きょうから全国的にお盆がはじまる。この時期、新盆の東京(区部)は行事も
なく閑散としている。通りを行く車も少なく、生活しているのは故郷のない"東京
原人”だけである。毎年の事ながら僕は、このシーズンになると日本人として何
か取り残された疎外感みたいな気分になる。
東京も明治初年、グレゴリオ歴採用までは8月にお盆の行事があった。東京以外
にも函館など北海道の一部で7月にお盆をしていると聞く。多分当時のその地域
の役人が新しもの好きだったのだろう。以来、東京では新盆といって7月に行わ
れているが、年々行事は形骸化し、ご先祖へのお墓参りだけになってきた。
東京でも昔はお盆の入りの13日には、夕刻、玄関先や門前でオガラの迎え火を
たき、なすやきうり精霊馬をつくった。仏壇のある部屋には盆提灯を飾り精霊棚
には、まだ若い桃や梨などを供えた。同じように15日の夕刻には送り火をたき、
ご先祖を送り、近くの川で精霊流しをしたー遠い記憶がある。
残念ながら、わが家では今はいっさい、このような行事をしない。サラリーマンと
して転勤が多かったこともあるが、高度成長期、忙しさにかこつけて、お盆だけで
なく、日本古来からの伝統行事をないがしろにしてきたようだ。
茨城の仏門の女性の方のブログに「棚経」という言葉があった。恥ずかしながら知ら
なかったので、お尋ねしたらお盆の前に檀家を訪問、精霊棚の前でお経を読むこと
と教えていただいた。全国各地ではまだこのような行事がきちんと残っているのだ。
やはり、東京も旧盆に戻そう。そして忘れられたお盆の行事を復活してみては。
なく閑散としている。通りを行く車も少なく、生活しているのは故郷のない"東京
原人”だけである。毎年の事ながら僕は、このシーズンになると日本人として何
か取り残された疎外感みたいな気分になる。
東京も明治初年、グレゴリオ歴採用までは8月にお盆の行事があった。東京以外
にも函館など北海道の一部で7月にお盆をしていると聞く。多分当時のその地域
の役人が新しもの好きだったのだろう。以来、東京では新盆といって7月に行わ
れているが、年々行事は形骸化し、ご先祖へのお墓参りだけになってきた。
東京でも昔はお盆の入りの13日には、夕刻、玄関先や門前でオガラの迎え火を
たき、なすやきうり精霊馬をつくった。仏壇のある部屋には盆提灯を飾り精霊棚
には、まだ若い桃や梨などを供えた。同じように15日の夕刻には送り火をたき、
ご先祖を送り、近くの川で精霊流しをしたー遠い記憶がある。
残念ながら、わが家では今はいっさい、このような行事をしない。サラリーマンと
して転勤が多かったこともあるが、高度成長期、忙しさにかこつけて、お盆だけで
なく、日本古来からの伝統行事をないがしろにしてきたようだ。
茨城の仏門の女性の方のブログに「棚経」という言葉があった。恥ずかしながら知ら
なかったので、お尋ねしたらお盆の前に檀家を訪問、精霊棚の前でお経を読むこと
と教えていただいた。全国各地ではまだこのような行事がきちんと残っているのだ。
やはり、東京も旧盆に戻そう。そして忘れられたお盆の行事を復活してみては。