唱歌「故郷(ふるさと)」が妙に心にしみる歳になった。
ほとんどの人間に故郷はあるはずだ。
私にとっての故郷は、あの九州の辺境の田舎町だ。
しかし、すでに祖母や両親は亡くなり、実家も売却した現在、私の帰る場所はない。
弟夫婦や親戚の家はあるが、私にとっての安息の場所、いわゆる"ふるさと"ではない。
「故郷」の歌詞から連想するしかない遠い想い出になってしまった。
「故郷」をはじめとする唱歌はもちろん、直接的に歌っているわけではないが、演歌も私に故郷を想起させる。
短調の切なくやるせないメロディと、郷愁を誘う歌詞がそうさせるのだろう。
日本のミュージック・シーンに於いて、歴史の古い演歌は、ないがしろにされている感がある。
音楽シーンを席巻するJポップに、長く歌い続けられるような歌はほとんどなく、その場限りの量産体制だ。
アメリカでは今でも、ブルースやカントリーなど昔の歌も、それなりにリスペクトされている。
フランスにはシャンソン、イタリアにはカンツォーネ、スペインにはカンテ、ポルトガルにはファドがある。
それらは昔からそれぞれの国に根付いた音楽だ。
日本の音楽が世界的になかなか評価されないのは、そのあたりが原因なのかもしれない。
温故知新ではないが、演歌や唱歌の中に、今後の日本の、世界に向けた音楽の方向性の鍵が隠されているような気がする。
若者ももっと演歌を聴くべきだ。
それには有名ミュージシャンが積極的に、演歌というものの本質に向かい合う必要がある。
演歌は、日本のブルース、カントリーなのだ。
ほとんどの人間に故郷はあるはずだ。
私にとっての故郷は、あの九州の辺境の田舎町だ。
しかし、すでに祖母や両親は亡くなり、実家も売却した現在、私の帰る場所はない。
弟夫婦や親戚の家はあるが、私にとっての安息の場所、いわゆる"ふるさと"ではない。
「故郷」の歌詞から連想するしかない遠い想い出になってしまった。
「故郷」をはじめとする唱歌はもちろん、直接的に歌っているわけではないが、演歌も私に故郷を想起させる。
短調の切なくやるせないメロディと、郷愁を誘う歌詞がそうさせるのだろう。
日本のミュージック・シーンに於いて、歴史の古い演歌は、ないがしろにされている感がある。
音楽シーンを席巻するJポップに、長く歌い続けられるような歌はほとんどなく、その場限りの量産体制だ。
アメリカでは今でも、ブルースやカントリーなど昔の歌も、それなりにリスペクトされている。
フランスにはシャンソン、イタリアにはカンツォーネ、スペインにはカンテ、ポルトガルにはファドがある。
それらは昔からそれぞれの国に根付いた音楽だ。
日本の音楽が世界的になかなか評価されないのは、そのあたりが原因なのかもしれない。
温故知新ではないが、演歌や唱歌の中に、今後の日本の、世界に向けた音楽の方向性の鍵が隠されているような気がする。
若者ももっと演歌を聴くべきだ。
それには有名ミュージシャンが積極的に、演歌というものの本質に向かい合う必要がある。
演歌は、日本のブルース、カントリーなのだ。
狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。