人はなぜ働くのか。
働くのが好きだから、生きがいだから、そんな人間も稀にはいるだろうが、ほとんどは生活のためだ。
働かざる者食うべからずの、いにしえからの教えに忠実に我々は育ってきた。
教育を受けるという執行猶予期間が終われば、大卒にせよ、高卒、中卒にせよ、人は皆、生活のための労働へと身を投じていく。
もちろん、私もそのことに異を唱えるものではない。
実際になんの疑問も持つことなく、大学を卒業して就職した。
そしていつしか時は流れ、定年退職の日を迎えた。
定年退職、文字通り定められた年齢で、職から退くということだ。
学校も在籍期間が決められているのだから、仕事もそうであるはずだ。
それがどうだ。
定年退職後も働く人間のほうが多い。
ほとんどは生活のためというが、果たしてそうだろうか。
それによって得られる収入は、退職前に比べるとはるかに少ないはずだ。
その収入のみで生活が成り立つはずもない。
要は年金だけでは生活が苦しいからと誰もが言う。
しかしそれは、もっともらしくいえば、余裕ある生活をしたい、穿った見方をすれば、年金収入以上に贅沢をしたいというだけの話だ。
それならばある意味納得も行くが、嫁に強制されて嫌々ながら、とか、ブラブラしているとみっともないから、とか、することがなくてなんとなくとか、本来の労働の目的とは意味合いが異なっている。
世の定年退職者に言いたい。
君たちは十分に働いたのだ。
あとは贅沢さえしなければ、年金収入でなんとかやっていけるはずだ。
現に平均的な年金生活者である私はそれでやっている。
中途半端な労働など、人生における時間の浪費ではないだろうか。
人間は考える葦なのだ。
晴耕雨読ではなく、晴考雨読でいくべきだ。
定年退職後は、今までの人生を静かに振り返り、思考の森を探索すべき時なのだ。
自室にこもり、パソコンの前に座り、何もしないことを非生産的なことと考えるのか、贅沢な過ごし方と考えるかは、あなた次第だ。
働くのが好きだから、生きがいだから、そんな人間も稀にはいるだろうが、ほとんどは生活のためだ。
働かざる者食うべからずの、いにしえからの教えに忠実に我々は育ってきた。
教育を受けるという執行猶予期間が終われば、大卒にせよ、高卒、中卒にせよ、人は皆、生活のための労働へと身を投じていく。
もちろん、私もそのことに異を唱えるものではない。
実際になんの疑問も持つことなく、大学を卒業して就職した。
そしていつしか時は流れ、定年退職の日を迎えた。
定年退職、文字通り定められた年齢で、職から退くということだ。
学校も在籍期間が決められているのだから、仕事もそうであるはずだ。
それがどうだ。
定年退職後も働く人間のほうが多い。
ほとんどは生活のためというが、果たしてそうだろうか。
それによって得られる収入は、退職前に比べるとはるかに少ないはずだ。
その収入のみで生活が成り立つはずもない。
要は年金だけでは生活が苦しいからと誰もが言う。
しかしそれは、もっともらしくいえば、余裕ある生活をしたい、穿った見方をすれば、年金収入以上に贅沢をしたいというだけの話だ。
それならばある意味納得も行くが、嫁に強制されて嫌々ながら、とか、ブラブラしているとみっともないから、とか、することがなくてなんとなくとか、本来の労働の目的とは意味合いが異なっている。
世の定年退職者に言いたい。
君たちは十分に働いたのだ。
あとは贅沢さえしなければ、年金収入でなんとかやっていけるはずだ。
現に平均的な年金生活者である私はそれでやっている。
中途半端な労働など、人生における時間の浪費ではないだろうか。
人間は考える葦なのだ。
晴耕雨読ではなく、晴考雨読でいくべきだ。
定年退職後は、今までの人生を静かに振り返り、思考の森を探索すべき時なのだ。
自室にこもり、パソコンの前に座り、何もしないことを非生産的なことと考えるのか、贅沢な過ごし方と考えるかは、あなた次第だ。
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