「おくりびと」(滝田洋二郎監督)が第81回アカデミー賞の「外国語映画賞」を
受賞した。映画を見ていないのに語る資格はないのだが、本木雅弘演ずる
納棺師から、亡き母の死化粧の綺麗だったことを想い出した。33年も前の
ことだ。
母は昭和51年、当時僕が勤務していた札幌で82歳で永眠した。東京出身の
僕には札幌に親類縁者が1人もなく、葬儀一切は会社にまかせ家の宗派の
浄土宗でお通夜と告別式を済ませた。葬儀は出来るだけ質素にと思ったが、
会社の関係で、わが家にはふさわしくないもになってしまった。
納棺のまえに葬儀社から納棺師(当時僕はその名前をしらなかった)が二人
来て母を死装束に着替えさせてくれ、唇に紅を差し、お化粧をしてくれた。会
社の先輩は”こんな綺麗な仏さまはみた事がない”と誉めてくれた。
「おくりびと」の舞台は山形県の酒田市だそうだが、僕がうまれた東京でも老妻
の故郷、長野市でも死化粧は施すが、専門の納棺師については、それまで知ら
なかった。地方によってか宗派によってか違うのだろう。
「生」から「死」へと永遠の旅立ちである。昔の人は多分、それを考え最高のおしゃ
れをさせ、特別の装束を着させたのであろう。最近は葬儀はすべて簡素化される
傾向にある。お墓にいったって誰もいない、という歌まである。何かわびしい気持ち
になるのは僕だけであろうか。
受賞した。映画を見ていないのに語る資格はないのだが、本木雅弘演ずる
納棺師から、亡き母の死化粧の綺麗だったことを想い出した。33年も前の
ことだ。
母は昭和51年、当時僕が勤務していた札幌で82歳で永眠した。東京出身の
僕には札幌に親類縁者が1人もなく、葬儀一切は会社にまかせ家の宗派の
浄土宗でお通夜と告別式を済ませた。葬儀は出来るだけ質素にと思ったが、
会社の関係で、わが家にはふさわしくないもになってしまった。
納棺のまえに葬儀社から納棺師(当時僕はその名前をしらなかった)が二人
来て母を死装束に着替えさせてくれ、唇に紅を差し、お化粧をしてくれた。会
社の先輩は”こんな綺麗な仏さまはみた事がない”と誉めてくれた。
「おくりびと」の舞台は山形県の酒田市だそうだが、僕がうまれた東京でも老妻
の故郷、長野市でも死化粧は施すが、専門の納棺師については、それまで知ら
なかった。地方によってか宗派によってか違うのだろう。
「生」から「死」へと永遠の旅立ちである。昔の人は多分、それを考え最高のおしゃ
れをさせ、特別の装束を着させたのであろう。最近は葬儀はすべて簡素化される
傾向にある。お墓にいったって誰もいない、という歌まである。何かわびしい気持ち
になるのは僕だけであろうか。