きのう東京の駐日インドネシア大使公邸で催された第62回独立式典に招
かれて出席した。式は早朝8時からの開始。日本の社会常識では考えられ
ない設定だが、インドネシアにとっては、8時にこだわる理由があるのだ。
が、日本人出席者のうち何人がそれを理解していただろうか。
インドネシア独立宣言は「17ー08-05」(皇紀2605年8月15日)、日本の敗戦
2日後にジャカルタの前田精海軍武官府公邸で起草され、翌18日午前10時、
スカルノ(初代大統領)邸で、スカルノによって読み上げられた。
毎年行われる独立式典は、この日に模して行われるもので、昨年まで東京の式
典は午前10時からだったが、今年は8時に変更された。理由は多分、10時は日
本時間であって、インドネシア時間は8時だということからだと思う。日本軍政時
インドネシアでは現地時間ではなく、2時間違いの日本時間を採用していた。だか
らインドネシアにしてみれば8時が正しいわけである。
戦後62年経過し、戦争中インドネシアに駐屯していた日本軍関係者(推定延10
万人)も高齢化し、きのうの式典には僅か4人しか参席していなかった。かっては
数十人もの出席者があったのだが。一方、インドネシア側も参席者の大半が戦争
を知らない世代であったが、式は独立当時を彷彿させるものがあった。使用される
言語こそインドネシア語だが”気をつけ””休め”などの号令、国旗掲揚に対する
敬礼など当時のまま。戦争体験のある僕には懐かしく感じた。
最近、日本企業のインドネシア離れがいわれる。投資環境が他のアジア諸国より
悪いのが最大原因のようだが、もう一つ日本の世代が変わり、従軍世代のように
この国に特別な愛情をもたなくなったのが原因だと指摘する向きもある。確かに
かってはパレンバンの落下傘部隊「空の神兵」は誰でもが知っていたし「ブンガワン
ソロ」の歌には特別な感情があった。何よりも従軍世代はインドネシアの独立に
対して共通の強い同情を持っていた。
気になるのは日本企業のインドネシア離れとともにインドネシア側にも対日感情
に変化がみられることだ。副大統領が日本からの有償援助を公然と批判し、前駐
日大使が、誤った歴史観で日本を批判する本を出版している。今、インドネシアの
指導層は”66年世代”が中心で、1966年、スカルノ追い落としデモのさいの
学生運動の指導者たちが多い。彼らは戦争体験がなく”日本の軍政は”ファッショ
”との教育を受けてきている。
これに対して、日本は数年前制作された映画「ムルデカ」(独立)で代表される
インドネシア観で、独立時の日本の果たした役割を過大評価しいるが、インド、
ネシアでは、極力、自国の独立への日本の関与を否定している。だから考え方が
逆である。例えば映画は皇紀の記述をとらえ”スカルノ,ハッタ(副大統領)の
日本への敬意”としているが、軍政下、皇紀の使用は軍要令で決まっており、
日本の敗戦直後の混乱の中での独立宣言である。独立宣言起草に関与した海軍
民政府嘱託の西嶋重忠氏(昨年物故)が著書「インドネシア独立革命」(新人物往来
社 昭和50年)が当時の事情を詳述している。
インドネシア人の好きな歌の一つに五輪真弓の「心の友」がある。今の指導層も若
いとき歌ったと思う。明日から安倍総理がインドネシアを公式訪問する。来年
は国交樹立50周年、BBC調査によるインドネシア人の対日好感度は85%と高
い国だ。しかし、残念ながら、きのうの式典には時間も早いこともあって、日本
の政府高官や日イ協会から一人の出席もなかった。せっかく先人たちが築いた「心
の友」の関係である。商売抜きのお付き合いもあってもいいのではなかろうか。
昨年UAE(アラブ首長国連邦)の独立式典に出席したが、 千人をこす参席者があ
った。国の歴史、規模からみればインドネシアの式典にはもっと大勢の参加者が
あってもよいと思うのだが。
かれて出席した。式は早朝8時からの開始。日本の社会常識では考えられ
ない設定だが、インドネシアにとっては、8時にこだわる理由があるのだ。
が、日本人出席者のうち何人がそれを理解していただろうか。
インドネシア独立宣言は「17ー08-05」(皇紀2605年8月15日)、日本の敗戦
2日後にジャカルタの前田精海軍武官府公邸で起草され、翌18日午前10時、
スカルノ(初代大統領)邸で、スカルノによって読み上げられた。
毎年行われる独立式典は、この日に模して行われるもので、昨年まで東京の式
典は午前10時からだったが、今年は8時に変更された。理由は多分、10時は日
本時間であって、インドネシア時間は8時だということからだと思う。日本軍政時
インドネシアでは現地時間ではなく、2時間違いの日本時間を採用していた。だか
らインドネシアにしてみれば8時が正しいわけである。
戦後62年経過し、戦争中インドネシアに駐屯していた日本軍関係者(推定延10
万人)も高齢化し、きのうの式典には僅か4人しか参席していなかった。かっては
数十人もの出席者があったのだが。一方、インドネシア側も参席者の大半が戦争
を知らない世代であったが、式は独立当時を彷彿させるものがあった。使用される
言語こそインドネシア語だが”気をつけ””休め”などの号令、国旗掲揚に対する
敬礼など当時のまま。戦争体験のある僕には懐かしく感じた。
最近、日本企業のインドネシア離れがいわれる。投資環境が他のアジア諸国より
悪いのが最大原因のようだが、もう一つ日本の世代が変わり、従軍世代のように
この国に特別な愛情をもたなくなったのが原因だと指摘する向きもある。確かに
かってはパレンバンの落下傘部隊「空の神兵」は誰でもが知っていたし「ブンガワン
ソロ」の歌には特別な感情があった。何よりも従軍世代はインドネシアの独立に
対して共通の強い同情を持っていた。
気になるのは日本企業のインドネシア離れとともにインドネシア側にも対日感情
に変化がみられることだ。副大統領が日本からの有償援助を公然と批判し、前駐
日大使が、誤った歴史観で日本を批判する本を出版している。今、インドネシアの
指導層は”66年世代”が中心で、1966年、スカルノ追い落としデモのさいの
学生運動の指導者たちが多い。彼らは戦争体験がなく”日本の軍政は”ファッショ
”との教育を受けてきている。
これに対して、日本は数年前制作された映画「ムルデカ」(独立)で代表される
インドネシア観で、独立時の日本の果たした役割を過大評価しいるが、インド、
ネシアでは、極力、自国の独立への日本の関与を否定している。だから考え方が
逆である。例えば映画は皇紀の記述をとらえ”スカルノ,ハッタ(副大統領)の
日本への敬意”としているが、軍政下、皇紀の使用は軍要令で決まっており、
日本の敗戦直後の混乱の中での独立宣言である。独立宣言起草に関与した海軍
民政府嘱託の西嶋重忠氏(昨年物故)が著書「インドネシア独立革命」(新人物往来
社 昭和50年)が当時の事情を詳述している。
インドネシア人の好きな歌の一つに五輪真弓の「心の友」がある。今の指導層も若
いとき歌ったと思う。明日から安倍総理がインドネシアを公式訪問する。来年
は国交樹立50周年、BBC調査によるインドネシア人の対日好感度は85%と高
い国だ。しかし、残念ながら、きのうの式典には時間も早いこともあって、日本
の政府高官や日イ協会から一人の出席もなかった。せっかく先人たちが築いた「心
の友」の関係である。商売抜きのお付き合いもあってもいいのではなかろうか。
昨年UAE(アラブ首長国連邦)の独立式典に出席したが、 千人をこす参席者があ
った。国の歴史、規模からみればインドネシアの式典にはもっと大勢の参加者が
あってもよいと思うのだが。