★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

記憶のファイル

2020年06月22日 15時40分45秒 | 徒然(つれづれ)
 記憶、すなわち脳内に記録された過去の情報だ。
 私の記憶ファイルは、大まかにノスタルジー、想い出、過去の三段階に分類される。
 ノスタルジーは物心ついてから自我が確立する小学生くらいまで、想い出は中学生くらいから社会人になり家庭を持つまで、過去はそれ以降から現在までだ。

 ノスタルジーの記憶は今となってはかなり漠然として、抽象的、感覚、感性的な概念と位置付けられる。
 想い出はある意味において浄化され、心地よく懐かしい記憶としてよみがえる。

 過去は、どちらかというと後悔や反省、怒りや憤りといった、いわゆる負の感情が大勢を占める。
 あの時、ああすればよかった、あるいは、ああしなければよかった、あの出来事のせいで、とか、あれさえなかったら、という、決していいとはいえない現状に結びつく、今となっては後の祭り的な苦い記憶が優勢だ。
 当然、いいこともあったが、現時点では、よくなかった記憶のほうが鮮明によみがえる。

 過去は変えられないし、多分現状も変わらないだろうから、記憶の森を散策をする時は、ノスタルジーと想い出付近を歩き、過去という記憶にはあまり触れないほうがいいのかもしれない。
 時が経てば、過去の記憶もだんだん淘汰、風化されて、想い出という記憶に変化するかもしれない。


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煙草の匂い

2020年06月22日 10時00分14秒 | 徒然(つれづれ)
 家では禁煙なので煙草は吸わない。
 ウォーキングの途中で公園やコンビニ前で吸う程度だ。
 定年退職前までは1日1箱(24本)ペースで吸っていたが、最近は1週間で1箱に激減した。

 もちろんやめるつもりはない。
 西城秀樹の歌ではないが、♪ やめろといわれても~ ♪ 今では遅すぎた~だ。

 今日もウォーキングから帰った途端、煙草の匂いに超敏感な家内から、開口一番、煙草臭いと非難轟々だ。
 ソプラノの怒声が脳みそに突き刺さる。
 まるで遅れてきた更年期障害みたいだ。
 40数年間喫煙してきたので、たぶん、覚せい剤ではないが、髪の毛の中に煙草臭が蓄積しているのだろう。

 家では晩酌をしないのだから、それと相殺して見過ごしてくれてもいいはずだ。
 酒で酔っ払ってDVをされるより、煙草臭を我慢するほうが簡単ではないか。 
 アルコール依存症とニコチン依存症の末路の、どちらがより悲惨かは推して知るべしだろう。

 煙草は大人の男の嗜みともてはやされた、成人の喫煙率80%超の1970年代が懐かしい。
 今日も元気だ、煙草がうまい、は今や、今日も嫌気だ、煙草が臭い、だ。


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