文科省の英語教育のあり方を検討している有識者会議の報告書が新聞に出ていた。新聞(産経新聞)の見出しには”アジアのトップ・クラスの英語力を目指そう、とあったが、今一つ”アジアのトップ・クラス”の意味が解からない。具体的には現在実施している小学校5,6年生からの週一コマの英語の授業を3,4年生に繰り上げて実施しようというものだ。
幼児期からの英語学習がブームらしい。わが家の近くにも英語で学ぶ保育園があり、よちよち歩きの幼児たちが、外国人の保育師に連れられて公園で遊んでいる。会話は英語である。日本英語検定協会によると、平成25年度の5歳以下の志願者が2,500人もおり、これは10年前に比べ7割増だという。小学生も全国で22万人もいて、3級(中学生卒業程度]合格者は1万人いるとのことだ。
国際語としての英語の必要性は年々増しており、日本の企業の中にも社内の会話を英語でする会社も出てきたとのこと。その風潮にあえて水をさす気持ちはないし、有識者会議の報告に反対ではないが、英語の授業開始を小学校5,6年から3,4年に繰り上げたからといって”アジア・トップクラス”の英語力がつくだろうか。
外国語のマスターは集中学習にあるというのが僕の持論である。今のように義務教育の中学で週、3、4コマ程度ダラダラ学んでも上達しない。思い切って週10時間集中的に勉強したらどうだろうか。”アジア・トップ。クラス”の国々はシンガポールやフィリピンにしても英語が一般社会で通用しており準国語である。これに対して、日本は英語みたいな変な横文字は多いが、英語社会ではない。”アジアのトップクラス”になるには、好い悪いは別にして、集中的に学ぶべきである。
幼児期からの英語学習がブームらしい。わが家の近くにも英語で学ぶ保育園があり、よちよち歩きの幼児たちが、外国人の保育師に連れられて公園で遊んでいる。会話は英語である。日本英語検定協会によると、平成25年度の5歳以下の志願者が2,500人もおり、これは10年前に比べ7割増だという。小学生も全国で22万人もいて、3級(中学生卒業程度]合格者は1万人いるとのことだ。
国際語としての英語の必要性は年々増しており、日本の企業の中にも社内の会話を英語でする会社も出てきたとのこと。その風潮にあえて水をさす気持ちはないし、有識者会議の報告に反対ではないが、英語の授業開始を小学校5,6年から3,4年に繰り上げたからといって”アジア・トップクラス”の英語力がつくだろうか。
外国語のマスターは集中学習にあるというのが僕の持論である。今のように義務教育の中学で週、3、4コマ程度ダラダラ学んでも上達しない。思い切って週10時間集中的に勉強したらどうだろうか。”アジア・トップ。クラス”の国々はシンガポールやフィリピンにしても英語が一般社会で通用しており準国語である。これに対して、日本は英語みたいな変な横文字は多いが、英語社会ではない。”アジアのトップクラス”になるには、好い悪いは別にして、集中的に学ぶべきである。