★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

故郷は夢の中にありて偲ぶもの

2021年05月26日 14時16分06秒 | 徒然(つれづれ)
 最近、子供の頃の夢をよく見る。
 故郷の夢だ。

 私の故郷は九州の西の辺境の村だ。
 東側の海と西側の山に挟まれた、端から端まで400mほどの狭い平地の中央を、南北に国道が走っていた。
 国道といっても対面一車線の細い田舎道で、その両側に民家が軒を並べていた。

 小さな村だったが、病院やお寺、床屋や保育園もあり、雑貨屋兼駄菓子屋が3軒、米屋に魚屋もあった。
 住民の多くが漁業関係者と炭鉱従事者というか、漁師と炭鉱夫で、私は子供ながらにほとんどすべての家を把握していた。
 小学1、2年の頃は炭鉱景気で、パチンコ屋や飲み屋、小さなスーパーや貸本屋もできた。

 そんな村に2歳くらいから小学3年までの7年間住んでいた。
 子供の頃の7年間は、永遠と思われるくらいの長い体感時間だ。

 海がすぐそばだったので、夏は毎日泳いでいた。
 シーズンオフは野山を駆け巡って遊んでいた。
 唱歌の「故郷」や「われは海の子」を地で行く生活だった。

 行きつけの駄菓子屋は子供の社交場で、10円玉を握りしめて通ったものだ。
 店内にはラジオが流れていて、よく大相撲の実況を聴いていた。
 駄菓子屋の前の観音様の石段下には、毎週、紙芝居のおっちゃんが店開きしていた。

 そんな村も、いつしか炭鉱は閉山になり、炭鉱従事者の家族はどこかへ引っ越し、海は埋め立てられ、漁師はいなくなった。
 そして、若かりし頃の父や母、いつも一緒にいた祖母も今はもういない。
 今では時折、夢の中でモノクロームの光景となり、当時を偲ばせるだけとなった。
 
 

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