時間が経ち、1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヵ月、1年が過ぎてゆく。
そんなことの繰り返しととらえるか、過去から現在、現在から未来への一方通行の時間旅行ととらえるかは、人それぞれだ。
近視眼的にはそれを生活といい、巨視的には人生という。
サラリーマン時代は仕事のスケジュールに基づき生活をして、時の流れの遅さにじれったさを感じ、また逆に過ぎ去った時の早さに感慨を覚えたものだ。
引きこもり年金生活にはおよそスケジュールと呼ぶべきものがない。
あるのは、起床して、ウォーキング、インターネット閲覧、就寝というルーチンだ。
毎日同じことの繰り返しで曜日の感覚が鈍ってくる。
土日の競馬が流れゆく時の里程標だ。その時々のレース名で季節や月を認識する。
サラリーマン時代の働き盛りの頃は、時は金なりで、足りない時間に対する焦燥や、無駄に消費した時間に対する後悔など、時間の大切さを実感したものだが、定年退職後は時間に対する焦燥や後悔の感情はなくなった。
その時間を使うべき対象がないのだ。
何をしなくても時間は流れ過ぎ去ってゆく。
そう書くと自分が取り残されているような感じになるが、そうではない。
あえて言うならば、時間の流れに乗っている感じだ。
その体感速度は昔と比べると異常に速い。
時間は私をどこへ連れて行こうとしているのだろう。
そんなことの繰り返しととらえるか、過去から現在、現在から未来への一方通行の時間旅行ととらえるかは、人それぞれだ。
近視眼的にはそれを生活といい、巨視的には人生という。
サラリーマン時代は仕事のスケジュールに基づき生活をして、時の流れの遅さにじれったさを感じ、また逆に過ぎ去った時の早さに感慨を覚えたものだ。
引きこもり年金生活にはおよそスケジュールと呼ぶべきものがない。
あるのは、起床して、ウォーキング、インターネット閲覧、就寝というルーチンだ。
毎日同じことの繰り返しで曜日の感覚が鈍ってくる。
土日の競馬が流れゆく時の里程標だ。その時々のレース名で季節や月を認識する。
サラリーマン時代の働き盛りの頃は、時は金なりで、足りない時間に対する焦燥や、無駄に消費した時間に対する後悔など、時間の大切さを実感したものだが、定年退職後は時間に対する焦燥や後悔の感情はなくなった。
その時間を使うべき対象がないのだ。
何をしなくても時間は流れ過ぎ去ってゆく。
そう書くと自分が取り残されているような感じになるが、そうではない。
あえて言うならば、時間の流れに乗っている感じだ。
その体感速度は昔と比べると異常に速い。
時間は私をどこへ連れて行こうとしているのだろう。
★★外出自粛のこんな時こそ、暇つぶしに読書などいかがでしょう★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。