被災地の春は遅い。19,20日と会津若松市と中通りの田村市、三春町、郡山市と桜を求めて夫婦で旅してきた。しかし今年は季節が遅れているためか会津城の桜の蕾はまだ固く、磐梯山の中腹から上にかけては雪が残っていた。会津若松駅から磐越西線、東線とローカル線を乗り継いで田村市のある神俣駅まで約2時間ゆっくりとした旅を楽しんだが、車窓からみる景色はやっと梅が満開。水仙の黄色の花が咲き出したという早春の候であった。
例年ならば三春の有名な滝桜は満開なので、大勢の観光客が郡山から乗り込んできたがが、今年はやっと蕾が膨らんだ程度であった。僕ら夫婦は知人の田村市滝根の老人施設の施設長をしている田中リナ先生に遅ればせながら震災のお見舞いをした後施設内を案内してもらった。このブログでも何回か紹介させてもらったが、田中先生は東京の医大を出た博士号を持つお医者さんだが、国籍はインドネシア人である。戦争中海軍の軍属だったお父さんと一緒に戦後来日して日本で教育を受けられた方だ。
老人施設の事務長の方の案内で、僕らは三春の滝桜を見せて頂いたが、観光客の車で街中は交通規制がしかれている状態。足の弱い僕らを配慮されてか、車に乗ったまま滝桜を上から鑑賞できる地点に案内して貰った。まだ咲かない桜を見るにはこれで充分である。滝桜の近くには東電の原発事故で三春に避難してきた双葉郡葛尾村の方々の仮設住宅があった。葛尾村は全村原発警戒区域に入り、村民1370人が何時帰れるかもわからず、村から避難しているが、その大部分が、この三春町の山の中で暮らしている。
やはり、大震災のツメ跡は現地に行かないと理解できない。高速バスで福島県内に入ると、道路修理箇所がまだ多かった。ローカル線の車窓からは杉や檜の伐採が多く見られた。老人施設の事務長の話では放射線量の除染の一環として行われているのだそうだ。僕ら老人ができる被災地支援は被災地へ観光旅行ぐらいしかない。震災にもめげず頑張っている福島の方々の温かい心に触れてよい旅だった。一日も早く浜通りから避難してきている方々が故郷の富岡町の「夜の森」公園でお花見ができる日がくるのを願ってやまない。
(写真は蕾も固い会津城の桜)