大変耐乏を強いられたのに反面、亡父の日記(昭和20年8月)をみると三
日にあげず酒にありついていた。日記は僅かなスペースしかないのに夕刻
仕事を終えたあと”虎ノ門「源来軒」で酒、京橋国民酒場で酒、渋谷ミューヘ
ンでウイスキー、生ビールと飲み歩いている。ただし、籤があったらしく外れ
て飲めなかった日もあった。量は書いていないが一人、酒なら一合だけだっ
たのであろう。このほか月に少しだけだが焼酒、酒の配給もあったようだ。
同じ日記には母親が週に2回ぐらい、電車にのって横浜郊外の農家へ買出し
に出かけたと書いてあるのに父親は非常時なのに飲み歩いている。若い男性
が皆戦争のため応召されていて、酒を飲む人口が減りこんな現象を起こした
のであろう。
日にあげず酒にありついていた。日記は僅かなスペースしかないのに夕刻
仕事を終えたあと”虎ノ門「源来軒」で酒、京橋国民酒場で酒、渋谷ミューヘ
ンでウイスキー、生ビールと飲み歩いている。ただし、籤があったらしく外れ
て飲めなかった日もあった。量は書いていないが一人、酒なら一合だけだっ
たのであろう。このほか月に少しだけだが焼酒、酒の配給もあったようだ。
同じ日記には母親が週に2回ぐらい、電車にのって横浜郊外の農家へ買出し
に出かけたと書いてあるのに父親は非常時なのに飲み歩いている。若い男性
が皆戦争のため応召されていて、酒を飲む人口が減りこんな現象を起こした
のであろう。