東京のJR浜松町駅と羽田空港を結ぶモノレールが開業50周年を迎え、先日その半世紀間歴代の車両が公開された。うっかりしていたが、半世紀前といえば昭和39年(1964年)の東京五輪が開催された年だ。このモノレールも10月1日開業した東海道新幹線も東京五輪を前につくられたものだった。一挙にあの時代のことが想い出されてきた。
父母も健在であった。父は80歳、母も72歳で、ちょうど今の僕ら夫婦とほぼ同じ年齢だったのだ。その老父母が新幹線に乗って初めて京都に旅行している。二人にとって最初にして最後の旅行であった。調べてみると、開業時の新幹線の料金は東京―大阪間片道ひかりが2,480円であった。たしか当時の僕の月給は8万円前後だったから、けっして安くはなかった。
当時父母が年金を貰っていたか定かではない。しかし、僕ら夫婦と同じ家に三世代同居していており、父母には家賃収入があったから老後の生活は恵まれていた。それに父母は今、考えると今の僕らのように日常的に病院通いはしていなかった気がする。半世紀前の日本人の平均寿命は、まだ60歳代だったと思うが、今のように老人福祉が問題にはなっていなかった。
母は昭和46年、僕の北海道転勤に伴い始めて飛行機に乗ったが、父は一度も乗ったことはなかった。むろん、二人とも海外旅行へ出かけたことはなかった。たしか、戦後、日本人の海外渡航が自由化されたのは、東京五輪前後だったと思う。たまたま新聞を見たら、大相撲の関脇で活躍した若秩父の逝去の報があった。若秩父もそういえば東京五輪時代の力士であった。
父母も健在であった。父は80歳、母も72歳で、ちょうど今の僕ら夫婦とほぼ同じ年齢だったのだ。その老父母が新幹線に乗って初めて京都に旅行している。二人にとって最初にして最後の旅行であった。調べてみると、開業時の新幹線の料金は東京―大阪間片道ひかりが2,480円であった。たしか当時の僕の月給は8万円前後だったから、けっして安くはなかった。
当時父母が年金を貰っていたか定かではない。しかし、僕ら夫婦と同じ家に三世代同居していており、父母には家賃収入があったから老後の生活は恵まれていた。それに父母は今、考えると今の僕らのように日常的に病院通いはしていなかった気がする。半世紀前の日本人の平均寿命は、まだ60歳代だったと思うが、今のように老人福祉が問題にはなっていなかった。
母は昭和46年、僕の北海道転勤に伴い始めて飛行機に乗ったが、父は一度も乗ったことはなかった。むろん、二人とも海外旅行へ出かけたことはなかった。たしか、戦後、日本人の海外渡航が自由化されたのは、東京五輪前後だったと思う。たまたま新聞を見たら、大相撲の関脇で活躍した若秩父の逝去の報があった。若秩父もそういえば東京五輪時代の力士であった。