”災害は忘れた頃にやってくる”-とは大正から昭和にかけての物理学者で随筆家であった寺田寅彦博士の警句だそうだが、木曽の御嶽山の噴火も青天の霹靂(へきれき)であった。噴火に遭遇した人の中には、文字通り噴火音を最初雷鳴と勘違いした人もあったという。火山噴火については、残念ながら気象庁でも過去のデータが乏しく、事前に察知するのは難しいようである。
個人的な体験で恐縮だが、昭和52年8月の北海道有珠山の噴火の際、僕は友人たちと伊達カントリーでゴルフをプレーしていた。確か始めてすぐのショートホールで有珠山が爆発、白煙が上がった。ゴルフ場からの避難のスピーかーで、すぐプレーを中止して僕らは、ホゥホゥの体で車で札幌に帰った。今回の御嶽山の噴火も、おりしも紅葉の季節で登山客も多かったようだが、あらかじめ噴火が予知できていたら、行楽には出かけなかったであろう。
御嶽山は昭和54年10月、突如噴火している。その5年後の59年9月、僕は御嶽山麓の王滝村を震源とする「長野西部地震」(M6.8)を現地で体験している。JICA(国際協力事業団)の砂防研修でインドネシア人3人を連れて木曽の土木事務所で昼食を食べていた頃であった。すぐ研修員をテーブルの下に避難させたのを覚えている。
地震と火山噴火との関係については、全く素人であるが、同じ頃に噴火と地震が近隣で起きているのは気になる。御嶽山と同じように火山という認識の薄い会津磐梯山が明治21年(1888年)7月、突然噴火して大被害を出しているが、その8年後の29年6月。三陸大地震が発生、2011年の大津波に匹敵する大被害を出している。両者のメカニズム関係についてはは専門家に任せるとして、今回の御嶽山の噴火は、まさに”災害は忘れた頃にやってくる”の教訓となった。
個人的な体験で恐縮だが、昭和52年8月の北海道有珠山の噴火の際、僕は友人たちと伊達カントリーでゴルフをプレーしていた。確か始めてすぐのショートホールで有珠山が爆発、白煙が上がった。ゴルフ場からの避難のスピーかーで、すぐプレーを中止して僕らは、ホゥホゥの体で車で札幌に帰った。今回の御嶽山の噴火も、おりしも紅葉の季節で登山客も多かったようだが、あらかじめ噴火が予知できていたら、行楽には出かけなかったであろう。
御嶽山は昭和54年10月、突如噴火している。その5年後の59年9月、僕は御嶽山麓の王滝村を震源とする「長野西部地震」(M6.8)を現地で体験している。JICA(国際協力事業団)の砂防研修でインドネシア人3人を連れて木曽の土木事務所で昼食を食べていた頃であった。すぐ研修員をテーブルの下に避難させたのを覚えている。
地震と火山噴火との関係については、全く素人であるが、同じ頃に噴火と地震が近隣で起きているのは気になる。御嶽山と同じように火山という認識の薄い会津磐梯山が明治21年(1888年)7月、突然噴火して大被害を出しているが、その8年後の29年6月。三陸大地震が発生、2011年の大津波に匹敵する大被害を出している。両者のメカニズム関係についてはは専門家に任せるとして、今回の御嶽山の噴火は、まさに”災害は忘れた頃にやってくる”の教訓となった。