「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

"鳴った鳴ったサイレン” 83歳になられた天皇陛下

2016-12-23 06:17:24 | 2012・1・1
天皇陛下の83歳のお誕生日である。いつも、この日が来ると、僕は「皇太子さまお生まれになった」(作詞北原白秋 作曲中山晋平)の歌を想い出し、メロデイを口ずさむ。
            ▽ 日の出だ日の出だ 鳴った鳴ったポーポー
              サイレンサイレン ランランチンコン
              夜明けの鐘まで
              天皇陛下お喜び みんなみんなかしわ手
              うれしいなかあさん 皇太子さまお生まれになった 
僕はこの時3歳と10か月だったが、不思議と、所ところだが、覚えていて歌える。当時の日本人が、いかに世継ぎの皇太子の誕生を心待ちにしていたのかが解る。

その皇太子さまも天皇陛下に即位されて28年、83歳のご高齢になった。テレビの画面で拝見してもお歳相応になられたようにうかがわれる。それは陛下ご自身が一番ご存知なことであろう。それが異例ともいえる8月の生前退位を伺わせる御言葉である。政府はお言葉を受けて安倍総理の私的な有識者会議が、憲法、皇室典範との関連において、いかに御言葉に対応するか検討中で、来年には結論が出るようである。

皇太子殿下(天皇)がお生まれになった時、昭和天皇は33歳、姫君はすでに4人おられたが、国民は世継ぎの君を待望していた。戦前の日本人の考え方は万世一系の男子直系の天皇を望んでいた。それは、この「皇太子さまお生まれになった」の歌にもうかがわれる。しかし、時代は変わってきている。ご高齢になった陛下が象徴として、いかにあるべきかを含めて、陛下の御言葉に早く対応されたほうがよい。

80老人 ささやかな忘年会の幸せ

2016-12-22 08:07:47 | 2012・1・1

昨日冬至の日、東京首都圏は最高気温が19℃まで上がり、小春日和のような陽気であった。この陽気に誘われて近所に住む70年来の友人から突然電話があり、3人で砧(きぬた)緑地公園へでかけてきた。(写真)広葉樹はすでに落葉し、その落ち葉が絨毯(じゅうたん)のように足元が心地よかった。野鳥観察台の横の山茶花(さざんか)は真っ盛り。ハーブ畑の緑が目にまぶしかった。

普段は三人、持ち寄りの弁当をベンチに座りながら食べるのだが、昨日は年末、忘年会の季節であり、奮発して公園に隣接する美術館のレストランで赤ワインで乾杯、今年1年、お互いに元気で暮らせたことを感謝した。隣席には、やはり、近くの老人施設から車イスで介護士の世話を受けたお年寄り(と、いっても僕らと同年配だが)が、忘年会なのだろうか食事を楽しんでいた。

友人二人は介護も支援の認定を受けていない。僕は膝人工関節手術を受けたため介護認定を受けているが、サービスは受けていない。三人とも連れ合いも元気で家族と一緒に生活している。老後の生活はこれが一番幸せだ。夕食には冬至にならって、家族が料理したカボチャを食べた。四分の一切れ254円もしたが、ささやかな幸せ感があった。

フジテレビの”たるみ””おごり” 考えられない暴力団からの接待

2016-12-21 06:35:14 | 2012・1・1
フジテレビ社会部の警視庁担当の記者が暴力団関係者から何回も高額な接待を受け、その代償に自分名義で高級車購入の便宜を与えていたという。かって現役時代、新聞、民放に30年勤務した僕には、まったく信じられない不祥事だ。戦後すぐの時代、当時まだ新聞が唯一つのマスメディアだった時代には、新聞記者は”社会の木鐸であれ”といわれ、皆、それを自戒してたものだ。

古い話で恐縮だが、昭和20年代の終り頃、地方支局に勤務にしていた時、小さな町の警察署長が交通事故を起こし、そのもみ消しに関係者が菓子折りを持って夜、支局を訪れたが、支局長はガンとして受け取らず、記事になり、署長は辞任に追い込まれた。東京の下町の警察署のクラブに籍を置いていた頃、ある飲食店がオープンに際し、各社の記者に商品券を贈ってきたが、全員これを返した。それが当時は当たり前であったのである。

かって、フジテレビ系列の地方局に勤務した僕だが、この事件は最近のフジテレビの”たるみ”おごり”を象徴している事件のように見える。不祥事が新聞に載った日、12月8日から1週間の在京のテレビの視聴率ベスト30が掲載されていたが、フジテレビの番組は一本もない。数年前、フジテレビが各時間帯視率のトップの座を独占していた時代があったが、今のフジテレビの凋落は考えられない。

僕は今のフジテレビ凋落はトップの経営陣の責任だと思う。今度の事件を受けて、自社の報道番組の中で、キャスターが謝罪しているが、本来ならばトップがカメラの前に出て頭をさげて謝罪すべきである。それほど社会的に重大な事件なのをトップは自覚していないようである。

(社会の木鐸)木鐸とは昔、中国で法令などを国民に知らせる道具。これから転じて日本では、戦前、新聞記者は報道の重要性を感じ社会をリードする行動をとれと言われた。

石原慎太郎氏の”自己犠牲”の論理

2016-12-20 06:47:45 | 2012・1・1
産経新聞掲載の石原慎太郎氏のコラム「日本よ」(12月19日首都圏版1面)を読んだが論理が判らない。僕がボケた証拠かもしれないが紹介してみよう。石原氏の論理は”下司なメディアが象徴する現代社会にあって、人間として最高の美徳「自己犠牲」を求めるのは砂漠において針を求めるように難しいが、、今年大リーグから古巣の広島カープスに戻って優勝に貢献した黒田は、それを身をもって示した”と称賛、推挙している。黒田博樹投手の大活躍は僕も認めるが、人間として最高な美徳「自己犠牲」の実行者となるとちょっと大げさすぎるのではー。

石原慎太郎氏の言う「自己犠牲」とは、昭和45年、作家三島由紀夫が防衛庁内で自刃する前、石原氏が三島氏との対談で二人が男の最高の美徳として認めあった共通な考え方だという。二人は対談の前に、たがいに入れ札をしたら、二人ともそれは「自己犠牲」であったという。その「自己犠牲」と黒田投手とどう関係があるのか。黒田投手の大リーグからの広島への復帰は、野球人生の最後を華やかに古巣で飾りたいという男の美学だと思うのだが。

今年の重大ニュースの一つには、東京都の舛添前知事から小池知事への一連の騒ぎがあげられるが、その第なん場、第なん幕かの「豊洲市場盛土の場」には石原慎太郎氏は脇役として登場してくる。かっては主役として一世を風靡した石原氏だが、老いぼれた脇役として、僕の目には“憐れ”に映った。人生、最高の美徳が「自己犠牲」ならば、晩年もそれに徹し、世間をあまり騒がさないほうがよいのではと、同じ老人の僕は思うのだが。

わが街はクリスマスの電飾で花盛り

2016-12-19 06:42:39 | 2012・1・1

クリスマスまであと1週間、わが家の四方100メートルは今写真のように電飾の花盛りだ。僕のカメラと技術ではあまり迫力はないが、実物はもっと素晴らしい。ラジオの深夜便を聞いていたら、この季節、都内には70数か所、イルミネーションで飾られた名所があり、若者で賑わっているそうだ。しかし、住宅街の一角で、こんなに電飾が集中している所も少ないのでは.よい時代である。

70年前、昭和21年12月25日の亡父の日記。「大正天皇祭。いつ降ったのか屋根の上にうっすらと白きものあり、うすら寒き日なり、午前コッペパンの配給(一人二個)。今日もまた停電。ローソクの灯の下で、米つき作業」。ちょっと、注釈を加えれば、この時期、東京では遅配ながら配給米は一日二合五勺に増配になったが、ほとんどが代替品で、お米は玄米のまま家庭で一升ビンの中に入れ、棒で精米していた。都市ガスのあり家は少なく、ほとんどの家では薪が日常的の燃料で、木炭はなく、自分の家でヤミの炭の粉で豆炭や練炭を作り炬燵で暖をとっていた。

クリスマスの電飾など、ようやく見られるようになったアメリカ映画の夢の世界だった。戦前18貫(約68キロ)あった亡父の体重は12貫に激減したと日記の欄外に記している。電飾を楽しむ余裕などなかった。

安倍総理 真珠湾攻撃九軍神の慰霊碑も参拝を

2016-12-18 05:54:00 | 2012・1・1
安倍総理とプーチン大統領との首脳会談はなんだったのか。安倍総理は”歴史的な会談”と評価しているが、果たしてそうだろうか。最大課題の北方領土問題は、一歩前進どころか”引き分けより後退”という評価(産経新聞)さえある。韓国の新聞が、ここぞとばかり、安倍外交の敗北と報じているようだが、残念だが、ほとんどの日本人も同じように感じているのではないだろうか。

戦前生まれの僕が無念に思うのは、安倍総理がなぜ会談でソ連による日本人シベリア抑留問題を提起しなかったのか。今度の会談の議題にふさわしくないと思ったのであろう。が、ソ連側は会談の中で戦後の四島占拠は、ポツダム条約による合法的なものと主張している。しかし、同じポツダム条約では、敗戦後の捕虜は即時、帰国させるべきだとしている。にも拘らず戦後50万近い日本人がシベリアに連行され長い人は12年間も抑留、強制労働させられてている。この間、9万人の日本人が死亡している。これに対して、ロシアはいまだに公式に謝罪していない。戦後生まれの安倍総理でも、今年現地の慰霊碑を参拝しており、この事実を知っているはずだ。

安倍総理は今度は自らが来週26,27日ハワイの真珠湾を訪れ、オバマ大統領と会談したあと。アリゾナ記念館の慰霊碑を参拝する。そのことを批判するわけではないが、米国の新聞の中には、安倍総理の”謝罪の旅”と報じているものもある。今回の日露首脳会談を見て、僕は戦後生まれの安倍総理の歴史認識に疑義を感じるようになった。アリゾナ慰霊碑もよいが、愛媛県伊方町の伊賀公園にある「大東亜戦争九軍神」の慰霊碑も参拝してほしい。小型特殊潜航艇に乗って勝利した九人の海軍軍人が事前に訓練した地に50年前、時の佐藤栄作総理(安倍総理の大叔父)の筆によって建てられた慰霊碑である。国のトップは正しい歴史認識を持たないといけない。さもないと、一方的な外交的敗北になる。

「有明」決着後の小池知事と都議会自民党との対立

2016-12-17 06:17:04 | 2012・1・1
クリスマスまでにと先送りされてきた2020年五輪パラリンピックのバレー会場が有明アリーナに決まった。昨日の定例記者会見で、小池百合子知事が明らかにしたものだが、結局、小池知事が就任後、見直しを提案してきた、ボート、水泳、バレーボール三会場とも、”もとのサヤ”に収まった形だ。”時間の浪費だ””パーフォーマンスだ”という声もあるが、3か所で400億円近い経費が削減されたというから、やはり成果には違いない。

五輪会場問題は一応、決着したが、都議会と小池都政との”ねじり”現象はどうなっているのか。15日閉幕した都議会の討論を東京のローカルテレビ局MXの生中継で見たら、自民党代表して栗山よしじ議員(目黒区選出)が発言”今、必要なのはパーフォーマンスではなく、地に足がついた政策の実行だ”と小池都政を批判していた。栗山議員は平成25年の選挙の際、同学(関西学院大学)の先輩、小池氏(中途退学)の推薦を貰い、ツウ.ショットの写真を選挙運動のパンフに掲載していた。

これに対し、自民党とは国政で与党を組む公明党の松葉多美子議員は”都議会改革は必然、議員所得の削減、身をきる改革には挑戦したい”と述べ、同党の東山邦浩幹事長は”これまで自民党と共同歩調をとってきたが、今後は独自の考えで対応する”とさえ述べている。さらに民進党の尾崎大介議員は、小池知事提案の”政党復活予算案”廃止には賛成し、国政での野党との立場ではない発言している。これまでの都議会の与野党が逆転した構図だ。小池知事は自民党議員ではなかったのか。

小池知事は”黒いネズミ”発言に関連して”黒いネズミ”はアンシャン.レジ―ム、旧体制の復活を望む人たちだと暗に都議会自民党を批判している。来年夏の都議会議員選挙を控えて、小池知事と都議会自民党との対立は深まってきているが、僕の目には依然、世論は小池都政に追い風が吹いているようにみえる。お世話になった先輩に後足で泥をかけるような恩義をしらない男には、昔がタギの僕は投票しない。

プーチンの”巌流島”戦術 領土返還の原則を曲げるな

2016-12-16 06:06:07 | 2012・1・1
ロシアのプーチン大統領が昨夕、日露首脳会談出席のため2時間遅れで来日した。プーチンの約束時間破りは常套だとのことだが、まさか会談場所の長門が、同じ山口県の宮本武蔵ゆかりの巌流島に近いのを知り、その故事にならい、日本側をいらだたせる心理作戦に出たわけでもあるまい。話し合いは安倍.プーチン両首脳だけの会談含め、双方で数時間に渡って行われたが、新聞の見出しは”日露共同経済活動で合意”で北方領土返還問題がどうなったか判らない。

原則論にこだわるが、国後、択捉、歯舞、色丹四島はわが国固有の領土である。史上他国の領土になったことはない。戦前、学校の卒業式で歌われた「蛍の光」の四番には「千島の奥も沖縄も 八州(やしま)の内の護りなり。至らん国に勲(いさお)しく 努める我が兄(せ)つつがじく」とある通りだ。千島は明治8年(1875年)ロシアとの間のサンクトぺルグ条約で当時の樺太(サハリン)と交換して領土となったのである。

これに対して、プーチン大統領は北方領土は、第二次世界大戦の”戦利品”的な認識でこれを主張している。しかし、ソ連(当時)は昭和20年8月6日、日本の敗戦を見越して、一方的に日ソ中立条約を破棄して、敗戦2日後に旧満州に侵入、ついで樺太、千島列島にも上陸してきて9月1日までに占領している。まさに”火事場泥棒”的な行為である。

戦前から戦中にかけて女の子の間で歌われた毬つき歌に”いちれつ談判破裂して、長門の浦を船出したという里謡がある。日露戦争が始まった時の歌である。安倍.プーチン会談は今日も会場を東京に移し、成果を共同声明の形で発表するようだが、領土返還についての成果はないようだ。ロシア側は問題を先送りして、自国に有利になる作戦である。長門の浦を船出しては困るが、ロシア側のペースにはまって”佐々木小次郎”になっても困る。

泉岳寺の赤穂義士祭

2016-12-15 05:58:55 | 2012・1・1
昨日10年ぶりに高輪泉岳寺の「赤穂義士祭」へ老妻と一緒に出掛けてきた。なかなか東京にいても訪れる機会はないものだ。師走の寒い日だったが、思い切って近くのバス停から遠回りだが地下鉄を乗り継いで行ってみた。この行き方だと老人優待券が使えて無料で行けるのだが、老人には地下鉄駅の構造はバリア―が多く、危うく転倒しかけた。

芝居や映画の忠臣蔵の影響もあって「赤穂義士祭」は德川時代から江戸っ子には人気がある。昨日も平日なのに、国道(旧東海道)から山門までの道は、両側、善男善女で一杯、義士の装束をした行列が、この中をやってきた(写真)。境内も人人(ひと)で、やっとの事で参拝したが、四十七士の眠る墓地までは行けなかった。

戦前、子供の頃、五反田に住んでいた頃は、近くなので親に連れれて毎年のように「義士祭」にきて甘酒を飲み、帰りに討ち入りの太鼓の玩具を買って貰った。が、昨日は、雑踏で甘酒を売る店が見当たらず、土産店で、80歳半ばの老夫婦は、歳相応に赤穂名物の塩と泉岳寺のお線香を土産に買って帰宅した。

除夜の鐘は騒音か

2016-12-14 05:31:28 | 2012・1・1
昨夕のNHKテレビのニュース番組で、早くも「除夜の鐘」の特集をしていた。除夜の鐘がうるさいと近隣から苦情が出て今年から廃止する寺が出たり、深夜ではなく昼間に鐘をつくお寺も出てきたという。わが家の近くの古刹も番組に登場してきたが、こちらは廃止するのではなく、寺の阿弥陀堂をライトアップする新しい催しのようでほーっとした。

除夜の鐘だけではなく、お寺さんの鐘が騒音だという苦情が日常的になっているようだ。数年前だが、江戸の昔が残る芝山内の古刹の住職から昔ながらに朝夕の鐘をつくと近所から猛烈な抗議が出るので中止しているという。「花の雲鐘は上野か浅草か」(芭蕉)と、お江戸の名物も、”産湯をつかった”江戸っ子の膝元でさえこうである。

イスラム圏の国々を旅行した人なら解るが、明け方の祈りを告げる「アサ―ド」の声は旅愁を感じさせるし、西欧のキリスト教会の鐘の音もうるさいとは思ったことはない。近隣の住民から抗議があると聞いたことがない。インドネシアの初代大統領スカルノはイスラム教徒だが、日本へ来ると、いま境内に日イの顕彰碑がある古刹に隣接する日本料亭で食事をし,鐘の音を聞くのが好きだったと、昔関係者から聞いたことがある。

今日、12月14日は「赤穂義士の討ち入り」記念日、昔はこの季節になると、東京ではが師走を感じ、巷ではジングルベルのメロデイが、街頭宣伝塔から流れ、パチンコ屋の店先からは軍艦マーチが勇ましく流れたものだ。幸いこの騒音は規制されたが、お寺さんの鐘まで騒音だろうか。