「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     インド独立の志士 焼岳に死す

2007-08-22 05:16:48 | Weblog
 日本人のインド人像は頭にターバンを巻き、長髪,ひげ面ーの容姿の
シーク教徒である。ところが、シーク教徒はインド総人口11億人の僅か
2%にすぎない。アジア歴訪中の安倍総理がきょう会談したマンモハン・
シン首相は、この数少ないシーク教徒。インド建国以来初のシーク教徒
の首相である。

大東亜戦争の初期、藤原岩市少佐率いる諜報機関「F機関」に協力、マ
レー半島の英連邦軍を3か月足らずで駆逐したILL(インド独立連盟)の
プリタム・シン書記長もシーク教徒であった。残念なことに、シン書記長は
昭和17年3月14日、東京の「インド独立会議」に参加の途次、悪天候で
乗っていた飛行機が北アルプス焼岳に激突,同志4人とともに遭難死した。

”チャロ・デリ”(進めデリへ)へのスローガンでインド独立運動の求心的指
導者だったチャンドラ・ボースも独立を前に台湾で飛行機事故で客死してい
る。一国が独立をかちとるためには、隠れた犠牲をともなうものだ。プリタム
・シン氏らの葬儀は事故のあと東京の青松寺で行われた。

偶然だが、青松寺の境内にはインドネシア初代大統領スカルノ揮毫の二人
の日本人,市来竜夫、吉住留五郎に対する顕彰碑がある。碑面には「独立は
一民族のものならず、全人類のものなり」と書いてある。プリタム・シンら
4人の志士とともにF機関の通訳、大田黒又男も犠牲となった。改めてアジ
アの解放の大義の下に戦った先人に敬意を表する。