conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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クラブハウスの講演

2005-11-12 23:49:00 | 日記
今日はF市の公共施設で講演がありました。<統合失調症>の再生施設であるクラブハウスの一つ、「クッキングハウス」を創設した松浦幸子先生の講演。そしてハウスに通う患者たちの体験談でした。
クラブハウスと言うと少し翳りを感じていましたが、どうしてどうして翳りは微塵も感じませんでした。松浦先生の性格と「クッキングハウス」の作業療法の開放性にあるのか、両方係わってのことでしょうがとにかく明るい。

少々驚いたことは患者さんの身の振る舞いに薬の服用によるボーうとした、あの特徴が見られないのです。
クラブハウスのことは、知っているなどと言えた身ではないけれど、ハウスによって性格はずいぶん違ってくるようだ。
「クッキングハウス」は食の場を通してお互いの心の交流を確かめ合う、そこから自信を得て社会に戻る準備をするところと聞いた。

活動の場は三つに分かれ、
 第一の活動:ふしぎなティールーム、
 第二の活動:レストラン
 第三の活動:クッキングスター

下手な説明をするよりHPアドレスを紹介したほうが興味のある方にはいいでしょう。

http://www.cookinghouse.jp

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あるカフェ日記に思う

2005-11-12 02:22:00 | 日記

ブログカフェに入ったとたん目に飛び込んできた、ある女性の短い日記紹介文を見て、本ページを覗いて見た。
読んでいるうちに体がこわばった。異世界の状態を見たというのではない、今の世の苦痛に打ちひしがれた「叫び」をもろに浴びたからである。

そこには家庭が壊され、ずたずたになった心のうめきに溢れて、一度は自死を決意したが懸命に立ち直ろうとする、必死の覚悟が見えた。PTSD(心的外傷)を抱えたままである・・・。

人は何故こんなにも残酷な仕打ちを受けなければならないのか、一度死の淵にいながら現実の生活に引き戻されたのはなぜか、
ある日突然、最も信頼すべき伴侶に裏切られ、奈落のどん底に突き落とされた身が、周囲の励ましによって地上に引き上げられる。この構図は聖書の中にも見られる、「死と再生」で語られるイエスの原型かと思う。「人はどんな苦しみが来ようと耐えられないほどのものは来ない」パウロの言葉だが、苦痛の果て「自死」を選んだ若者には異論もあろう。

”死”を超えて生きている(生かされている)と言う自覚が「同じような境遇にある人たちの手助けになれば・・・」という女性の言葉に救われた思いがした。

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