「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日本軍政下のITB(バンドン工科大学)と日本統治下の京城帝国大学

2019-02-08 06:41:19 | 2012・1・1
書棚を整理していたら、10数年前、知り合いの故林雄二郎先生(東京工業大学教授)から頂戴した「日本の繁栄は何であったか 私の大正昭和史」(PHP研究所1995年)を見つけ、改めて読ませて頂いた。先生は東大紛争時総長であった故林健太郎先生の次弟で、未来工学の権威である。雄二郎先生は戦時中の昭和18年、軍属としてジャワ(インドネシア)に派遣され、バンドンの工業試験所で砂鉄の研究をするかたわら、ITB(バンドン工科大学)で教鞭をとられた。その体験をこの本の中で書かれている。
 
先年、僕は「大東亜戦争とインドネシア 日本の軍政」(朱鳥社2002年)を出版したが、不覚にも林先生を存じ上げなかったため、先生のバンドンでの貴重な体験を紹介できなかった。ITMはオランダ植民地時代からある名門大学で、インドネシアの初代大統領、スカルノも卒業してい3年余の日本軍政下、大学がどうだったか、前から僕も関心があったが、先生のこの本によると、ITMの大学史も、日本軍政時代は欠落しているとのことで残念だ。
 
日本統治下の朝鮮、台湾にも大日本帝国による京城(ソウル)帝国大学、台北帝国大学があった。戦後廃校になったが、戦後卒業生はそれぞれの国の政財界の指導者となって活躍しているか。インドネシアの場合は僅か3年の軍政だった。しかし、林先生たち先人のご努力がまったく残されていないのは残念だ。