★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

時空を超えた引きこもり生活

2020年06月01日 16時46分12秒 | 徒然(つれづれ)
 引きこもり年金生活の五畳の書斎でふと思う。
 遠い昔、この状況と似たような生活をしていたことがあった。
 京都の北、京福電車の八幡前駅の近くに下宿していた、大学5回生の1年間だ。

 それまで何かとつるんでいた同級生たちは4年で卒業し、ひとり取り残された孤独の1年間だった。
 就職難を言い訳に、2、3科目の教科の単位をわざと落とし、留年を決め込んで、四畳半の部屋で1日のほとんどを無為に過ごしていた。
 学生ゆえ、部屋にある家具は机にコタツ、テレビにモジュラーステレオ、本棚にファンシーケースくらいだ。

 することといえば、テレビを観るかラジオやレコードを聴くか、あとは読書やギターを弾くかの生活だ。
 去年までのハチャメチャで楽しかった日々が、遠い思い出のように感じられたものだ。
 まさに青春の光と影だと思ったりもした。

 当時は非生産的な引きこもり生活が望むところではなく、来年の就職に対する不安、親に無駄に金を払わせている負い目などで、悶々とした日々を送っていたものだ。
 今にして思えば懐かしくもあるが、やはりもう一度あの時の生活を送りたいとは思わない。

 今もコタツだけの狭い部屋での引きこもり生活だが、気分的、精神衛生的には、当時とは雲泥の差だ。
 年数にして、43年の時の流れがある。
 その43年が私の本来の人生というべき期間だ。
 それまではウォームアップ期間、今からはクールダウン期間だ。

 将来という問題が待ち受けているウォームアップの最終年度と、本番が終わり残存時間をやり過ごすだけの今とでは、心の持ちようが全然違って当然だろう。
 不安と焦燥に苛まれながら、具体的な打開策もなく過ごした1年間と、なんの悩みもストレスもなく、やりたいことをやり、やりたくないことはやらない今の生活。

 同じ引きこもり生活でも、年齢によってこうも違うのか、ということを改めて感じる今日この頃だ。


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