「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          戦災瓦礫を処理していた頃の東京

2012-04-12 06:30:33 | Weblog
昭和23年4月、大学予科に入学した記念の集合写真が古いアルバムに貼ってある。大学前の外濠の土手で撮ったもので、バックには建設中の聖イグナチオ教会の塔が見える。今、東京都から借りている上智大学の真田堀グランドは、ちょうどこの頃、都内各地から集めてきた戦災瓦礫を埋めて建設されていた。四ツ谷駅前の新宿通りには焼跡の古トタンのバラックがまだ沢山あった時代である。

敗戦時僕は中学(旧制)3年だったが、戦争が終わったにも関わらず10月いっぱい戦災の焼跡整理に動員され第一京浜国道の旧品川区役所周辺で、瓦礫を道端に山積する作業に従事した。戦後間もなくで、若い男性は戦地から復員していないため、中学生まで強制的に動員されたわけだ。しかし、僕らはこの瓦礫が、どこへ運ばれて行き処理されるのかは子供なので知らなかった。

昭和23年といえば、まだ食糧難で大学は6月から夏休みに入ったが、そんな時代でも戦後の復興は進んでいたのだ。真田堀だけではない。JRの中央線にそった市ヶ谷堀の一部も瓦礫が埋められて今は野球場などになっている。そのほか都心にあったかっての江戸城の外濠も同じようにこの時代に埋められた。

東日本震災の被災地の瓦礫処理が遅々として進まないという。環境省は各地の地方自治体に瓦礫処理の受け入れを依頼し、受け入れ地の住民を対象に被災地視察ツアーを企画し、これに補助金を出すという。随分姑息な手段のように僕には思える。今思うと、いくら戦災復興とはいえ由緒ある江戸城の堀を瓦礫で埋めるというのは、思い切った案であった。今なら歴史景観を破壊するとして実現出来なかったかもしれない。やはり復興にはある程度痛みも伴うものである。それぞれが我慾をむき出しにしては、前に進まない。