厚労省の調査によると、全国に推定5,400人の”ネットカフェ難民”がいると
いう。役所言葉では難民とは言わず「住居喪失不安定就労者」といのだそうだ。
この調査の目的がどこにあるのか、僕にはいま一つ解らないが、多分、昔流で
いえば、かっての山谷や釜が崎のドヤ街の住民調査みたいなものだろう。
昭和30年代、暑い夏の頃になると、山谷や釜が崎の路上で騒動が起き、警官
隊が出動した記憶がある。仕事にあふれたドヤの住民が、暑いので屋外で安酒
を飲み騒いだのが原因だった。20年代には働きたくとも仕事がなく東京では都が
失業対策として焼跡整理などの救済事業を行った。その頃の日給が240円だっ
たので、労働者はニコヨンと呼ばれた。大學出の初任給が1万円前後の時代だ。
本当に食えなくて自分の血を売って生活していた人もいた。400ml千円という
記録も残っている。
僕は”カフェネット”に行ったことがない。従って新聞情報だが、料金は一時間
200円、オールナイト利用してして1,500円ぐらい。シャワーの利用料金が
500円、中には軽飲料飲み放題の店もあるという。”ネットカフェ”といっても
ネットを一回も利用しない客もいるというから、店を宿舎がわりに使っているの
だろう。
”ワーキング・プア”といってもニコヨン時代に比べれば”プア”の質が違う。と
いっても、働き盛りの若者が、住む家もなく”カフェ”で寝泊まりしているのは決
して好ましいものではない。舛添大臣、これもよろしく。
いう。役所言葉では難民とは言わず「住居喪失不安定就労者」といのだそうだ。
この調査の目的がどこにあるのか、僕にはいま一つ解らないが、多分、昔流で
いえば、かっての山谷や釜が崎のドヤ街の住民調査みたいなものだろう。
昭和30年代、暑い夏の頃になると、山谷や釜が崎の路上で騒動が起き、警官
隊が出動した記憶がある。仕事にあふれたドヤの住民が、暑いので屋外で安酒
を飲み騒いだのが原因だった。20年代には働きたくとも仕事がなく東京では都が
失業対策として焼跡整理などの救済事業を行った。その頃の日給が240円だっ
たので、労働者はニコヨンと呼ばれた。大學出の初任給が1万円前後の時代だ。
本当に食えなくて自分の血を売って生活していた人もいた。400ml千円という
記録も残っている。
僕は”カフェネット”に行ったことがない。従って新聞情報だが、料金は一時間
200円、オールナイト利用してして1,500円ぐらい。シャワーの利用料金が
500円、中には軽飲料飲み放題の店もあるという。”ネットカフェ”といっても
ネットを一回も利用しない客もいるというから、店を宿舎がわりに使っているの
だろう。
”ワーキング・プア”といってもニコヨン時代に比べれば”プア”の質が違う。と
いっても、働き盛りの若者が、住む家もなく”カフェ”で寝泊まりしているのは決
して好ましいものではない。舛添大臣、これもよろしく。