「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

スペイン巡礼32日 1,060,000歩の話

2014-09-21 07:13:44 | Weblog
昨年暮の膝の手術以来、外出を自粛気味にしていたが、昨日友人が主宰するスペイン協会の文化の集い「CDQ」に1年ぶりで参加した。加齢と共に社会との接点が少なくなり、ボケ防止には、できるだけこういった集まりには顔を出したいのだが、次第に身心がいうことが効かなくなる。怖いものだ。全く自分の専門分野ではない集まりだったが、頭の刺激になり、有意義で楽しい集まりだった。

30人近い集まりだが、参加者は現役時代スペインに勤務していた商社マンのOBが主体だが、スペインのイベリコ豚の権威、フラメンコの踊り手、サッカーの関係者、それから最近スペイン留学から帰ってきた若い人など多士済々。スペインと中南米の最近の出来事を簡単に二人の専門家からレクチュアを受けた後、スペインワインで乾杯、自己紹介を兼ねて自分の話をする。誰でもラテンの話に興味があれば参加できる。会費は700円。

昨日の会で面白かったのは、元商社マン氏のスペイン.サンティアゴ・デ・コンポステ―ラ巡礼5回目の話。今年の5月末から7月初めまで北の山岳路を32日間、816キロを独りで巡礼されてきた。携帯した万歩計は、なんと1,060,000歩を指していたそうだ。最初の頃は遍路道にある二段ベッドの安い巡礼宿に泊まっていたそうだが、今回は年齢を考えてホテルに切り替えたそうだが、話を聞くと、時には険しい山道もあり、足にマメができるほどの難路もあったという。

話を伺った限りではカトリックの信仰による巡礼ではないようだ。退職後のスペイン文化理解のための個人的なご趣味と僕は勝手に理解したが、以前にも別な会員の方が、同じようなスペイン巡礼の体験談をされていた。何か、この巡礼路には日本人の心をひきつけるものがあるようである。80老人にはとても挑戦は無理だが、こういった話を聞くだけでも、ボケ防止に役立つ。

 似た者夫婦 二人に癌宣告

2014-09-20 05:44:36 | Weblog
昨日、大腸のポリぺクトミー内視鏡検査の結果が出た。やはり心配していたように腫瘍があり、さらに精密検査を受けることになった。9年前にやはり同じ検査を受け、この時は大丈夫だったのだが、老化のためだろう。正直いって80歳を過ぎての入院手術はこたえる。出来たら避けたいのだが。昨日の受診には老妻が同行してくれたが、実はその老妻も先日、乳がんの”宣告”を受け、来月入院がすでに決まっている。

”似た者夫婦”という言葉がある。”仲の良い夫婦は性質や好みまで似てくる”(三省堂慣用句諺辞典)そうだが、何も癌まで同じ頃に罹らないでもよいものを!もちろん、昨日、僕は一人で通院できると、老妻の同行を辞退したのだが、自分の入院の予定との兼ね合いもあるからと、一緒に医師の話を聞いてくれた。僕は過去何回も入院しており、そのたびに老妻の世話になっている。しかし、今回、入院となるとそうはいかない。

僕の場合は、来週から通院して何回か精密検査を行い、その結果によって入院が決まるが、老妻は手術の日まで決まり、1週間ぐらい入院の予定だ。それまでは僕は入院が決まっても延して貰うが、老妻が入院しても正直言って何もできない。結局、子供たちの面倒になることになる。しかし、せめて自分で出来ることは自分でしようと、老妻から家事の手ほどきを受けることにした。幸い、若い時に単身赴任の経験があるから料理洗濯ぐらいは出来るが。

僕ら夫婦はすでに金婚式を終え、来年は60年のダイヤモンド式である。長い結婚生活で”似た者夫婦”になってしまった。しかし、癌の発生まで何も同じ時期でなくともよいものをと思っている。しかし、二人とも楽観的にすべて”ケ.セラ.セラ”で病気に向かおうと思っている。

50年前 老父母が初めて乗った新幹線の時代

2014-09-19 05:41:27 | Weblog
東京のJR浜松町駅と羽田空港を結ぶモノレールが開業50周年を迎え、先日その半世紀間歴代の車両が公開された。うっかりしていたが、半世紀前といえば昭和39年(1964年)の東京五輪が開催された年だ。このモノレールも10月1日開業した東海道新幹線も東京五輪を前につくられたものだった。一挙にあの時代のことが想い出されてきた。

父母も健在であった。父は80歳、母も72歳で、ちょうど今の僕ら夫婦とほぼ同じ年齢だったのだ。その老父母が新幹線に乗って初めて京都に旅行している。二人にとって最初にして最後の旅行であった。調べてみると、開業時の新幹線の料金は東京―大阪間片道ひかりが2,480円であった。たしか当時の僕の月給は8万円前後だったから、けっして安くはなかった。

当時父母が年金を貰っていたか定かではない。しかし、僕ら夫婦と同じ家に三世代同居していており、父母には家賃収入があったから老後の生活は恵まれていた。それに父母は今、考えると今の僕らのように日常的に病院通いはしていなかった気がする。半世紀前の日本人の平均寿命は、まだ60歳代だったと思うが、今のように老人福祉が問題にはなっていなかった。

母は昭和46年、僕の北海道転勤に伴い始めて飛行機に乗ったが、父は一度も乗ったことはなかった。むろん、二人とも海外旅行へ出かけたことはなかった。たしか、戦後、日本人の海外渡航が自由化されたのは、東京五輪前後だったと思う。たまたま新聞を見たら、大相撲の関脇で活躍した若秩父の逝去の報があった。若秩父もそういえば東京五輪時代の力士であった。

天皇皇后両陛下のパラオ慰霊の旅と戦跡

2014-09-18 06:46:25 | Weblog
天皇皇后両陛下が敗戦70年の節目の年の来年、西太平洋の激戦地の一つだったパラオ諸島のぺリリュー島へ慰霊の旅に行かれる。パラオの名前は知っていても、ほとんどの日本人は、この名前を知らないのではないか。ぺリリユー島は、パラオ共和国の首都のある島から離れた珊瑚礁の13平方キロの小島だが、戦争中この島に日本軍の飛行場があり、この奪取に上陸してきた米国海兵隊と、守備隊(中川州男大佐)との間に死闘が繰り広げられ、日本側は六分の一の勢力、衆寡敵せず、1万人余りの犠牲者を出している。

ご遺族関係者の「パラオ戦跡を巡る」という立派なHPを拝見すると、アンがウルの丘には遺族関係者が建てた慰霊碑群があり、きちんと整備され、清掃も行き届いている。しかし、一方では戦争当時の日米両軍の戦車や、戦闘機の残骸がジャングルの中に散乱しており、海中には墜落された零戦とみられる残骸が散らばったままになっている。パラオは、今、マリンスポーツのメッカになっており、日本から直行便もでている。その観光ガイドによると、島には、かっての戦争で激戦地だ”といわれる”地だけに戦跡も残っていると書かれてある。

パラオだけではない。先の戦争の”傷跡”は各地に残っている。シンガポールから指呼の距離にあるインドネシア領レムパン島には依然、日本軍が使った上陸用舟艇「小発」が海中に沈んだままになっている。最大の激戦地であったパプアには、戦病死された方々のご遺体が数多くも収集されず、遺品の鉄カブトなどが土産品として売られている所もあるそうだ。対外的なものがあり、難しいとは思うが、慰霊と同時に戦後70年、戦跡についても考える必要があるのではないだろうか。

義歯が増えている後期高齢者世代

2014-09-17 06:14:17 | Weblog
厚労省のヘルス情報によると、75歳以上の後期高齢者の義歯が増えており、自分の歯の残存率は13.32パーセント、平均して三人に1人が入れ歯のお世話になっているそうだ。国立長寿センターの推計では2000年の日本人の義歯数は3170万本だが、2010年には4820万本に増加する見込みだという。最近、若い世代の歯についての衛生観念が格段に進歩し、子供たちの間の虫歯がめっきり減っていると聞く。が、後期高齢者に限って言えば逆である。何故なのだろうか。多分、子供だった戦争時のツケではないのだろうかー。

僕もその御多聞にもれずである。恥ずかしながら虫歯の治療を怠り、70歳初めで上歯が総入れ歯になってしまった。幸い、かかりつけの歯医者さんの技術が上手で、すでに10年以上たっているのに違和感がない。しかし、昨日、うっかり、固い煎餅を老妻が”止めろ”というのに食べ、入れ歯の一本が抜けてしまった。早速、電話で予約を取り、修理してもらったが、文字通り”歯なし”の話である。

テレビの画面でお年寄りがガムを噛みながらダンベル体操をしていた。長寿の秘訣は咀嚼力にあるらしい。よく噛めば健康につながるし認知症の予防にもなるらしい。戦争中は軍隊生活の影響からか、よく噛まず”早食い”が奨励されたことがあった。思えば、戦争中は歯の衛生によくないことばかりであった。戦争末期には歯磨粉が欠乏し、塩をつけて磨いた時代もあった。若い歯医者さんは兵隊にとられて閉業、遠くの医院まで電車に乗って通院した想い出もある。

でも僕らの世代に義歯が多いのは、やはり今の世代と違って、歯についての衛生観念の欠如であろう。若い人たちが食事の後、歯磨きしてしている姿をみて、つくずく時代が変わったと思う。数十年後には総入れ歯をしている日本人はいなくなるかもしれない。

スコットランド旅愁

2014-09-16 06:33:03 | Weblog
スコットランドの英国からの独立を問う住民投票が18日行われる。現地からの報道では、賛成派、反対派あい半ばしていていて帰趨は判らないという。もし賛成派が過半数を占めると、スコットランドは4世紀ぶりにイングランドから離れて独立し、英国の国旗ユニオンジャックの模様も変わることになる。

スコットランドというと、僕は小学校唱歌「故郷の家」をいだす。この歌は、もともとスコットランドの民謡で、明治20年、宮内庁の雅楽師だった奥好美が、あの鉄道唱歌で有名な大和田建樹と共に「明治唱歌集」を編纂するときに「故郷の家」と訳しして採用した。元歌は”Comin thro the rye"(ライ麦畑においで)だそうで、1970年テレビでドリフターズが歌った”誰かさんと誰かさんとが麦畑”の方が本来の意に近いそうだ。しかし、僕には小学校唱歌の「故郷の空」の方がスコットランドらしい。
                 ♯ 「故郷の空」
             夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫なく
             思いは遠く故郷の空 ああ我が父母いかにおわす

20年ほど前の9月、僕は老妻と一緒に当時ロンドンに勤務していた息子の家を起点にスコットランドと北アイルランドを旅した。スコットランドは主都エディンバラだけだったが、僕らが旅行した国々の中では最も忘れがたい、旅愁をさそる町だ。季節が秋だった事もあり、僕らは古城の城壁に立ち「故郷の空」を口ずさんだ。

卒業式の歌「蛍の光」や「ア二―ロリー」もスコットランド民謡だそうだ。何かメロデイに日本人の心の共感を呼ぶものがあるのかもしれない。それにしても明治の初めに「故郷の空」と訳した先人たちの感覚に驚く。

   

8人に1人が75歳以上の年寄りだといっても

2014-09-15 06:40:33 | Weblog
「敬老の日」である。戦後すぐ人生50歳といわれた時には、自分がまさか80歳まで生きられるかどうか思ってもいなかった。果たして21世紀の世に存在できるかどうかさえわからなかった気がする。しかし、今こうして80歳半ば近くまで生きられ、改めて日本の長寿社会を実感する。総務省の調査によると、いわゆる団塊世代がお年寄りの仲間入りしたこともあって、65歳以上の人口は過去最多の3296万人、総人口の25・9パーセント、4人に1人がお年寄りという計算だ。さらに驚いたのは75歳以上も1590万人、12.5パーセント、8人に1人もいることだ。

確かに僕の周囲も長寿社会である。日本にいる約5万人の百歳以上のお年寄りの一人、E.Iさんは毎月定期的に新聞の切り抜きに添えて季節の便りを送ってくださる。介護1で、週に2回、地域のデイ・サービスを楽しんでおられるとのことだ。しかし、E・Iさんは別格だ。今でも僕は90歳以上の方8人と年賀交換をしているが、残念ながら最近は、お会いしたくとも足腰が弱まり会えなくなり、耳が遠くなり電話での会話も無理になってきた。

近いうちに人生90代時代が来るという。平成24年度の厚労省推計では、日本の90歳以上の高齢者は152万8千人、総人口の1・2パーセントだという。多分この数も増加していると思う。2020年の東京五輪には、僕も90歳に達するが、問題は先輩のE・Iさんのように心身ともに元気でいられるかどうかである。医療チューブにつながれベッドに寝たままだったりの生活であっては意味がない。問題は統計的な数字ではなく「健康寿命」である。願わくば、他人のお世話にならず、いつまでも元気に人生を楽しみたいものだ。

”遠い記憶をたどって” 「サンタ・ルチア」

2014-09-14 05:26:15 | Weblog
昨夜、NHKラジオの「深夜便」のリスナーからの歌のリクエスト・コーナー”遠い記憶をたどって”の中で「サンタ・ルチア」がかかつた。戦争中の学童疎開を体験した世代の女性からで、疎開先で付添いの女の先生から教わり、一緒に歌った、この歌を所望していた。この夜のアンカーは、かって夜ニュースを担当していたアナウンサーの森田美由紀さんで、相手のお客さんも吉元由美さんという同世代の方だったが、二人は会話の中で”戦争中なのによくこんな横文字の歌が歌われましたね”と感心しあっていた。

二人とも戦後生まれで仕方がないのだが「サンタ・リチア」は、戦争中、わが国と同盟を結んでいた枢軸国、イタリアの歌である。以前、このブログでも書いたが、昭和15年、皇紀2600年式典には、イタリアからムッソリニの青年団が来日、僕ら銃後の小国民も青年団の歌「ジョビネッア―」を共に歌ったものだ。”遠い記憶をたどって”僕も「ジョビネッア―」をリクエストすればよかったが、多分スタッフが若返り、「サンタ・ルチア」のこの程度の認識では採用されなかっただろう。

ラジオ深夜便は高齢者に人気があるとされているが、最近アンカーの若返り共に超後期高齢者世代には面白くなくなってきた。昨夜の”遠い記憶をたどって”のリクエスト音楽でも、僕らの世代で共感するのは、せいぜい最初の三曲、「ダニー・ボーイズ」までぐらいで、森田さんと吉元さんが、しきりに懐古して共感しあっていた「学生時代」になると、僕らには”遠い記憶”の歌ではない。しかし、調べてみると、この歌は1964年発表で、すでに半世紀も前のものだ。「深夜便」がつまらなくなったのではない。僕らが齢をとりすぎたのだ。


折込広告からみた景気考

2014-09-13 06:11:16 | Weblog
「敬老の日」の日の連休を前にした週末のせいか、昨日今日とわが家に入ってくる新聞の折込広告の量がづすりと重い。閑に任せて数えてみたら、発行部数一位のY紙は、昨日が31枚、今日も35枚も入っている。併読しているS紙でも昨日が8枚、今日も11枚と多い。折込広告の数でみる限り、景気は回復軌道に乗っている感じがする。

折込広告といえば、近所のスーパーやドラグストアの安売セールと思っていたが、Y紙を見ると必ずしもそうではない。多種多様な業種、商品に渡っており、家の近くだけでなく、電車沿線の繁華街まで広域に及んでいる。折込広告のなかで最も多いのは、やはりスーパーだが、次に目立つのは住宅関係である。住宅展示場にはじ待って、中古マンションの販売、賃貸併用住宅の建設を売り物にしている住宅メーカーのチラシが3枚も入っていた。

Y紙にはデパートの広告も多い。それも良質の紙を使った多色カラー写真入りのものである。その昔、デパートの広告といえば新聞広告であったが、今や新聞は庇を貸して母屋をとられた感じだ。自動車広告のチラシも多かった。それも高級外車の宣伝である。素人なりに、こういった広告はチラシではなく他の媒体を使ったほうがよいと思うのだが。

「敬老の日」なのに年寄りの消費力を誘う広告は見当たらなかった。僅かにスーパーのチラシに"おざなりに”9月15日は「敬老の日」とあるだけだった。駅前の料理店のチラシに”マツタケ、すき焼3000円食べ放題”というのがあった。若い時は魅力を感じたが、カロリー計算をして食事をしている身にはお呼びでない。

この折込チラシ現象は東京だけなのだろうか。東京だって、なん千万円もする高級外車やなん億円もするマンションが折込広告で売れるとは僕には思えないのだが。

「避難勧告」の後の避難方法は

2014-09-12 06:42:50 | Weblog
秋の長雨という言葉があるように、この季節は昔から雨が多いのだが、今年は何かその様相が違う。”記録的短時間”豪雨が多い。昨日も北の大地の都、札幌でも全人口の半分に近い78万人に対して一時避難勧告が出された。全市内の学校が閉鎖され、電車が停まるなど市民生活にも影響が出た。かって1970年代に10年間、札幌に住んだことがあるが、僕の記憶には、こんな事態が起きた覚えはない。

昨日の朝、NHKテレビが”大雨特別警報”をテロップで流すほど札幌地方の”記録的短時間”豪雨は激しかったようだ。しかし、最近の気象庁の発表は不謹慎かもしれないが、少し表現が大きすぎように僕には感じられる。”これまで経験したことがない”とか”気象庁が記録をとり出して以来とか”この50年初めて”といった言い方である。事実なのかもしれないが、あまり、この種の表現を多発すると〝オオカミ少年”の話ではないが、”またか”と思う人も出てくるのでは。

避難勧告とは何なのか。ネットの「コトバ・バンク」(朝日新聞)を信用して引用させて貰うと”災害対策基本法に基づき、市町村長が避難特別情報に従って出すものだが、強制ではない”そうである。幸い、僕が住んでいる東京の区部には、まだ避難勧告は出されたことはないが、”はて、と考えた”。
強制力はないといっても、勧告が出されれば、人間として避難したいという気持ちになると思う。78万人の札幌市民の、どの程度の人が勧告に従って避難したのであろうか。先日の広島の土砂崩れ地区では、避難勧告さえ出ていなかったという。

気象庁には申し訳ないが、発表が〝オオカミ少年”的にならないよう、また責任逃れととられないよう事実だけをきちんと伝えてほしいものだ。