「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

j持続可能な年金ならば”プレミアム.フライデイ”など必要ない

2016-12-13 06:26:27 | 2012・1・1
その年1年の世相を漢字一字で表す清水寺恒例の「今年の漢字」が「金」に決まった。リオ五輪の金(きん)メダル.ラッシュ、升添前都知事ら政治資金などの(かね)の問題、PPAPの金(きん)の衣裳が選ばれた理由のそうだが、年金(きん)生活者なのに僕には今一つピンとこない。僕にとって、今年の漢字は今年も1月早々から入院した「病」であった。

世の中、景気が好いのか悪いのかー。老人には実感がないが、消費は停滞しており購買力は今一つのようだ。新聞を見たら政府と経済連が一緒になって”プレミアム.フライデイ”を、いよいよ具体化し来年2月24日の金曜日から実施するようだ。横文字好きは小池百合子都知事の専売特許ではないらしい。この舌の咬みそうな制度は、平たく言えば、月末の金曜日、企業の勤務時間を一斉に午後3時までとし、余暇を買物などに当てれば、購買力が上がり、景気が上向くだろうというのだ。”とらぬ狸”でなければよいが。

老人にとっては土曜も日曜も祝日もない。月に一回、月末の金曜日が早引けになったからといって、どうということはない。年寄りの購買力を狙うのならば、、偶数月の15日に焦点を当てたらよい。二か月に一回の年金支給日で、銀行は杖をついた年寄りで賑わっている。この日を「年寄特売日」とすれば、若干でも消費は上向くかもしれない。消費が停滞しているのは、老人の僕から見れば、将来の年金制度の行方が今一つ現役世代に見えないからであろう。老後も持続可能な年金ならば、プレミアムなど設けなくとも消費は上向く。




日ソ共同宣言から60年 期待薄の長門会談への事前世論操作

2016-12-12 06:19:03 | 2012・1・1
ロシアとの間の北方領土問題の原点ともいえる「日ソ共同宣言」が発効したのは、昭和31年(1956年)12月12日で、ちょうど60年に当たる。当時、僕は新聞社の外信部の駆け出しで、モスクワからの特派員電を受けた記憶がある。この宣言を受け18日に、わが国は全会一致で国連に加盟している。日本が国際社会に復帰できた重要な1週間であったが、まさか、そのあと60年もの間、ソ連(当時)との間の領土問題が未解決なままとは思いもしなかった。

「日ソ共同宣言」では”日ソ両国は引き続き平和条約交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島、色丹島を引き渡す”と明言している。にも拘らず、60年間も平和条約が締結されないのは、何故なのか。一つには歯舞、色丹だけでなく、国後、択捉まで含めた4島一括返還を求める日本側の主張と、ソ連側との考え方の隔たりだが、交渉が難航するきっかけとなったのは、安倍総理の母方の祖父にあたる岸信介首相当時、ソ連の反対を押し切って日米安保条約改定に踏み切ったからだという説もある。

この12月15日からロシアのプーチン大統領が来日、安倍総理の出身地、長門を皮切りに一連の日露会談に入る。しかし、会談の前から領土問題については悲観的である。先行している議題は両国間の経済協力だけである。マスコミは、さかんに解決に向かって一歩前進があればとしている。昨日、つれつれなるままにテレビ番組を見たら、政府が事前に世論操作をしているかのように、かの”ムネオハウス”氏を起用して、元島民が4島返還を誰一人望んでいない、と吹きまくっている。会談の前に、こんなに腰が引けていては、二島さえ帰ってこない。

お隣の国のように、大群衆を動員し、東京の狸穴のロシア大使館前にデモをかけ、街宣車で四六時中、日露戦争は”一列談判破裂して長門の浦を船出して始まった”と、軍歌をがなでるほうが効き目があるかもしれない。

29年ぶりの札幌の大雪に想う

2016-12-11 06:15:12 | 2012・1・1
札幌が12月初旬としては29年ぶり、積雪65センチという大雪に見舞われている。テレビの画面でみると、中心部の時計台から大通にかけて白一色、路面電車は除雪が間に合わず終日、運休中止、新千歳空港では200便以上が運航停止だという。僕は昭和46-47年の冬から55年―56年の冬までの10年間勤めの関係で札幌に住んだことがあるが、こんな大雪の記憶はない。今年の札幌は10月の初積雪、11月上旬の23センチの記録的な積雪といい異常である。お見舞い申し上げます。

29年ぶりの大雪というから僕は体験していないが、東京生まれ東京育ちの僕にとっては、北海道の冬はからっきしダメだ。最初の冬は札幌五輪の年で、五輪讃歌「虹と雪のバラード」(トワエモア)のように、札幌の町には地下鉄が走り、地下街ができ、新しい街に生まれ変った時期であった。しかも、新しく誕生した会社勤務とあり、冬の北海道の生活は何ら苦でもなくむしろ楽しんでいた。住まいもジャンプ台に近く、子供たちは歩いてスキー場へ行ける自然豊かな場所だった。

しかし、3年も経つと、長い冬が僕には苦痛になってきた。家のまわりの雪かきが出来ず、郵便配達の人から”この家には男がいないのか”と怒られた。なにより通勤の足が厳しく、バス通りに出るまで、気をつけて歩いているのだが、何回も転んだ。北海道生まれは幼い時から雪道に慣れているのだが、僕らは歩き方がら違うようだ。

僕が住んでいた40年前には人口100万人だったが、今は150万人、地下鉄も1路線だったのが3路線になり、郊外にまで延びている。昔に比べれば、冬季の生活も楽になってきたようだが、やはり雪国になれない者にとって老後を送るにはどうだろうか。

TPP法案の承認と韓国大統領弾劾案可決

2016-12-10 06:17:57 | 2012・1・1
ここ数年、日本中を騒がせてきたTPP法案が昨日、参院本会議で可決承認された。安倍総理が成長戦略の柱と位置付けしてきた重要法案なのに、米国のトランプ次期大統領がTPP不参加を明言しており、何か拍子抜けだ。テレビの中継もなく新聞も大きく扱わない。僕も昨日は民放の韓国の朴菫恵大統領に対する弾劾裁判の中継放送を見てしまった。

わが国では、あまり聞きなれない「弾劾」(だんがい)を手元にあった古い「学習国語辞典」(昭和41年小学館 金田一京助編辞典)で調べてみたらみつからない。「用字用語辞典」(昭和46年東京堂 広田栄太郎編)によれば、”罪を責める””問責”とあり「劾」の字は当用漢字の補正案”とあった。それほどかように、わが国では弾劾はなじみがない。
 
韓国国会の投票の模様を見ていて、変なことが二つ気になった。一つは投票箱を管理する担当者が投票者と握手したり、時には立ち上がって頭を下げたりしていること。他の一つは、議員が投票紙を記入するカーテンを、いちいち女性の係員が開けたり、閉めたりしていることだ。僕の目には投票が中立なのか、また逆に議員に対する不信感があるようにも映った。

弾劾案の可決によって、朴槿恵大統領は所定の手続で解任される。わが国ではトップのこのような形での交代はない。この結果、年内に予定されていた日中韓首脳会談はお流れになった。昨年の今頃であったと思うが韓国との間で合意した慰安婦問題についての”不可逆的な”決着は大丈夫なのか。TPP問題、慰安婦問題、外交は相手のあることだが、慎重に当たって貰いたい。月末には日露首脳会談が控えている。

また地震に見舞われたアチェと日本人

2016-12-09 07:06:15 | 2012・1・1
2004年のスマトラ巨大地震で大きな被害を受けたアチェで、また震度6.5の地震が発生、家屋の倒壊などで100人以上の犠牲者が出ている。今回の地震の震源地はマラッカ海峡に面したシグリ地方で、幸い津波がなかっため、前回のような大きなな人的被害はなかったが、シグリはマルコ.ポーロの「東方見聞録」や13世紀のアラブの冒険家、イブン.バッターナが40日間も滞在した地方であり、歴史的な建造物に被害が出ているようだ。

アチェは日本から見ると、インドネシアの最も離れた地にあり、歴史史的に無関係と思われるが、アチェ王国が最後まで和蘭と戦っつたアチェ戦争(1873-1903)に二人の日本人の名前がでてくる。一人は幕末、徳川幕府から医学研究のため和蘭に派遣された林紀(はやし.つな)で、林は和蘭滞在中、アチェへ野戦病院視察で出かけている。もう一人は、大正初期、アチェに写真技師として滞在していた伴元彦で、戦争終了後のゲリラ戦に、アチェ軍の参謀として登場してる。

アチェはイスラム教が初めてインドネシアに入ってきた窓口であり、その戒律は最も厳しい。戦争中は近衛師団が中心に駐屯していたが、何故かアチェ好きな人が多く、戦後「阿智恵会」という名の戦友会を作り立派な会報を出していた。上記の二人の日本人の話は「阿知恵会」報からのマゴびきだ。2004年の大地震のさいには「阿智恵会」から見舞金が贈られたが、その戦友会も今は解散している。大東亜戦争初期、日本軍がスマトラに無血上陸出来たのは、アチェ住民の全面協力があった。アセアン諸国の中でインドネシアは最大の親日国であり(BBC調査)その中でもアチェ人には、日本大好き人間が多い。出来るだけの援助をしよう。

忘れられたもう一つの”真珠湾攻撃” マレー上陸作戦

2016-12-08 06:08:08 | 2012・1・1
早朝のNHKラジオの番組「今日はなんの日」を聞いたら”昭和16年12月8日、旧日本陸海軍が太平洋上で戦闘状態に入り、ハワイ真珠湾やマニラなどを攻撃した”と伝えていた。実は平成21年の小ブログで、NHKのこの番組が、ビートルズのジョン.レノンが殺されたのだけ伝え、大東亜戦争勃発については触れていなかったと、批判した。今年はあれから75年,節目の年で、安倍総理が今月末、真珠湾を訪れ、犠牲者を慰霊することもあって、とくに扱ったのであろうか。

大東亜戦争は時間の経過だけでいえば、陸軍第18軍のマレー半島コタバル上陸で火ぶたが切られている。真珠湾攻撃は16年12月8日午前2時40分(日本時間)に対し、コタバル上陸は午前2時15分である。この作戦は、敵の激しい抵抗に会い、320人の方が戦死している。この模様は昭和17年制定の文部省国定教科書巻6に記載されている。しかし、戦後教科書が墨で黒塗りにされ、一般の日本人の記憶にはない。現地には慰霊碑さえない。

日本軍の真珠湾攻撃で、米国の太平洋艦隊の艦艇は壊滅的な打撃を受け、2345名の軍人が犠牲になっているが、そのほとんどは戦艦アリゾナなどの艦艇上であり、民間人犠牲者57名も基地周辺の人たちであった。これに対して、日本側も攻撃に参加したゼロ戦など54機が未帰還で、特殊潜航艇の9人が戦死している。

安倍総理は真珠湾訪問は”謝罪ではなくて慰霊だ”と言っている。戦争が終われば、敵も味方もない。総理の慰霊に反対するのではないが、同時に戦後70年、いまだにシベリアの酷寒の地やニューギニアの南寧のジャングルの中に未収集のまま眠っているご遺骨があることも国家の指導者として忘れないで欲しい。同時に広島、長崎の原爆、東京など大空襲で数十万人の民間人がなくなっていることを。

大正.昭和.平成三代を生きた、ある「防人」102歳の死

2016-12-07 06:33:09 | 2012・1・1
大正3年生まれ102歳の大先輩、今沢栄三郎さんが先月末他界された旨、ご遺族から連絡があった。今沢さんとは10数年前「インドネシアと大東亜戦争」を出版したさい、色々と資料の提供を受け、ご指導を受けた仲だ。昭和15年、教育召集され、そのまま第五師団の給水部隊の一兵卒として、大陸各地を転戦、大東亜戦争勃発とともにマレー作戦を経て、シンガポール上陸作戦にも従軍した。そして、その後、師団の移動に伴い、豪北の南寧の孤島で敗戦まで、国の防人(さきもり)をしていた。(この従軍記は、今沢さんが雑誌に書かれた原稿「わが大君に召されて」を、ご了解をえて小ブログ(2013年4月に10回にわたって転載している)

今沢さんの自伝「徳弧ならず」によると、旧制中学卒業後、書店の店員をしながら、当時の青年の多くが心酔した橋本欣五郎氏(戦前の2,26事件などに関与した右翼活動家。戦後の市ヶ谷裁判で終身刑)の運動に参加、今沢さんはその研究家としても知られている。しかし、その経歴から連想されるような方ではなく、今沢さんは物静かな温厚な紳士であった。

戦後、今沢さんは池袋のキリスト教会にあった東南アジア文化友好協会で事務局長をされていた。この協会は戦争中、インドネシアのアンボンで従軍牧師であった加藤亮一氏(故人)が”今は償いの時”(氏の著書名)として、東南アジアから戦争の犠牲になった孤児たちを集め、寮生活をさせながら留学の面倒を見ていた。数年前、僕は今沢さんの紹介で、シンガポールの虐殺で犠牲になった孤児の一人にあったが、留学中に親切に世話になった今沢さんに感謝していた。また、今沢さんは戦後、インドネシアに残留、独立戦争に参加した元日本兵の組織作りにも尽力された。

ご遺族からの挨拶書面によると、今沢さんは”南方戦地にて病気入退院を繰り返しも内地へ送還されず命拾い40代に肺結核、99歳で再発、最近も2年間で3度の誤えん性肺炎で入退院していましたが病弱な父の生命力、衰えなかった手足、目、耳、毛髪に驚いています”とあった。改めて、大正生まれ、102歳の国の防人の生きざまに、心から合掌。弔辞にさせていただきたい。
(写真は今沢さんの白寿の御祝い。(左)が今沢さん(中)戦友の山下さん(故人)(右)在日インドネシア人回教指導者、イドリスノ師)

安倍総理の”ハワイ慰霊の旅”と九人の軍神たち

2016-12-06 06:34:34 | 2012・1・1
安倍総理が12月26,27日、ハワイオアフ島の真珠湾を訪れ、オバマ大統領と会談後、75年前の昭和16年12月7日(現地時間)日本軍の奇襲攻撃で犠牲になった犠牲者を慰霊する。これは今年5月、オバマ大統領が米国大統領として初めて広島原爆被災地を訪問した返礼と時期大統領トランプ氏の対日政策への遠慮だという観測が多い。

真珠湾攻撃の日、僕は小学校5年だったが、はっきりと”わが陸海軍が西太平洋上で戦争状態に入り、真珠湾を攻撃、米英両国に宣戦を布告した”旨の大本営発表のラジオ放送を聞いたのを憶えている。そして、それに次ぐ、各地の赫赫たる勝利の報を知り、胸が躍ったものだ。また、真珠湾攻撃では、空からの攻撃と同時に、特殊潜航艇5隻が、真珠湾内奥深く入り、戦艦、巡洋艦を攻撃、乗員9人が戦死されたことも後で知り、その勇敢さに目をみはった。

日本軍の空と海からの攻撃で、米国太平洋艦隊は、戦艦アリゾナ、オクラハマなど8隻など主力艦が壊滅的被害を受け、3652人の戦傷者が出ている。これに対して、日本側の被害は、航空機29、乗員54人が犠牲になっている。一方的な勝利だったが、当時は現地の被害の詳細は伝わってこなかったが、数年前、知り合いから当日朝の、日本軍の攻撃の模様を伝える現地の新聞の号外の拡大コピー(写真)を入手した。

「Honolulu Star Bulletin」の12月7日付けの第一号号外だが、ワシントン発UP電でホワイトハウス発表の日本軍の真珠湾攻撃を伝えるととに、”(日本軍)オアフ島防御地帯に攻撃6人が死亡、21人が緊急病院へ”という見出しで現地の模様を伝えている。日本軍は攻撃に先立って、民間施設は避け、軍事施設だけを攻撃せよという内意があったが、やはり民間人の犠牲者も出ていた。

安倍総理の慰霊の旅について「Washington Post」(電子版)は、”安倍総理の慰霊は政府内の歴史修正主義者から批判を浴びよう”といった意味のことを書いているそうだが、特殊潜航艇の九人の軍神の話を知っており、広島、長崎での原爆、東京大空襲などで数十万人の民間人が犠牲になっている僕ら戦前の世代にとっては、歴史修正主義者ではなくとも、手放しの安倍総理の真珠湾慰霊の旅には抵抗がある。海外の戦地で亡くなった英霊の遺骨収集が先ではないだろうか。

散逸する従軍の記録を残そう

2016-12-05 05:50:32 | 2012・1・1
屋根裏の古本整理をしていたら、未整理の戦友会誌に混じって大学同窓だったYさんの手書きの「南十字星輝く空の下で体験した戦争とと異文化」という従軍記が出てきた。Yさん(大正9年生まれ)は大学教授で生涯独身、3年前、成人後見人制度で、91歳の生涯を終えた。たまたま、僕は入院中で、老妻が代って葬儀に参列したが、多分従軍記は散逸してしまったのではないだろうか。

Yさんは大分県の出身で昭和16年3月、現役で第48師団歩兵47連隊に入隊、戦争勃発とともに台湾高雄経由でフィリッピンのリンガエン湾上陸作戦に参加、さらにそれを終えると、インドネシアのスラバヤ上陸作戦にも転戦している。その後、Yさんは戦時中の大半を東チモールの南寧の地に駐屯、敗戦は再びジャワで迎え、戦後、連合軍の使役に従事して22年3月復員している。20歳から26歳まで6年間、海外の戦地勤務していたわけだ。

Yさんの従軍記は、几帳面な手書きな原稿で、戦争初期スラバヤで写した同郷の上司との写真や自分が所属していた速射砲隊の対戦車砲の写真、上陸した東部ジャワのクラガン海岸、現在の東チモールのカラー写真などが添えられている。多分、この従軍記は葬儀の後、後見人によって処分されてしまったのではないだろうか。Yさんの死後、後見人からは何も僕には連絡がない。

僕の手元には2002年、「大東亜戦争とインドネシア」という本を出版した際、全国の戦友会や個人から頂戴した資料がある。機会をみて整理し、出来たら本にしたいと思いながら、そのままになっている。学徒兵の記録「聞けわだつみの声」だけでなく、Yさんのような一般兵の従軍記録も散逸しないように、出来たら一か所に集めて後世に残したいものである。

断捨離で残った120年前出版の「露日辞典」

2016-12-04 05:31:14 | 2012・1・1
師走の声を聞いて普段、断捨離がちな老夫婦だが、人並みにガラクタの整理を思い立った。その手始めに屋根裏の書棚に眠ったままの古本から始めた。そこで、前から母校から届いていた「古本募金」のパンフを引っ張り出して中間業者に電話してみると、所定の手続きをとれば、宅配便が着払いで集配にきて、評価の上買い取り、一部を母校に寄付する仕組みになっている。

早速、二人して屋根上に上がり、断ボールに詰めると、なんと四箱に上った。が、パンフにある”ISBNマーク表記の書籍に限る”の項目が引っ掛かり、再度電話してみると、その通りで、洋書や百科事典、辞書ももダメだという。ところが、わが家の古本はISBN制度(1981年)以前の古いものが多い。

この際、思い切ってと、一度は段ボールに詰めた中には、120年前、明治29年(1895年)発行の「露日辞典」(写真)まであった。日露戦争前のものだ。辞書の正式名称は異なるのだが、難しくて浅学の僕には読めないし、表記できない。明治39年出版の徳富健次郎(蘆花)の「順禮紀行」(正)もあったが、この本は表紙がとれていた(写真)が、貴重なものかもしれない。

母校の「古本基金」に応じようと思った古本の中には ISBN以前だが、専門の書籍や高価な洋書も入っている。やはり手間ひまかけても自分で分別して、しかるべきところに寄贈する努力をしなければならない。これも”終活”なのだろう。