8月15日、炭山は依然孤立状態にありました。
その時の様子です。 撮影は笹谷さん。
水は引き始めましたが、道路には土砂や倒木があふれ、地域の避難場所の笠取第二小学校へも行けなくなりました。
下炭山と上炭山も土砂崩れで通行が出来なくなっていました。
何とか村内を通行できるようにしようと、町内会の呼びかけで、自からの手で道を開くことになりました。
皆さんスコップ片手に集まり、土砂を撤去し、道路を開きました。
その上の土砂崩れで志津川がせき止められた箇所。
ここも倒れた電柱を起こし、車の通行が出来るようになりました。
この夜、支援食料として届けられたおにぎりによる食中毒が発生。
その日の夕方、2日ぶりに三室戸からのルートが軽自動車のみ通れるだけ開き、その道を無理して通って救急車が到着するまでにはかなりの時間を要しました。
Oさんは、なかなか到着しない救急車を待つ間にもご主人はどんどん衰弱され、本当に心配されたそうです。
沢山の人が発病し、救急車だけでは間に合わず、元気な人が軽自動車を運転しそれに分乗して病院へ向かいました。
大きな災害にもかかわらず、村人の連携でけが人もなかった炭山ですが、もし、この時道路が一つも開通していなかったら、と思うと背筋が寒くなる思いがしました。
その時の様子です。 撮影は笹谷さん。
水は引き始めましたが、道路には土砂や倒木があふれ、地域の避難場所の笠取第二小学校へも行けなくなりました。
下炭山と上炭山も土砂崩れで通行が出来なくなっていました。
何とか村内を通行できるようにしようと、町内会の呼びかけで、自からの手で道を開くことになりました。
皆さんスコップ片手に集まり、土砂を撤去し、道路を開きました。
その上の土砂崩れで志津川がせき止められた箇所。
ここも倒れた電柱を起こし、車の通行が出来るようになりました。
この夜、支援食料として届けられたおにぎりによる食中毒が発生。
その日の夕方、2日ぶりに三室戸からのルートが軽自動車のみ通れるだけ開き、その道を無理して通って救急車が到着するまでにはかなりの時間を要しました。
Oさんは、なかなか到着しない救急車を待つ間にもご主人はどんどん衰弱され、本当に心配されたそうです。
沢山の人が発病し、救急車だけでは間に合わず、元気な人が軽自動車を運転しそれに分乗して病院へ向かいました。
大きな災害にもかかわらず、村人の連携でけが人もなかった炭山ですが、もし、この時道路が一つも開通していなかったら、と思うと背筋が寒くなる思いがしました。
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