昨日の日曜日、僕の長寿の祝いを兼ねて、幼い時から兄弟同様に育った従弟夫婦と「六本木」の親類筋の蕎麦屋で会食した。「六本木」といっても行政的には西麻布だが、地下鉄の駅から歩いて10分、星条旗通りの繁華街のビルの一階にある。さすが「六本木」である。休日なのに店は予約客で一杯であった。
東京生れ、東京育ち,三代続く江戸っ子だが、戦前の「六本木」につぃては変な想い出しかない。昭和13年、別の従兄が近衛歩兵三聯隊に入営するため、当時住んでいた五反田駅前から市電(都電)を一台貸しきって六本木まで送った。当時の六本木は、交差点周辺に兵隊さん相手の小さな商店街があるだけで高層ビルなど一つもなかった。
「六本木」が変容し始めたのは昭和29年(1954年)都電通りに俳優座が劇場をつくり,ついで33年にNET(テレビ朝日)が開局した頃からではなかっただろうか。周辺に在外大公使館があり、旧帝国陸軍施設を占拠していた進駐軍関係の建物が多かったせいもあり、国際都市化していった。(星条旗通りも昔、進駐軍向け新聞社あった名残)今、行政的には港区六本木で1丁目から6丁目まであり、1平方キロの地に1万2千人も住んでいる。しかし、六本木が国際的な繁華街やビジネスセンターに変身したのは今世紀になってからである。2003年に「六本木ヒルズ」が街の再開発で誕生、2008年には自衛隊跡に「東京ミッドタウン」も誕生した。
娘婿の運転する車で「六本木」を一巡して貰ったが、まさに今浦島であった。昔懐かしの箪笥町、材木町、市兵衛町、永坂町がどこなのか「六本木」に吸収されてわからない。まさに江戸っ子もびっくりだ。