戦後外相)の講演会で日ソ開戦を知る。容易な
らぬ事態発生に憂鬱の気に閉ざされる」と書いてある。

当時亡父は大東亜省外郭団体の仕事をしていた関係で、11日の日記には
「今日も昨日についで不快な情報を聞く」と書いている。やはり長崎原爆と
ソ連参戦で大本営もついにポツダム宣言を受諾したのであろう。
ソ連側の記録によると、当初ソ連は11日を参戦予定日にしていたそうだが
恐らく長崎原爆投下で日本が降伏すると判断、予定を早めたものであろう。
”火事場泥棒”である。