「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            年寄りの被災地支援は観光だけ

2012-04-18 16:38:55 | Weblog
昔2年間ほど勤務した郡山のテレビ局のOB会出席をかねて19日から夫婦で一泊二日の観光旅行にでかけてくる。予定が前から判っていたので、新宿から会津若松まで高速バスで、片道2,980円という格安チケットをゲットした。会津若松まで郡山経由新幹線とバスを乗り継いで行くと7,970円もかかる。なんと5,000円近く得だ。時間は4時間半とかかるが、老人にとっては時間よりは安いほうがよい。

知人の中には僕ら夫婦が福島原発事故で放射線量の高い地へ行くのを心配してくれた人もいた。たしかに訪問する中には、町の一部が4月1日まで危険区域に入っていた田村市も入っている。滝桜で有名な三春町も田村市に隣接している。郡山も昨年、学校のグランドを除染した町だ。でも僕ら夫婦にとって心配なのは放射線量よりは季節の遅れで桜が果たして開花しているかどうかだ。

毎日の新聞を見ると、首都圏各地のほか福島県内主要地の放射線量がマイクロ・シーベルト値で示されている。たしかに福島県内は東京などに比べて値が一桁たかい。しかし、国が安全と認めている数値である。このような言い方は悪いが、かりに数値が高くて身体に影響があるにしても僕ら夫婦のような老人にはどうということはない。震災後全国各地から復興の手助けに若い人たちが支援にかけつけている。しかし老人に出来ることと言えば、観光に出かけ被災地に若干でもおカネを落としてくるだけだ。

        元の時代(14世紀)新嘉坡に行っていた宮古の船

2012-04-18 06:41:46 | Weblog
平成8年スマトラ旅行に行ったさい撮ったhantu(お化け)の写真が宮古島のバ―ントゥ(お化け)によく似ていることを4月10日の小ブログで書いた。いまその写真を宮古島に送り、専門家に検討をお願いしている。宮古島市教育委員会の文化財係りの新城宗史さんから頂いたメールによると、バ―ントゥの始まりは、村に仮面(バーントゥ)が流れ着いたことからきているとのこと。スマトラのhantuもバ―ントゥと同じような仮面をかぶっている。二つの関連について、いよいよ興味がわいてきた。

10数年前、僕は室町時代初期の応永15年(1408年)福井県小浜市の海岸に象などの贈答品を積んだ南蛮船が着岸したのに興味を持ち、マラッカやその当時旧港と呼ばれていたパレンバンまで足を運び調べたことがあった。結局、現地には何も資料がなかったが、小浜市の郷土史家から頂戴した「中世南島通交貿易の研究」(小葉田淳著 刀江書院刊)から、南蛮船が旧港の華僑が日本へ派遣したものと、ほぼ確定できることができた。

京都大学の教授だった、小葉田先生のこの本には、小浜の象に絡んで当時の琉球王国とマラッカ王国との通商関係も記述してある。そこで僕はhantuとバーントゥとの関係を示唆するものはないかと読み返してみた。すると、こんな記述が見つかった。「元の元統年間(1333年―35年)蜜牙古(宮古)人がselat(インドネシア語で海峡)=漢字で(手偏に散)里即=に来ている。つまり今の新嘉坡(シンガポール)あたりにまで通商に来ていたのである。琉球王国とマラッカ王国との通商関係は琉球の外交文書「歴代宝案」にも記述されているが、それ以前の時代、しかも琉球本島ではない宮古から、こんな遠隔の地まで商売に来ていたことを知り驚いた。バーントゥが宮古に流れつくといのも、まったくありえないことではない。